ノエル・ギャラガー、容赦なし。
スーパーマーケットから共産主義まで、話したいことなら山ほどあるノエル・ギャラガー。ただ、弟のことについては話題にしたくないようだった。
大きく咳払いをし、ノエル・ギャラガーは口をつぐんだ。眉間には皺がよせられ、睫毛が眉毛に隠れそうになるほどだ。彼は今、少しだけ不機嫌である。という のも、何を隠そうその原因は中国政府、具体的に言うと、中国政府がOASISのギグをキャンセルにしたことにある。1997年にニューヨークで行われた Free Tibetのチャリティコンサートに、ノエルが参加したことを問題視したのだ。
銀色のメルセデス・ベンツの後部座席に座った我々は、ロンドンの渋滞に足を止められていた。今からディナーを食べに行くのである。その道中でもノエルは、 2010年のロンドン・オリンピック(「どうせ大失敗に終わるさ」)から、マンチェスター・シティのアウェーのユニフォーム(「クソ」)まで、様々な話題 で弁舌を振るっていた。徐々に声が高まり勢いを増し、ついに中国の話題に来たところでピークに達した。
「電話がかかってきたんだよ。ニューヨークのことが原因で中国には行けなくなったとね」。
「俺は全然覚えてないんだ。U2、Radiohead、Beastie Boysが参加したらしいが、けっこうなラインナップだろ!その日俺はいくつかインタビューを受けてたんだけど、中国文化局はニューヨークのことを突き止 めて、俺がチベットのことで問題を起こしかねない危険因子だと判断したんだ。頭に来るぜ。共産主義の連中って昔のことをよく覚えてるもんだよな」。
そう言うと、ノエルは「どうしようもない」という風に肩をすくめた。
「あの連中には逆らわないほうがいい」。
中国との軋轢はさておき、長年にわたってOASISを率いてきた「チーフ」と呼ばれる男にとって、今は最高の時期だと言えよう。7thアルバム「Dig Out Your Soul」は世界中で180万枚を超える売り上げを記録している。いよいよ間近に迫ってきたUKスタジアムツアーのチケットはとっくの昔に完売を帰した。 ノエル・ギャラガーをディナーにお誘いするのにこれ以上の機会はない。
ノース・ロンドンにある知る人ぞ知るレストランに到着すると、我々はプライベートルームへと通された。自称ワイン通のノエルは、赤ワインを注文。だが、白の方が良かったようだ。
「ファック」と、これから3時間、立て続けに口にするだろう言葉をつぶやく。
ノエル・ギャラガーに初めて会った時、控えめながら品の良い洋服のセンスを持っているという印象を受けた。レザージャケットにジーンズ、清清しい白のシャ ツ。かつて有名だった一本眉も、今では2本になっているところを見ると、音楽的に成功したことで、眉を整える余裕も出来たようだ。その手の動きは驚くほど に洗練されている。思ったよりも小さく、身体に比べると頭が少し大きく見えるが、生身の彼の姿はよく見る風刺画とは似ても似つかない。
普段ところ構わず笑顔を振りまいたり、笑い声をたてることはないものの、笑うとなると顔をしわくちゃにして実に楽しげに笑う。
物真似好きな生まれついての話し上手で(特に、ポール・ウェラーの物真似は半端じゃなく上手い)、一緒にいるのがこの上なく楽しい男だ。極上のディナーに舌鼓を打ちつつ、彼は話し続ける。
さて始めるとしよう。ディナーと、サンテミリオンのワインを頼んで。ノエル・トーマス・デヴィッド・ギャラガーは、マンチェスターのロングサイトで、トミーとペギーの間に生まれた3人兄弟の2番目として、42年前に生を受けた。
あなたの記憶にある一番昔の思い出って何です?
ノエル:おふくろは11人兄弟で、姉が7人いるんだ、アイルランドで一番の大家族さ。俺の最初の記憶は、その大家族と一緒にアイルランドで休暇を過ごしたことかな。叔父さんが農場を経営していたからそこらで走り回ったり、釣りをしたり...
どんな子供だった?
ノエル:とても出来が良くてね。商店で万引きしたせいで捕まったけど。でも今になってみりゃ、かわいいもんだろ - 生意気ないたずら小僧だったのさ。今の連中はマクドナルドでサブマシンガンぶっ放したりするからな。学校には興味がなくて音楽とフットボールが大好きだっ た。80年代に入ると、両親は離婚への長い旅路を歩み始め、俺達が周りでうろちょろしないほうが、2人にとっても良かったんだ。それで余計トラブルに巻き 込まれるようになった。喧嘩はしたかって?あんまり。暴力は好きじゃない。バンドを始める前は兄弟同士の喧嘩もなかったよ。
あなたのお兄さんであるポールによると、あなたはギャラガー兄弟の中で一番モテなかったそうですね。
ノエル:そりゃねえな。ガールフレンドは多くなかったけど、一人と長く付き合ってたんだ。そうだな、一人二人を除いて、俺のガールフレンドはみんなかなり 魅力的だ。今の彼女、サラはマジで最高。一緒にいることができて本当に嬉しいんだ。素敵な女性から愛されることって大事だろう。
誠実なんですね。
ノエル:ああ、隣の芝生は青いなんて感じたことはないね。俺の場合誠実なのは愛に限ったことじゃない。アラン・マッギーも証言してくれるさ。俺達を見つけ てから6ヶ月間、彼は俺が約束を蹴るだろうと踏んでいたらしい、OASISにはクリエイションよりも良い条件を提示してきたところが他にもあったからね。 でも俺は約束は守る男だ。仕事に関してもそうでね。
お母様からどのような影響を受けました?
ノエル:仕事に対する考え方を教えてくれたよ。2つの仕事を掛け持ちして俺達を育て上げてくれた。アイルランドの親族達との強い絆もね。
お父様に関してはどうです?
ノエル:おふくろを妊娠させたはいいが結婚はしたくなかったんだろう、きっと。結婚するには生き方がちょっと自由すぎたんだよな。まあいい、一人なら子供 を作っても良いだろう、3人は駄目だ、俺を縛り付けないでくれ。俺に愛を与えてくれ、それだけで結構だ。おふくろと俺に対して暴力を振るった。でも俺の友 達の父親連中の上を行くほどだったかというとそうじゃないんだ。ストライキ続きにそしてあの「憤懣の冬」、辛い時代を生きていたのさ。そんな時に八つ当た りする犬がいなかったら、その不満はどこに向かう?でもあいつの良かったところは、ギターを買ったことだな、そうじゃなきゃ今頃君は俺じゃない他の誰かに インタビューをしてただろうよ。
一番最後に彼と会ったのはいつ?
ノエル:20年近く前。もう憎んではないよ。可哀想だなと心から思う。あいつはスーツやスポーツカー、派手な生活が好きでそういう性分だった。おふくろは 正反対で、静かな生活が好きなんだ。俺達に金が入った時、新しい家を買うと思うだろう?でも違う。おふくろは今でも、父親から逃げた時に引っ越した公共団 地に住んでいる。そこを買って住んでるんだ。欲しがるものといったら、庭木戸くらいなんだぜ、古いやつが開け閉めする時にきしむようになったからってさ。
お父様との関係は、あなた自身に深く影響を及ぼしていますよね?
ノエル:それはリアムの方が強いと思う。あいつと父親の関係は俺のとはまた違ってたんだ、可愛がられていたのさ。だからその家庭が壊れた時、リアムが受け た衝撃は大きかった。今のあいつは、いつも怒りに満ちてるだろう。世界というスープにフォークで歯向かってるみたいに逆立ってる。文句を言ってばかりいる しな。暇さえあれば自分にどれだけソウルがあるか話してばかりいる。ボブ・マーリーには魂を感じるよな、人々の気持ちを代弁しくだらねえことも喋って。と いっても俺はボブ・マーリーを見たことはないんだけどさ、The Rainbowの楽屋でナプキンの色でごねてるところとか。つうか、ボブ・マーリーに楽屋があったかも知らねえ、The Wailersと一緒にたむろってたんじゃねえの。
それで、あなたはお父様との関係からどのような影響を受けたんです?
ノエル:さあね。何の影響も受けてないとは言わないさ、何かはあったはずだ。前向きに考えたいね、何かを始めるやる気を起こさせてくれたとね。でもわから ない。二人の間でいつものことが始まった時 - これは本心から言える - あいつを殺しててもおかしくなかった。本当にね。やつのことを恐れてたんだ。
その日の始めに、Qの写真撮影のためにノエルは予定時刻きっかりに到着した。彼にとっては毎度のことだが、ミュージシャンで時間を守る人間は非常に稀であ る。ノエルが普通のいわゆるロックスター達と違う面は時間に関してだけではない。インタビューの最中には携帯電話の電源を切り、真正面から向き合って話し てくれる。この業界に入るのが他より遅かったため、仕事に関しては他とは違う見解(と、彼は表現した)を持っているのだそうだ。「Definitely Maybe」を発売した当時、彼はすでに27歳だった。
始終リラックスした様子だ。固まる必要がどこにあるだろう?長年のパートナーであるサラ・マクドナルドと、彼女との間に生まれた生後18ヶ月のドノヴァン (ノエルには、メグ・マシューズとの間に生まれた9歳になる娘アナイスもいる)と一緒に幸せな生活を送り、チーフを務めるバンドはダイアモンドがごとく揺 るぎない地位にあるこの時に。
あなたって、いつも時間きっかりに現れますね...
ノエル:遅刻する人間が嫌いなんだ。子供の頃から遅刻しないように心がけてきたし、遅刻して当然だとは思わないね。もし今日の午後にボブ・ディランから電 話がかかってきて、今夜ディナーに誘われてもこう言うさ。「明日じゃ無理かな?今日は予定が入ってるんだ」。ピート・ドハーティみてえな考え方は理解でき ないよ - ミドルクラス的だ。決めたことはないがしろにしない。だから俺達はここまでやってこれた。Boardwalkでの練習は1週間に5回、9時から11時ま で。ちゃんと来なければ、その場でクビだ。そして俺はちゃんと毎晩やってきたってことさ。
音楽に興味を持ち始めたのはいつ頃から?
ノエル:ロックスター達が良く言うような音楽との衝撃的な出会いはなかった、俺の場合音楽はいつもそこにあったんだ。じいちゃんの家にTVはなかったか ら、みんなラジオを聴いていた。それに父親はカントリーやウェスタンミュージックのDJをしてたんだ。だから最初に出会った音楽はそういう音楽、それとア イリッシュの反体制派の音楽とかね。
自分で曲を書き始めたのはいつからですか?
ノエル:15歳の時だな。マンチェスター・イヴニング・ニュースで中古品のこまごまとしたものを宣伝してたんだ。ある人がギターのチューナーを売ってい て、確かピートとかいう名前だったと思う。それに4トラックレコーダーも持ってたんだよ。それで一度話して、それから1週間に2回くらい彼の家に通って一 緒に曲を書くようになった。彼が小さなドラムマシーンとレコーダーを担当して、俺がギターと歌を担当だ。そうやって作った2曲を録音したテープを家に持ち 帰って、自分の寝室で演奏した時のことを覚えてるよ。自分で作った曲を最初に聴く時って、自分の頭で思い浮かべるんじゃなくて実際にThe Jamの音楽とかを聴いていたスピーカーから自分の曲が流れてくるとさ...本当に感動したよ。
Inspiral Carpetsのローディとして2年間働いた後、リアムのバンドThe Rainに加わったんですよね。入る前に全てを自分に任せることを条件にしたというのは本当ですか?
ノエル:いや、でっちあげだよ。ちょっと狙って俺がデビュー初期のインタビューで言ったんだ。「他にも曲があるの?すごいですね」ってなこと言われるもん だから、わかるだろ。求められて応じたって感じで。Columbiaで初めて一緒に演奏を合わせたんだ。インストゥルメンタルでね。リハーサルルームでは 「なんだ!このやかましい音は!」と思ったね。それから病みつきになったんだ。
「Definitely Maybe」を作る過程はどんな感じだったか教えてください。
ノエル:楽しくはなかったさ。満足いくものに仕上げるために3回もやり直したんだからな。ハードだったよ。トニー(・マッキャロル)が俺達とやるには下手 すぎるってこともわかったし、その時俺はすでにほとんどの曲を書き上げていたんだ...「Morning Glory」のね。「Don't Look Back In Anger」の最後のコーラスに入るところのドラムも書いてあった。それで思ったわけ。「あいつには楽譜どおりに叩くこともできないな」って。
そして...「Morning Glory」の製作は?
ノエル:1800万人の人間があのアルバムを買うとわかっていたら、今でも作り続けてるさ。思い返しても、「なんて恩恵に授かったんだ」と思うよ。本当に素晴らしく現実離れした時期だった。村のパブにビリヤードをしに出かけたりしてさ、俺とボーンヘッドで。
懐かしい?
ノエル:ネブワースまでの数年間は懐かしく思うよ。戻りたいって意味じゃなく - 一回体験してるんだからな - それまでは全てが新鮮だったんだ。それから後は、かかってくる電話は全部レコード売り上げのことばかり。今では次の5年間で何が起こるかわかってるし、こ の5年間も全て想定内のことばかりだった。ネブワースまでは、何もかも新しかったんだ。二日酔いになったこともなかったね。今じゃギネスの缶を見て確かめ て頭痛にさいなまされる有様。この夏にリムジンでウェンブリーに行けば、ロックスターの気分に浸れるだろう。でも当時はそんなこと感じちゃいなかった。い つも気持ちが落ち着かなかったね。
後悔していることはありますか?
ノエル:アメリカだな。しくじった。アメリカでの俺達のレコード会社が、リアムがMTV Awardsで口から盛大によだれを垂らした日限りで、文字通り俺達に別れを告げた。それで終わりさ。それまでは、アメリカで順調にアルバムを400万枚 売り上げていたんだ、イギリス以上に売れてたんだぜ。あそこでThe Beatlesを超えることだってできたんだ。なのに、リアムはその栄光を手にするには自分は力不足だと思ったらしく、全てをぶっ壊しにかかった。例の情 緒不安定が大暴れさ。俺は情緒不安定じゃない、それはみんな納得するはずさ。あいつにできることは結局後ろに控えて、サングラスをかけて、黙り込むことだ けだった。
スーパーマーケットから共産主義まで、話したいことなら山ほどあるノエル・ギャラガー。ただ、弟のことについては話題にしたくないようだった。
大きく咳払いをし、ノエル・ギャラガーは口をつぐんだ。眉間には皺がよせられ、睫毛が眉毛に隠れそうになるほどだ。彼は今、少しだけ不機嫌である。という のも、何を隠そうその原因は中国政府、具体的に言うと、中国政府がOASISのギグをキャンセルにしたことにある。1997年にニューヨークで行われた Free Tibetのチャリティコンサートに、ノエルが参加したことを問題視したのだ。
銀色のメルセデス・ベンツの後部座席に座った我々は、ロンドンの渋滞に足を止められていた。今からディナーを食べに行くのである。その道中でもノエルは、 2010年のロンドン・オリンピック(「どうせ大失敗に終わるさ」)から、マンチェスター・シティのアウェーのユニフォーム(「クソ」)まで、様々な話題 で弁舌を振るっていた。徐々に声が高まり勢いを増し、ついに中国の話題に来たところでピークに達した。
「電話がかかってきたんだよ。ニューヨークのことが原因で中国には行けなくなったとね」。
「俺は全然覚えてないんだ。U2、Radiohead、Beastie Boysが参加したらしいが、けっこうなラインナップだろ!その日俺はいくつかインタビューを受けてたんだけど、中国文化局はニューヨークのことを突き止 めて、俺がチベットのことで問題を起こしかねない危険因子だと判断したんだ。頭に来るぜ。共産主義の連中って昔のことをよく覚えてるもんだよな」。
そう言うと、ノエルは「どうしようもない」という風に肩をすくめた。
「あの連中には逆らわないほうがいい」。
中国との軋轢はさておき、長年にわたってOASISを率いてきた「チーフ」と呼ばれる男にとって、今は最高の時期だと言えよう。7thアルバム「Dig Out Your Soul」は世界中で180万枚を超える売り上げを記録している。いよいよ間近に迫ってきたUKスタジアムツアーのチケットはとっくの昔に完売を帰した。 ノエル・ギャラガーをディナーにお誘いするのにこれ以上の機会はない。
ノース・ロンドンにある知る人ぞ知るレストランに到着すると、我々はプライベートルームへと通された。自称ワイン通のノエルは、赤ワインを注文。だが、白の方が良かったようだ。
「ファック」と、これから3時間、立て続けに口にするだろう言葉をつぶやく。
ノエル・ギャラガーに初めて会った時、控えめながら品の良い洋服のセンスを持っているという印象を受けた。レザージャケットにジーンズ、清清しい白のシャ ツ。かつて有名だった一本眉も、今では2本になっているところを見ると、音楽的に成功したことで、眉を整える余裕も出来たようだ。その手の動きは驚くほど に洗練されている。思ったよりも小さく、身体に比べると頭が少し大きく見えるが、生身の彼の姿はよく見る風刺画とは似ても似つかない。
普段ところ構わず笑顔を振りまいたり、笑い声をたてることはないものの、笑うとなると顔をしわくちゃにして実に楽しげに笑う。
物真似好きな生まれついての話し上手で(特に、ポール・ウェラーの物真似は半端じゃなく上手い)、一緒にいるのがこの上なく楽しい男だ。極上のディナーに舌鼓を打ちつつ、彼は話し続ける。
さて始めるとしよう。ディナーと、サンテミリオンのワインを頼んで。ノエル・トーマス・デヴィッド・ギャラガーは、マンチェスターのロングサイトで、トミーとペギーの間に生まれた3人兄弟の2番目として、42年前に生を受けた。
あなたの記憶にある一番昔の思い出って何です?
ノエル:おふくろは11人兄弟で、姉が7人いるんだ、アイルランドで一番の大家族さ。俺の最初の記憶は、その大家族と一緒にアイルランドで休暇を過ごしたことかな。叔父さんが農場を経営していたからそこらで走り回ったり、釣りをしたり...
どんな子供だった?
ノエル:とても出来が良くてね。商店で万引きしたせいで捕まったけど。でも今になってみりゃ、かわいいもんだろ - 生意気ないたずら小僧だったのさ。今の連中はマクドナルドでサブマシンガンぶっ放したりするからな。学校には興味がなくて音楽とフットボールが大好きだっ た。80年代に入ると、両親は離婚への長い旅路を歩み始め、俺達が周りでうろちょろしないほうが、2人にとっても良かったんだ。それで余計トラブルに巻き 込まれるようになった。喧嘩はしたかって?あんまり。暴力は好きじゃない。バンドを始める前は兄弟同士の喧嘩もなかったよ。
あなたのお兄さんであるポールによると、あなたはギャラガー兄弟の中で一番モテなかったそうですね。
ノエル:そりゃねえな。ガールフレンドは多くなかったけど、一人と長く付き合ってたんだ。そうだな、一人二人を除いて、俺のガールフレンドはみんなかなり 魅力的だ。今の彼女、サラはマジで最高。一緒にいることができて本当に嬉しいんだ。素敵な女性から愛されることって大事だろう。
誠実なんですね。
ノエル:ああ、隣の芝生は青いなんて感じたことはないね。俺の場合誠実なのは愛に限ったことじゃない。アラン・マッギーも証言してくれるさ。俺達を見つけ てから6ヶ月間、彼は俺が約束を蹴るだろうと踏んでいたらしい、OASISにはクリエイションよりも良い条件を提示してきたところが他にもあったからね。 でも俺は約束は守る男だ。仕事に関してもそうでね。
お母様からどのような影響を受けました?
ノエル:仕事に対する考え方を教えてくれたよ。2つの仕事を掛け持ちして俺達を育て上げてくれた。アイルランドの親族達との強い絆もね。
お父様に関してはどうです?
ノエル:おふくろを妊娠させたはいいが結婚はしたくなかったんだろう、きっと。結婚するには生き方がちょっと自由すぎたんだよな。まあいい、一人なら子供 を作っても良いだろう、3人は駄目だ、俺を縛り付けないでくれ。俺に愛を与えてくれ、それだけで結構だ。おふくろと俺に対して暴力を振るった。でも俺の友 達の父親連中の上を行くほどだったかというとそうじゃないんだ。ストライキ続きにそしてあの「憤懣の冬」、辛い時代を生きていたのさ。そんな時に八つ当た りする犬がいなかったら、その不満はどこに向かう?でもあいつの良かったところは、ギターを買ったことだな、そうじゃなきゃ今頃君は俺じゃない他の誰かに インタビューをしてただろうよ。
一番最後に彼と会ったのはいつ?
ノエル:20年近く前。もう憎んではないよ。可哀想だなと心から思う。あいつはスーツやスポーツカー、派手な生活が好きでそういう性分だった。おふくろは 正反対で、静かな生活が好きなんだ。俺達に金が入った時、新しい家を買うと思うだろう?でも違う。おふくろは今でも、父親から逃げた時に引っ越した公共団 地に住んでいる。そこを買って住んでるんだ。欲しがるものといったら、庭木戸くらいなんだぜ、古いやつが開け閉めする時にきしむようになったからってさ。
お父様との関係は、あなた自身に深く影響を及ぼしていますよね?
ノエル:それはリアムの方が強いと思う。あいつと父親の関係は俺のとはまた違ってたんだ、可愛がられていたのさ。だからその家庭が壊れた時、リアムが受け た衝撃は大きかった。今のあいつは、いつも怒りに満ちてるだろう。世界というスープにフォークで歯向かってるみたいに逆立ってる。文句を言ってばかりいる しな。暇さえあれば自分にどれだけソウルがあるか話してばかりいる。ボブ・マーリーには魂を感じるよな、人々の気持ちを代弁しくだらねえことも喋って。と いっても俺はボブ・マーリーを見たことはないんだけどさ、The Rainbowの楽屋でナプキンの色でごねてるところとか。つうか、ボブ・マーリーに楽屋があったかも知らねえ、The Wailersと一緒にたむろってたんじゃねえの。
それで、あなたはお父様との関係からどのような影響を受けたんです?
ノエル:さあね。何の影響も受けてないとは言わないさ、何かはあったはずだ。前向きに考えたいね、何かを始めるやる気を起こさせてくれたとね。でもわから ない。二人の間でいつものことが始まった時 - これは本心から言える - あいつを殺しててもおかしくなかった。本当にね。やつのことを恐れてたんだ。
その日の始めに、Qの写真撮影のためにノエルは予定時刻きっかりに到着した。彼にとっては毎度のことだが、ミュージシャンで時間を守る人間は非常に稀であ る。ノエルが普通のいわゆるロックスター達と違う面は時間に関してだけではない。インタビューの最中には携帯電話の電源を切り、真正面から向き合って話し てくれる。この業界に入るのが他より遅かったため、仕事に関しては他とは違う見解(と、彼は表現した)を持っているのだそうだ。「Definitely Maybe」を発売した当時、彼はすでに27歳だった。
始終リラックスした様子だ。固まる必要がどこにあるだろう?長年のパートナーであるサラ・マクドナルドと、彼女との間に生まれた生後18ヶ月のドノヴァン (ノエルには、メグ・マシューズとの間に生まれた9歳になる娘アナイスもいる)と一緒に幸せな生活を送り、チーフを務めるバンドはダイアモンドがごとく揺 るぎない地位にあるこの時に。
あなたって、いつも時間きっかりに現れますね...
ノエル:遅刻する人間が嫌いなんだ。子供の頃から遅刻しないように心がけてきたし、遅刻して当然だとは思わないね。もし今日の午後にボブ・ディランから電 話がかかってきて、今夜ディナーに誘われてもこう言うさ。「明日じゃ無理かな?今日は予定が入ってるんだ」。ピート・ドハーティみてえな考え方は理解でき ないよ - ミドルクラス的だ。決めたことはないがしろにしない。だから俺達はここまでやってこれた。Boardwalkでの練習は1週間に5回、9時から11時ま で。ちゃんと来なければ、その場でクビだ。そして俺はちゃんと毎晩やってきたってことさ。
音楽に興味を持ち始めたのはいつ頃から?
ノエル:ロックスター達が良く言うような音楽との衝撃的な出会いはなかった、俺の場合音楽はいつもそこにあったんだ。じいちゃんの家にTVはなかったか ら、みんなラジオを聴いていた。それに父親はカントリーやウェスタンミュージックのDJをしてたんだ。だから最初に出会った音楽はそういう音楽、それとア イリッシュの反体制派の音楽とかね。
自分で曲を書き始めたのはいつからですか?
ノエル:15歳の時だな。マンチェスター・イヴニング・ニュースで中古品のこまごまとしたものを宣伝してたんだ。ある人がギターのチューナーを売ってい て、確かピートとかいう名前だったと思う。それに4トラックレコーダーも持ってたんだよ。それで一度話して、それから1週間に2回くらい彼の家に通って一 緒に曲を書くようになった。彼が小さなドラムマシーンとレコーダーを担当して、俺がギターと歌を担当だ。そうやって作った2曲を録音したテープを家に持ち 帰って、自分の寝室で演奏した時のことを覚えてるよ。自分で作った曲を最初に聴く時って、自分の頭で思い浮かべるんじゃなくて実際にThe Jamの音楽とかを聴いていたスピーカーから自分の曲が流れてくるとさ...本当に感動したよ。
Inspiral Carpetsのローディとして2年間働いた後、リアムのバンドThe Rainに加わったんですよね。入る前に全てを自分に任せることを条件にしたというのは本当ですか?
ノエル:いや、でっちあげだよ。ちょっと狙って俺がデビュー初期のインタビューで言ったんだ。「他にも曲があるの?すごいですね」ってなこと言われるもん だから、わかるだろ。求められて応じたって感じで。Columbiaで初めて一緒に演奏を合わせたんだ。インストゥルメンタルでね。リハーサルルームでは 「なんだ!このやかましい音は!」と思ったね。それから病みつきになったんだ。
「Definitely Maybe」を作る過程はどんな感じだったか教えてください。
ノエル:楽しくはなかったさ。満足いくものに仕上げるために3回もやり直したんだからな。ハードだったよ。トニー(・マッキャロル)が俺達とやるには下手 すぎるってこともわかったし、その時俺はすでにほとんどの曲を書き上げていたんだ...「Morning Glory」のね。「Don't Look Back In Anger」の最後のコーラスに入るところのドラムも書いてあった。それで思ったわけ。「あいつには楽譜どおりに叩くこともできないな」って。
そして...「Morning Glory」の製作は?
ノエル:1800万人の人間があのアルバムを買うとわかっていたら、今でも作り続けてるさ。思い返しても、「なんて恩恵に授かったんだ」と思うよ。本当に素晴らしく現実離れした時期だった。村のパブにビリヤードをしに出かけたりしてさ、俺とボーンヘッドで。
懐かしい?
ノエル:ネブワースまでの数年間は懐かしく思うよ。戻りたいって意味じゃなく - 一回体験してるんだからな - それまでは全てが新鮮だったんだ。それから後は、かかってくる電話は全部レコード売り上げのことばかり。今では次の5年間で何が起こるかわかってるし、こ の5年間も全て想定内のことばかりだった。ネブワースまでは、何もかも新しかったんだ。二日酔いになったこともなかったね。今じゃギネスの缶を見て確かめ て頭痛にさいなまされる有様。この夏にリムジンでウェンブリーに行けば、ロックスターの気分に浸れるだろう。でも当時はそんなこと感じちゃいなかった。い つも気持ちが落ち着かなかったね。
後悔していることはありますか?
ノエル:アメリカだな。しくじった。アメリカでの俺達のレコード会社が、リアムがMTV Awardsで口から盛大によだれを垂らした日限りで、文字通り俺達に別れを告げた。それで終わりさ。それまでは、アメリカで順調にアルバムを400万枚 売り上げていたんだ、イギリス以上に売れてたんだぜ。あそこでThe Beatlesを超えることだってできたんだ。なのに、リアムはその栄光を手にするには自分は力不足だと思ったらしく、全てをぶっ壊しにかかった。例の情 緒不安定が大暴れさ。俺は情緒不安定じゃない、それはみんな納得するはずさ。あいつにできることは結局後ろに控えて、サングラスをかけて、黙り込むことだ けだった。