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オアシスボーイさんのブログ 「I Wanna Live In A Dream」
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リアム・ギャラガーは、英国が生み出した、ビートルズ以来最もビッグなバンドのフロントマンだ。ビッグなのはバンドだけではなく、態度も然り。彼は常に動き回り、一時たりともじっとしていることがない。長らく待たれたニューアルバムの発売を受け、尋常でないカリスマ性、そしてあえて言わせてもらえば、可愛らしいともいえるリアムの貴重なインタビューをすることに成功した。彼と午後の一時を過ごしたのは、インタビュアーのエマ・フォレストである。
24歳になるリアム・ギャラガーはプリムローズ・ヒルを見渡せるパブの屋根に腰かけ、2,3本のラガーを空にしつつ、自らの成し遂げた成功を満喫していた。彼は、鼻で軽く笑ってみせる。これは数えて10番目とか30番目とかいった類の成功ではない。OASISはホテルの部屋を気の向くままに荒らしままわり、アメリカのMTVファンに向かってツバを吐き、ドラッグ好きであることを自慢し、家を探すためにアメリカ・ツアーを放り出す。そして、ニューアルバムが発売される前にも関わらずすでに、世界中の1400万人の人々にそのアルバムを買うことを決意させてしまう。そういう成功なのだ。
下のパブはやかましく、昼食と共に酒を飲む輩であふれていたが、屋根の上にいるのは私達3人だけだ。OASISの広報責任者であるジョニー・ホプキンスは、ほぼ確実に起きるであろう騒ぎを避けるため、この場所を選んでいた。リアムがパッツィ・ケンジットと一緒に暮らすノースロンドンの自宅前では、今でもファン達が押しかけ、ショッピングに出かけるにももみくちゃにされながら家を出るという状態になっていた。
「でもカレーが食いてえと思ったら、何が何でも俺は食いに行くんだよ」。
つまり、プリムローズ・ヒルの頂上に行きたいと思ったら、行くと?
リアムは頭を公園の方に向け、品定めするかのようにじっと見つめた。
「思ったらな」。
じゃあ、そうしましょうよ。
「やだ、めんどい」。
ほら、そうと決めたらやるんでしょう。
「わかったよ」。
そう言うと彼は、昼下がりの太陽の中、サングラスをかけ直した。
「行こうぜ」。
パブから外へ一歩踏み出すと、クリーム色のスーツを着けた中年の女性が夫に耳打ちをする。
「リアムよ」。
余計な冠詞はつかなかった。リアム・ギャラガーでも、OASISのリアムでも、パッツィ・ケンジットと結婚したリアムでもない。ただのリアム。不意打ちを突かれた夫は、コーラでむせそうになった。私は、無駄に人目を引く同行者を振り返り、もう少し目立たないようにはできないかと尋ねる。
「無理だね」。
この「OASISファン」のトレードマーク。それは、口から飛び出すマンチェスター独特の罵詈雑言に、広い肩幅、そして必要以上に注目を集めてしまうその歩き方だ。しかしこれがリアルな彼の姿であることは、疑いようがない。1993年に、OASISと契約を交わしたアラン・マッギーは、グラスゴーのKing Tut'sのステージにリアムが立つ前から、そのスター性を見抜いていたと話した。
「リアムはすでにロックスターになりきっていたんだ」。
例の歩き方で10歩ほど歩いた頃、Mirrorの広告に差し掛かった。「OASISは神よりも偉大なり」。
音楽誌のインタビューで、リアムの兄で30歳になるノエルが - Mirrorの編集によれば - 若者にとって音楽は教会に通うことよりも大きな意味を持つと話しているのだ。いつものギャラガー節で、ノエルはさらに付け加えた。「神様ってのはネブワースでギグをしたことがあるのか?」。
いつもなら、兄の成すことであれば何でも反対しようとするリアムが、この時はノエル側についた。
「もし俺が神様だったら、そうじゃねえけどよ、もしそうなら、でも俺は別に、つまり・・・もし空に大きな家があって、俺の足元にたくさんの羊達がかしづいてても、さっさと俺の前から失せろって言ってやるぜ」。
それなら、セント・ジョーンズ・ウッドのあなたの自宅周辺にいる「羊達」はどうするの?
「そのことを言ってるのさ。会えもしない誰かを崇めたてまつるために一日費やすなんて、それでもし本人が幸せでもだぜ。今そこにいるやつのレコードを買って、家の外で待ち伏せして『サインをください』つってサインをもらう方を、俺なら選ぶね」。
1972年、ウィリアム・ジョン・ギャラガーは、マンチェスターのバーニッジに、3人兄弟の末っ子として生を受けた。カトリック教徒として育てられたものの、「宗教がおふくろに背を向けた」時から、彼もまた宗教に背を向ける。、ペギー、そして時にノエル、リアム、長男のポールは、アイリッシュバーでDJをしていた女たらしな夫トミーから日常的に暴力を受けていたのだ。長年の暴力の末、ペギーはある日の真夜中に自宅から逃げ出して新しい団地へと安全な場を求め、3人兄弟と母親は新しい生活をスタートさせた。11歳だったリアムも、ようやく暴力の嵐から抜け出すこととなる。未だに、彼は吐き捨てるように話す。子供時代の記憶としてまず思い出すのが、父親が母親の頭をハンマーで殴っているところだと。
「神様とやらがおふくろにとんでもないことを仕向けやがったから、俺はあいつを信じるのをやめたんだ。ペギーの旦那、最悪なことにそいつは俺の父親でもあるわけだけど、やつが暴力をふるいだした。それでも俺達兄弟のことを思っておふくろは別れようとしなかった。離婚してはいけないと思ってたのさ。そんなことしたらキリストの血と肉を授かれなくなるとね。おふくろが小さい頃から信じてきた道だ。やつと別れず殴られ続ければ、キリストの血と肉とやらを授かれるってわけだ。そうまでするほどありゃ美味いもんなのかよ?自分の血と肉にでもなるのか?ランチにおすすめってか?くだらねえ。単なる想像の産物だってのにさ」。
さらに、リアムは父親のことにも言及した。
「明日死んだとしても葬式には行かねえ。これ絶対書いてくれよ。だから結婚証明書の欄からもあいつを外したんだ。俺に父親はいないんだから」。
「父親なんていらなかった。おふくろが俺の母親であり父親だったんだ」。
リアムの父親嫌いは根強く、「父親の謝罪を受け入れるべきだ」とする記事が出た時、彼は怒り狂った。The News of the Worldが、昨年3月、バンドが宿泊するのと同じダブリン内のホテルを予約し、父親を呼んだのだ。リアムはセキュリティガードに抑えられてようやく、父親に暴行を加えるところを阻止されている。
「俺達だけじゃなくてポールの頭も蹴り上げてたんだぜ。なのにそっちとは仲直りしようとしない。ってのはポールが有名人じゃないからだ。しょせん金目当てなのさ。今さら父親になろうたって遅えんだよ。おふくろがあんな野郎とヤるわけがねえ」。
リアムは静かに話していたが、その声は不安定さを露呈していた。プリムローズ・ヒルに座って、怒りを抑えられない彼は、芝生の草を鷲掴みにしちぎり始める。インディゴのカンゴールTシャツの袖から糸が1本ほつれ、リアムの鼻の下には、口唇ヘルペスのような発疹が出来ているのがみえた。ホプキンスがリアムを落ち着かせようとする。
「そうさ、本当に仲直りしたいなら、どうして俺達が有名になってから連絡してくるんだ?」。
彼は、ついに黙り込んだ。パッツィの5歳になる息子、ジェームスに自分自身を重ね合わせているのかと尋ねる。勢いよくうなづくリアム。
「ジェームスは俺の息子じゃない(訳注:父親は、パッツィの2番目の夫、ジム・カーである)。でもあいつのことを愛してるし、そばにもいてやりたい。誇りに思うよ。ジェームズの義理の父親になれるなんて光栄だ。わくわくする。ツアーしてる時でも、俺のところにやってきてハグをくれる。俺は学校の送り迎えをして、ジェームズは運動会に俺を呼んでくれる。でも24歳でビッグバンドをやってる男が、そういう『縛り』を喜んでるってことをみんな信じてくれないんだ」。
栄光の頂点にあって、リアムとノエルは結婚する道を選んだ。リアムはケンジット、そしてその5歳になる息子と。ノエルは30歳になるクリエイション・レコードの渉外担当マネージャーであるメグ・マシューズと。彼らを拒絶する世界で、自らを受け入れる女性を見つけることが、彼らには特別であることを示すかのようだ。
「一緒に出かけるとOASISのことばかり話す女の子達にはうんざりなんだ」と、リアム。
「パッツィがいなかったら俺はどうにかなってたと思うよ。誰か特別な人が必要で、そうでもしなきゃ俺はダメになってた」。
ロックスターの気まぐれにすぎないというプレスの見方をどう思います?
リアムは乱暴に草をむしりとった。
「俺はパッツィを愛してる。おふくろも気に入ってくれてる。パッツィには心とソウルがある。気にかけなくてもいい人のことまで考えてる、俺の叔母さん連中とかな。病気になったらお見舞いまで送るんだぜ」。
プリムローズ・ヒルで話をし始めて10分ほど経った時、14歳くらいの女の子達が4人やってきた。コーデュロイのズボンにベストといういでたちの彼女らは、リアムを見つけるや興奮したように囁き始め、学校のカバンからノートを引っ張り出しサインを求めてきた。リアムはボールペンでなぐり書きをし、ニューシングルについてしばらくおしゃべりをした。
「じゃあな、話せて嬉しかったよ」。
そう言うと、リアムは立ち上がり、振り返り手を振った。マナー通りの振り方ではないが、2本の腕で大きく。あたかも飛行機を滑走路に誘導するかのように。ファンの存在が、鉤爪を持ち舌なめずりしながら近づいてくるモンスターに見えることはないのだろうか?外で待ち伏せし、夜中も絶えずドアベルを鳴らす彼らを軽蔑したことはないのか?
「ないよ」。
ないのだそうだ。
「俺にかまわず、自分で音楽を作れよな」。
?
「うん、でもこういうことは起きることなんだ、実際俺の身に起きてるしな。1989年にはStone Rosesだ。あの頃俺は群集の中で毎日ファッキン最悪の気分で生きてた。そこから抜け出すために自分でもやってやろうって思ったんだよ」。
そう、彼は自分で成功を勝ち取った。
1991年に組まれた初期のOASIS、つまりThe Rainとして知られていた頃の彼らは、はっきり言って平凡なバンドだった。31歳になるポール・ギャラガーはストレンジウェイズ刑務所の暴動について書かれた「We're Having a Rave on the Roof」という曲が持ち歌の中にあったことを覚えている。1991年8月18日、インスパイラル・カーペッツのローディとしての契約を終えたノエルが、マンチェスターのボードウォークでThe Rainを目にする。ノエルはThe Rainのことを「ゴミ」と思ったらしいが、自分の支配下に置くという条件でバンドへの加入を承諾。18ヵ月後、彼らは半分空席のKing Tut's Clubでギグをしていた。その一年後に、1stアルバム「Definitely Maybe」が発売されるのだ。
「Definitely Maybe」は、イギリスの歴史上最速の売り上げを挙げたデビューアルバムだ。1年以上チャート内を維持し続け、続く「What's The Story (Morning Glory)?」は世界で1200万枚以上のセールスを挙げた。8月21日に発売されるニューアルバム「Be Here Now」は、1400万枚を越すだろうと期待されている。OASISはビートルズ以来のビッグなブリティッシュ・ロックンロールバンドであり、彼らの人気がそれを証明している。リアムは、年1000万ポンド稼いでいると予測され、ノエルはさらに著作権料が加わり3000万ポンドを儲けている。
ノエルは、ソングライターでありギタリストでありOASISのリーダー。それは確かだ。しかし、アラン・マッギーが「ジョン・レノンとジョニー・ロットンの融合」と表現したのは、リアムだ。リアムほど、激烈でカリスマ性のあるロックスターは過去にない。
「プレスはいつだって反逆児を求めてる。汚らしくドラッギーなロックンロールバンドをね」。
これが、誰にも止められない上昇気流に乗った1995、1996年あたりの、ノエル・ギャラガーの言葉だ。コントロール不能で喧嘩腰で予測不可能なリアムこそ、ブリティッシュロックが求めるフロントマンなのだ。彼は同時にラガー、ヴェスパ、Vサインといった新しいラッド・カルチャーの象徴にもなっている。ファッションに関してもそうであり、いまや多くの若者達が、彼の髪型を真似し、サイズの大きいアノラックを着け、リアムの口癖「Mad For It」は、イギリスのキャッチフレーズになろうとしている。
しかし、リアムが、ヴォーカリストとしてふさわしい名誉を得たのはつい最近のことだ。コンサートではマイクの前から身動きせず、それでもステージは彼で満たされる。その在り方が全てだ。声に対しても同じことが言える。マリア・カラスの七変化する歌声とは正反対に位置する声。「I Am The Walrus」を歌えば、その危うい歌詞とこれほどマッチする声もない。ベトナム戦争時、アメリカの飛行士は、ヘッドフォンを着けてストーンズの「Gimme Shelter」を聴き、非情に徹しようとしたというエピソードがある。OASISのニューアルバム「Be Here Now」には、それに比類する力がある。特に「Fade In Out」では顕著だ。リスナーに恐怖を覚えさせるほどの声は、これまでよりもさらにダークにそしてパワフルになっていた。
リアムに、その「ダークな部分」はどこからわいてくるのか尋ねた。
「プレスだよ。俺がプレスにやり返す唯一の手段なんだ。俺には怒りがある。自分を解放するのさ。俺の悪の面を出すんだ」。
彼の言う通りだ。怒りのマニフェストは、時に無愛想な一言として発せられ、時に10分に及ぶ怒号となる。一度彼の癇に障る話題を持ち出せば、その怒りがとどめることはできないように思える。トミー・ギャラガーはその話題の一つであり、もう一つがプレスなのである。実際、これまでもリアムとジャーナリストとの関係は不安定で、そのためクリエイションは、インタビューと言えばノエルを向かわせるようにしていた。
ノエルは、これまでに発売されたいわゆるOASIS本を酷評し、この世に存在していい本はポールの書いた「Bod's From Childhood to Oasis - The Real Story」だけと話している。自称バンド関係者によるおべっかにはうんざりなのだと。
「ああいう連中に俺達を批判する資格はない。OASISを食いものにしやがって」。
どうやらノエルを批評できるのは、ノエル自身以外にいないらしい。たとえば、最近OASISがカバーしたデイヴィッド・ボウイの「Heroes」だが、リアムはカバーするに際して意見したという。
「やるべきじゃないって言ったんだ。あいつに。『俺の中にボウイの要素は全然ない。それはお前も同じだろ』。それに構わずあいつは続けて、結局クソみてえな出来で、俺は気に入らなくて、それで『良かった、歌ったのが俺じゃなくて』って安心してるところさ」。
リアム・ギャラガーは些細なことに感動することができる。たぶん、それが彼の強みであり、そのおかげで壊れてしまわずに済んでいるのだろう。彼は生意気以外の何者でもない。パーティでミック・ジャガーに会った際、リアムは恐れ多くも気軽にその肩を叩き、ロックスターを驚かせた。
「ミックは俺を尊敬してるぜ、絶対」。
そのような発言の数々を振りまきながら、この世界でリアムが尊敬する人間はたった一人、「ノエル・ギャラガー・・・あのろくでなしさ!」なのだそうだ。
ちょうどその時、ギターを弾きながら一人の少年がやってきた。リアムを見つけると、驚きで彼の顎はがくんと落ち、無意識にかギターは「Wonderwall」のオープニングコードを奏で始めていた。リアムは身震いすると、私のテープレコーダーを掴み取り、その少年に歌も歌うよう促した。
「最高」。そう言い、リアムは微笑み、少年の背中を叩く。
「ノエルに、お前の座も危ないぜと言っておくよ」。
少年はよろめき、自分の目が信じられないとでも言うように瞬きをする。リアムは、デザート・ブーツを履いた足を空に向け、芝生の上で身体を伸ばした。3フィートほど向こうで、Mirrorを読んでいる人がいる。
「俺が『1週間に4000グラムのコカインを吸ってる』なんて見出しの上を行くのなんて、そうそうないぜ」。
彼は、楽しげに笑った。
「そんなの1時間もあれば吸っちまうし、あと2単位くらい眠っててもいける。わかんねえな。あの木も一緒に吸っちまうぞ。この世界丸ごと吸ってやる。この公園なんて一瞬で消えるぜ」。
でもみんながそういう記事を信じるのにも納得はいくでしょう。MTV European Music Awardsでマイケル・ハッチェンスを消火器で脅して、その後殴りあいとくれば。本当にキレやすいのね。
「子供の頃にウィータビックスを食べ過ぎたせいさ」。
それに本当に移り気だわ。リアムは起き上がると、公園を歩き、空を見上げた。
「何?何が移るだって?」。
「気、よ」。
「移り気かよ。いいか、俺は音楽と人生に必要なGCSE(イギリスの一般中等教育修了証)は取ってるんだ。学校では学べねえ。泥沼這わなきゃわかんねえんだよ」。
私達はプリムローズ・ヒルの頂上に座っている。もう日は落ち始めた。リアムは身体を目一杯に伸ばす。彼は、一OASISファンとしてOASISを語ることも出来る。周りで私達の正体に気づいている様子はない。しかしそれでもホプキンスは警戒を緩めなかった。近くの藪でヘッドフォンをしていた少女に近づいていく。この会話を録音しているのではと疑っているのだ。これが現実。OASISはビジネスだ。クリエイション・レコードを破産の危機から救った大仕事。OASISが現れる前、クリエイションの押しといえば、アルバム「Screamadelica」を250万枚売り上げたPrimal Screamだった。マッギーがOASISと契約してから、クリエイションの売り上げは、1994年当時の500万ポンドから昨年の1100万ポンドへと伸び、来年には3000万ポンドに達する勢いだ。
少女は一味ではなかったようだが、しかし、半ば心あらずの状態だった。
リアムが興味津々だ。
「LSD?」。
彼女の顔に笑みがただようが、答えは返ってこない。
「マッシュルームか?」。
視線がたゆたう。
「Primal Screamに入るといいぜ」。
そう言って、リアムは握手に手を差し出した。が、その手を受け取るには、少女はあまりにドラッグをやりすぎていた。
リアムは、サングラスを取り、ベイビーブルーの瞳をこする。その姿があまりに美しく、私は直視することができなかった。ポール・ニューマンを思わせる目、マーロン・ブランドの鼻、バート・ランカスターの顎。リアムは、有名ハリウッド俳優の様々な要素を融合させたような顔立ちをしている。しかしそれは危うく怒りに満ちた美しさで、たやすくは近づけない雰囲気を迸らせていた。リアムが今でもハンサムであることは変わりないが、かつて黒髪に見えた髪は、今は砂色で、コバルトブルーの瞳も今ではただの青い瞳となっている。まるでこの12ヶ月の奮闘が、リアムから色を奪い去ってしまったかのように。パッツィとの気まぐれな結婚、ノエルとの喧嘩、MTV Unpluggedへの出演を拒否したというエピソード(「病気だったんだ。医者から処方箋ももらった」)、コカイン所持での逮捕、USツアーのキャンセル、彼の精神状態に対する憶測・・・全てがこんがらがってやっかいなことになっている。20代になってまもない若者にとっては耐え難い一年だっただろう。
しかし今日の彼は、落ち着いており楽しそうに見える。芝生で3時間も寝転がって話せるほどに。ロックスターでいることよりも、新しい家の方に興味が向くほどに。
「デザイナーに全部指示するんだ。パーフェクトにしたいから」。
リアムは、半マイル先にあるレジェント・パークを見渡す。
「俺の家はきれいだぜ。完璧。大好きだ」。
今朝、彼は寝室の窓から身を乗り出して、ファン達に注意をしたという。
「そこに座りたいなら、好きにしろ。でも庭にゴミを捨ててくのはやめろ。俺んちのクリーニング・レディが片付けなきゃならねえんだ、彼女にとっちゃ屈辱的なことなんだよ」。
とうとう、帰る時間がきたようだ。リアムは、ものすごく強いハグをしてきた - 彼にとって挨拶とハグは同義語らしい - そして尋ねる。
「もう終わり?小便してえんだ」。
プリムローズ・ヒルから帰る途中、リアムは「これから家に帰ってBlondieを聴く」と、話した。
「デビー・ハリーってパッツィと似てるだろ、それに今俺、ビートルズは聴かねえんだ」。
嘘でしょう。
「いや、嘘じゃないぜ。いいか、俺はジョン・レノンを崇拝してるわけじゃない。やつの人生や、クソ野郎らしくことを期待されてる時にどれだけより良い人間になれるかってことに興味があるだけで。結局レノンは弱い野郎なのさ」。
そしてこの次に静かに発せられた言葉。私は本当かどうか確かめるため、3回はテープを聞き直した。
「俺だってそうだ」。
パッツィに関して期待はずれだったことは何か尋ねると、彼はしばらく黙りこんだ。
「俺に聞くなよ、どう答えればいいかわかんねえし、それに間違ったこと言いそうだし」。
そう言うと、悲しげに頭を振った。
彼は頭を振る。酔っぱらった父親の声が聞こえる。「リアム、お前は馬鹿野郎だ。どうしようもなく間抜けだな」。
タブロイド紙もキャッチフレーズのように繰り返す。しかし、彼の考えやボキャブラリーが一般的にロックスターに求められるようなものでなくとも、彼は愚かではない。人目を気にしない分、真実に一番近いのだ(アメリカツアーから抜けた理由をジャーナリストに聞かれたリアムは、憤然とこう答えている。「お前らは家持ってるからわかんねえだろ、俺には家がないんだ、バンドよりも大事なんだよ」)。
しかし、私がそのことを彼に伝える必要はないだろう。まずリアムの気の短さでは我慢できないだろうし、今の今、彼はパッツィに、ジェームスに、ノエルに、母親に、そしてOASISに夢中なのだ。彼は大声で話している。今度のアルバムがどれだけ最高か、プリムローズ・ヒルがどんなに大好きか、まるで、何に対しても「素晴らしい!」と思うFast Showの登場人物のようだ。帰り道で、あのトんでる少女が声をかけてきた。耳をつんざくような声。
「ねえ、あなたバンドやってるの?」。
1994年からバンドを撮り続けてきたフォトグラファー、ジル・ファーマノフスキーの写真展「Was There Then」は、9月19日、ロンドンのRoundhouseを皮切りに開催される。
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リアム・ギャラガーは、英国が生み出した、ビートルズ以来最もビッグなバンドのフロントマンだ。ビッグなのはバンドだけではなく、態度も然り。彼は常に動き回り、一時たりともじっとしていることがない。長らく待たれたニューアルバムの発売を受け、尋常でないカリスマ性、そしてあえて言わせてもらえば、可愛らしいともいえるリアムの貴重なインタビューをすることに成功した。彼と午後の一時を過ごしたのは、インタビュアーのエマ・フォレストである。
24歳になるリアム・ギャラガーはプリムローズ・ヒルを見渡せるパブの屋根に腰かけ、2,3本のラガーを空にしつつ、自らの成し遂げた成功を満喫していた。彼は、鼻で軽く笑ってみせる。これは数えて10番目とか30番目とかいった類の成功ではない。OASISはホテルの部屋を気の向くままに荒らしままわり、アメリカのMTVファンに向かってツバを吐き、ドラッグ好きであることを自慢し、家を探すためにアメリカ・ツアーを放り出す。そして、ニューアルバムが発売される前にも関わらずすでに、世界中の1400万人の人々にそのアルバムを買うことを決意させてしまう。そういう成功なのだ。
下のパブはやかましく、昼食と共に酒を飲む輩であふれていたが、屋根の上にいるのは私達3人だけだ。OASISの広報責任者であるジョニー・ホプキンスは、ほぼ確実に起きるであろう騒ぎを避けるため、この場所を選んでいた。リアムがパッツィ・ケンジットと一緒に暮らすノースロンドンの自宅前では、今でもファン達が押しかけ、ショッピングに出かけるにももみくちゃにされながら家を出るという状態になっていた。
「でもカレーが食いてえと思ったら、何が何でも俺は食いに行くんだよ」。
つまり、プリムローズ・ヒルの頂上に行きたいと思ったら、行くと?
リアムは頭を公園の方に向け、品定めするかのようにじっと見つめた。
「思ったらな」。
じゃあ、そうしましょうよ。
「やだ、めんどい」。
ほら、そうと決めたらやるんでしょう。
「わかったよ」。
そう言うと彼は、昼下がりの太陽の中、サングラスをかけ直した。
「行こうぜ」。
パブから外へ一歩踏み出すと、クリーム色のスーツを着けた中年の女性が夫に耳打ちをする。
「リアムよ」。
余計な冠詞はつかなかった。リアム・ギャラガーでも、OASISのリアムでも、パッツィ・ケンジットと結婚したリアムでもない。ただのリアム。不意打ちを突かれた夫は、コーラでむせそうになった。私は、無駄に人目を引く同行者を振り返り、もう少し目立たないようにはできないかと尋ねる。
「無理だね」。
この「OASISファン」のトレードマーク。それは、口から飛び出すマンチェスター独特の罵詈雑言に、広い肩幅、そして必要以上に注目を集めてしまうその歩き方だ。しかしこれがリアルな彼の姿であることは、疑いようがない。1993年に、OASISと契約を交わしたアラン・マッギーは、グラスゴーのKing Tut'sのステージにリアムが立つ前から、そのスター性を見抜いていたと話した。
「リアムはすでにロックスターになりきっていたんだ」。
例の歩き方で10歩ほど歩いた頃、Mirrorの広告に差し掛かった。「OASISは神よりも偉大なり」。
音楽誌のインタビューで、リアムの兄で30歳になるノエルが - Mirrorの編集によれば - 若者にとって音楽は教会に通うことよりも大きな意味を持つと話しているのだ。いつものギャラガー節で、ノエルはさらに付け加えた。「神様ってのはネブワースでギグをしたことがあるのか?」。
いつもなら、兄の成すことであれば何でも反対しようとするリアムが、この時はノエル側についた。
「もし俺が神様だったら、そうじゃねえけどよ、もしそうなら、でも俺は別に、つまり・・・もし空に大きな家があって、俺の足元にたくさんの羊達がかしづいてても、さっさと俺の前から失せろって言ってやるぜ」。
それなら、セント・ジョーンズ・ウッドのあなたの自宅周辺にいる「羊達」はどうするの?
「そのことを言ってるのさ。会えもしない誰かを崇めたてまつるために一日費やすなんて、それでもし本人が幸せでもだぜ。今そこにいるやつのレコードを買って、家の外で待ち伏せして『サインをください』つってサインをもらう方を、俺なら選ぶね」。
1972年、ウィリアム・ジョン・ギャラガーは、マンチェスターのバーニッジに、3人兄弟の末っ子として生を受けた。カトリック教徒として育てられたものの、「宗教がおふくろに背を向けた」時から、彼もまた宗教に背を向ける。、ペギー、そして時にノエル、リアム、長男のポールは、アイリッシュバーでDJをしていた女たらしな夫トミーから日常的に暴力を受けていたのだ。長年の暴力の末、ペギーはある日の真夜中に自宅から逃げ出して新しい団地へと安全な場を求め、3人兄弟と母親は新しい生活をスタートさせた。11歳だったリアムも、ようやく暴力の嵐から抜け出すこととなる。未だに、彼は吐き捨てるように話す。子供時代の記憶としてまず思い出すのが、父親が母親の頭をハンマーで殴っているところだと。
「神様とやらがおふくろにとんでもないことを仕向けやがったから、俺はあいつを信じるのをやめたんだ。ペギーの旦那、最悪なことにそいつは俺の父親でもあるわけだけど、やつが暴力をふるいだした。それでも俺達兄弟のことを思っておふくろは別れようとしなかった。離婚してはいけないと思ってたのさ。そんなことしたらキリストの血と肉を授かれなくなるとね。おふくろが小さい頃から信じてきた道だ。やつと別れず殴られ続ければ、キリストの血と肉とやらを授かれるってわけだ。そうまでするほどありゃ美味いもんなのかよ?自分の血と肉にでもなるのか?ランチにおすすめってか?くだらねえ。単なる想像の産物だってのにさ」。
さらに、リアムは父親のことにも言及した。
「明日死んだとしても葬式には行かねえ。これ絶対書いてくれよ。だから結婚証明書の欄からもあいつを外したんだ。俺に父親はいないんだから」。
「父親なんていらなかった。おふくろが俺の母親であり父親だったんだ」。
リアムの父親嫌いは根強く、「父親の謝罪を受け入れるべきだ」とする記事が出た時、彼は怒り狂った。The News of the Worldが、昨年3月、バンドが宿泊するのと同じダブリン内のホテルを予約し、父親を呼んだのだ。リアムはセキュリティガードに抑えられてようやく、父親に暴行を加えるところを阻止されている。
「俺達だけじゃなくてポールの頭も蹴り上げてたんだぜ。なのにそっちとは仲直りしようとしない。ってのはポールが有名人じゃないからだ。しょせん金目当てなのさ。今さら父親になろうたって遅えんだよ。おふくろがあんな野郎とヤるわけがねえ」。
リアムは静かに話していたが、その声は不安定さを露呈していた。プリムローズ・ヒルに座って、怒りを抑えられない彼は、芝生の草を鷲掴みにしちぎり始める。インディゴのカンゴールTシャツの袖から糸が1本ほつれ、リアムの鼻の下には、口唇ヘルペスのような発疹が出来ているのがみえた。ホプキンスがリアムを落ち着かせようとする。
「そうさ、本当に仲直りしたいなら、どうして俺達が有名になってから連絡してくるんだ?」。
彼は、ついに黙り込んだ。パッツィの5歳になる息子、ジェームスに自分自身を重ね合わせているのかと尋ねる。勢いよくうなづくリアム。
「ジェームスは俺の息子じゃない(訳注:父親は、パッツィの2番目の夫、ジム・カーである)。でもあいつのことを愛してるし、そばにもいてやりたい。誇りに思うよ。ジェームズの義理の父親になれるなんて光栄だ。わくわくする。ツアーしてる時でも、俺のところにやってきてハグをくれる。俺は学校の送り迎えをして、ジェームズは運動会に俺を呼んでくれる。でも24歳でビッグバンドをやってる男が、そういう『縛り』を喜んでるってことをみんな信じてくれないんだ」。
栄光の頂点にあって、リアムとノエルは結婚する道を選んだ。リアムはケンジット、そしてその5歳になる息子と。ノエルは30歳になるクリエイション・レコードの渉外担当マネージャーであるメグ・マシューズと。彼らを拒絶する世界で、自らを受け入れる女性を見つけることが、彼らには特別であることを示すかのようだ。
「一緒に出かけるとOASISのことばかり話す女の子達にはうんざりなんだ」と、リアム。
「パッツィがいなかったら俺はどうにかなってたと思うよ。誰か特別な人が必要で、そうでもしなきゃ俺はダメになってた」。
ロックスターの気まぐれにすぎないというプレスの見方をどう思います?
リアムは乱暴に草をむしりとった。
「俺はパッツィを愛してる。おふくろも気に入ってくれてる。パッツィには心とソウルがある。気にかけなくてもいい人のことまで考えてる、俺の叔母さん連中とかな。病気になったらお見舞いまで送るんだぜ」。
プリムローズ・ヒルで話をし始めて10分ほど経った時、14歳くらいの女の子達が4人やってきた。コーデュロイのズボンにベストといういでたちの彼女らは、リアムを見つけるや興奮したように囁き始め、学校のカバンからノートを引っ張り出しサインを求めてきた。リアムはボールペンでなぐり書きをし、ニューシングルについてしばらくおしゃべりをした。
「じゃあな、話せて嬉しかったよ」。
そう言うと、リアムは立ち上がり、振り返り手を振った。マナー通りの振り方ではないが、2本の腕で大きく。あたかも飛行機を滑走路に誘導するかのように。ファンの存在が、鉤爪を持ち舌なめずりしながら近づいてくるモンスターに見えることはないのだろうか?外で待ち伏せし、夜中も絶えずドアベルを鳴らす彼らを軽蔑したことはないのか?
「ないよ」。
ないのだそうだ。
「俺にかまわず、自分で音楽を作れよな」。
?
「うん、でもこういうことは起きることなんだ、実際俺の身に起きてるしな。1989年にはStone Rosesだ。あの頃俺は群集の中で毎日ファッキン最悪の気分で生きてた。そこから抜け出すために自分でもやってやろうって思ったんだよ」。
そう、彼は自分で成功を勝ち取った。
1991年に組まれた初期のOASIS、つまりThe Rainとして知られていた頃の彼らは、はっきり言って平凡なバンドだった。31歳になるポール・ギャラガーはストレンジウェイズ刑務所の暴動について書かれた「We're Having a Rave on the Roof」という曲が持ち歌の中にあったことを覚えている。1991年8月18日、インスパイラル・カーペッツのローディとしての契約を終えたノエルが、マンチェスターのボードウォークでThe Rainを目にする。ノエルはThe Rainのことを「ゴミ」と思ったらしいが、自分の支配下に置くという条件でバンドへの加入を承諾。18ヵ月後、彼らは半分空席のKing Tut's Clubでギグをしていた。その一年後に、1stアルバム「Definitely Maybe」が発売されるのだ。
「Definitely Maybe」は、イギリスの歴史上最速の売り上げを挙げたデビューアルバムだ。1年以上チャート内を維持し続け、続く「What's The Story (Morning Glory)?」は世界で1200万枚以上のセールスを挙げた。8月21日に発売されるニューアルバム「Be Here Now」は、1400万枚を越すだろうと期待されている。OASISはビートルズ以来のビッグなブリティッシュ・ロックンロールバンドであり、彼らの人気がそれを証明している。リアムは、年1000万ポンド稼いでいると予測され、ノエルはさらに著作権料が加わり3000万ポンドを儲けている。
ノエルは、ソングライターでありギタリストでありOASISのリーダー。それは確かだ。しかし、アラン・マッギーが「ジョン・レノンとジョニー・ロットンの融合」と表現したのは、リアムだ。リアムほど、激烈でカリスマ性のあるロックスターは過去にない。
「プレスはいつだって反逆児を求めてる。汚らしくドラッギーなロックンロールバンドをね」。
これが、誰にも止められない上昇気流に乗った1995、1996年あたりの、ノエル・ギャラガーの言葉だ。コントロール不能で喧嘩腰で予測不可能なリアムこそ、ブリティッシュロックが求めるフロントマンなのだ。彼は同時にラガー、ヴェスパ、Vサインといった新しいラッド・カルチャーの象徴にもなっている。ファッションに関してもそうであり、いまや多くの若者達が、彼の髪型を真似し、サイズの大きいアノラックを着け、リアムの口癖「Mad For It」は、イギリスのキャッチフレーズになろうとしている。
しかし、リアムが、ヴォーカリストとしてふさわしい名誉を得たのはつい最近のことだ。コンサートではマイクの前から身動きせず、それでもステージは彼で満たされる。その在り方が全てだ。声に対しても同じことが言える。マリア・カラスの七変化する歌声とは正反対に位置する声。「I Am The Walrus」を歌えば、その危うい歌詞とこれほどマッチする声もない。ベトナム戦争時、アメリカの飛行士は、ヘッドフォンを着けてストーンズの「Gimme Shelter」を聴き、非情に徹しようとしたというエピソードがある。OASISのニューアルバム「Be Here Now」には、それに比類する力がある。特に「Fade In Out」では顕著だ。リスナーに恐怖を覚えさせるほどの声は、これまでよりもさらにダークにそしてパワフルになっていた。
リアムに、その「ダークな部分」はどこからわいてくるのか尋ねた。
「プレスだよ。俺がプレスにやり返す唯一の手段なんだ。俺には怒りがある。自分を解放するのさ。俺の悪の面を出すんだ」。
彼の言う通りだ。怒りのマニフェストは、時に無愛想な一言として発せられ、時に10分に及ぶ怒号となる。一度彼の癇に障る話題を持ち出せば、その怒りがとどめることはできないように思える。トミー・ギャラガーはその話題の一つであり、もう一つがプレスなのである。実際、これまでもリアムとジャーナリストとの関係は不安定で、そのためクリエイションは、インタビューと言えばノエルを向かわせるようにしていた。
ノエルは、これまでに発売されたいわゆるOASIS本を酷評し、この世に存在していい本はポールの書いた「Bod's From Childhood to Oasis - The Real Story」だけと話している。自称バンド関係者によるおべっかにはうんざりなのだと。
「ああいう連中に俺達を批判する資格はない。OASISを食いものにしやがって」。
どうやらノエルを批評できるのは、ノエル自身以外にいないらしい。たとえば、最近OASISがカバーしたデイヴィッド・ボウイの「Heroes」だが、リアムはカバーするに際して意見したという。
「やるべきじゃないって言ったんだ。あいつに。『俺の中にボウイの要素は全然ない。それはお前も同じだろ』。それに構わずあいつは続けて、結局クソみてえな出来で、俺は気に入らなくて、それで『良かった、歌ったのが俺じゃなくて』って安心してるところさ」。
リアム・ギャラガーは些細なことに感動することができる。たぶん、それが彼の強みであり、そのおかげで壊れてしまわずに済んでいるのだろう。彼は生意気以外の何者でもない。パーティでミック・ジャガーに会った際、リアムは恐れ多くも気軽にその肩を叩き、ロックスターを驚かせた。
「ミックは俺を尊敬してるぜ、絶対」。
そのような発言の数々を振りまきながら、この世界でリアムが尊敬する人間はたった一人、「ノエル・ギャラガー・・・あのろくでなしさ!」なのだそうだ。
ちょうどその時、ギターを弾きながら一人の少年がやってきた。リアムを見つけると、驚きで彼の顎はがくんと落ち、無意識にかギターは「Wonderwall」のオープニングコードを奏で始めていた。リアムは身震いすると、私のテープレコーダーを掴み取り、その少年に歌も歌うよう促した。
「最高」。そう言い、リアムは微笑み、少年の背中を叩く。
「ノエルに、お前の座も危ないぜと言っておくよ」。
少年はよろめき、自分の目が信じられないとでも言うように瞬きをする。リアムは、デザート・ブーツを履いた足を空に向け、芝生の上で身体を伸ばした。3フィートほど向こうで、Mirrorを読んでいる人がいる。
「俺が『1週間に4000グラムのコカインを吸ってる』なんて見出しの上を行くのなんて、そうそうないぜ」。
彼は、楽しげに笑った。
「そんなの1時間もあれば吸っちまうし、あと2単位くらい眠っててもいける。わかんねえな。あの木も一緒に吸っちまうぞ。この世界丸ごと吸ってやる。この公園なんて一瞬で消えるぜ」。
でもみんながそういう記事を信じるのにも納得はいくでしょう。MTV European Music Awardsでマイケル・ハッチェンスを消火器で脅して、その後殴りあいとくれば。本当にキレやすいのね。
「子供の頃にウィータビックスを食べ過ぎたせいさ」。
それに本当に移り気だわ。リアムは起き上がると、公園を歩き、空を見上げた。
「何?何が移るだって?」。
「気、よ」。
「移り気かよ。いいか、俺は音楽と人生に必要なGCSE(イギリスの一般中等教育修了証)は取ってるんだ。学校では学べねえ。泥沼這わなきゃわかんねえんだよ」。
私達はプリムローズ・ヒルの頂上に座っている。もう日は落ち始めた。リアムは身体を目一杯に伸ばす。彼は、一OASISファンとしてOASISを語ることも出来る。周りで私達の正体に気づいている様子はない。しかしそれでもホプキンスは警戒を緩めなかった。近くの藪でヘッドフォンをしていた少女に近づいていく。この会話を録音しているのではと疑っているのだ。これが現実。OASISはビジネスだ。クリエイション・レコードを破産の危機から救った大仕事。OASISが現れる前、クリエイションの押しといえば、アルバム「Screamadelica」を250万枚売り上げたPrimal Screamだった。マッギーがOASISと契約してから、クリエイションの売り上げは、1994年当時の500万ポンドから昨年の1100万ポンドへと伸び、来年には3000万ポンドに達する勢いだ。
少女は一味ではなかったようだが、しかし、半ば心あらずの状態だった。
リアムが興味津々だ。
「LSD?」。
彼女の顔に笑みがただようが、答えは返ってこない。
「マッシュルームか?」。
視線がたゆたう。
「Primal Screamに入るといいぜ」。
そう言って、リアムは握手に手を差し出した。が、その手を受け取るには、少女はあまりにドラッグをやりすぎていた。
リアムは、サングラスを取り、ベイビーブルーの瞳をこする。その姿があまりに美しく、私は直視することができなかった。ポール・ニューマンを思わせる目、マーロン・ブランドの鼻、バート・ランカスターの顎。リアムは、有名ハリウッド俳優の様々な要素を融合させたような顔立ちをしている。しかしそれは危うく怒りに満ちた美しさで、たやすくは近づけない雰囲気を迸らせていた。リアムが今でもハンサムであることは変わりないが、かつて黒髪に見えた髪は、今は砂色で、コバルトブルーの瞳も今ではただの青い瞳となっている。まるでこの12ヶ月の奮闘が、リアムから色を奪い去ってしまったかのように。パッツィとの気まぐれな結婚、ノエルとの喧嘩、MTV Unpluggedへの出演を拒否したというエピソード(「病気だったんだ。医者から処方箋ももらった」)、コカイン所持での逮捕、USツアーのキャンセル、彼の精神状態に対する憶測・・・全てがこんがらがってやっかいなことになっている。20代になってまもない若者にとっては耐え難い一年だっただろう。
しかし今日の彼は、落ち着いており楽しそうに見える。芝生で3時間も寝転がって話せるほどに。ロックスターでいることよりも、新しい家の方に興味が向くほどに。
「デザイナーに全部指示するんだ。パーフェクトにしたいから」。
リアムは、半マイル先にあるレジェント・パークを見渡す。
「俺の家はきれいだぜ。完璧。大好きだ」。
今朝、彼は寝室の窓から身を乗り出して、ファン達に注意をしたという。
「そこに座りたいなら、好きにしろ。でも庭にゴミを捨ててくのはやめろ。俺んちのクリーニング・レディが片付けなきゃならねえんだ、彼女にとっちゃ屈辱的なことなんだよ」。
とうとう、帰る時間がきたようだ。リアムは、ものすごく強いハグをしてきた - 彼にとって挨拶とハグは同義語らしい - そして尋ねる。
「もう終わり?小便してえんだ」。
プリムローズ・ヒルから帰る途中、リアムは「これから家に帰ってBlondieを聴く」と、話した。
「デビー・ハリーってパッツィと似てるだろ、それに今俺、ビートルズは聴かねえんだ」。
嘘でしょう。
「いや、嘘じゃないぜ。いいか、俺はジョン・レノンを崇拝してるわけじゃない。やつの人生や、クソ野郎らしくことを期待されてる時にどれだけより良い人間になれるかってことに興味があるだけで。結局レノンは弱い野郎なのさ」。
そしてこの次に静かに発せられた言葉。私は本当かどうか確かめるため、3回はテープを聞き直した。
「俺だってそうだ」。
パッツィに関して期待はずれだったことは何か尋ねると、彼はしばらく黙りこんだ。
「俺に聞くなよ、どう答えればいいかわかんねえし、それに間違ったこと言いそうだし」。
そう言うと、悲しげに頭を振った。
彼は頭を振る。酔っぱらった父親の声が聞こえる。「リアム、お前は馬鹿野郎だ。どうしようもなく間抜けだな」。
タブロイド紙もキャッチフレーズのように繰り返す。しかし、彼の考えやボキャブラリーが一般的にロックスターに求められるようなものでなくとも、彼は愚かではない。人目を気にしない分、真実に一番近いのだ(アメリカツアーから抜けた理由をジャーナリストに聞かれたリアムは、憤然とこう答えている。「お前らは家持ってるからわかんねえだろ、俺には家がないんだ、バンドよりも大事なんだよ」)。
しかし、私がそのことを彼に伝える必要はないだろう。まずリアムの気の短さでは我慢できないだろうし、今の今、彼はパッツィに、ジェームスに、ノエルに、母親に、そしてOASISに夢中なのだ。彼は大声で話している。今度のアルバムがどれだけ最高か、プリムローズ・ヒルがどんなに大好きか、まるで、何に対しても「素晴らしい!」と思うFast Showの登場人物のようだ。帰り道で、あのトんでる少女が声をかけてきた。耳をつんざくような声。
「ねえ、あなたバンドやってるの?」。
1994年からバンドを撮り続けてきたフォトグラファー、ジル・ファーマノフスキーの写真展「Was There Then」は、9月19日、ロンドンのRoundhouseを皮切りに開催される。