標準OASIS学

UKロックバンド、OASISのブログです

フットボール

Noel Gallagher - Football 365 - 2009/07/25

「ジョン・テリーは前から好きじゃなかった。あいつ、目が変だし泣き虫だし、しかもロンドン出身なんだぜ。アデバヨールも気にいらねえな。コーナーフラッグのところでやるあのアホみてえなダンスは何なんだ」。

ノエルがジョン・テリーのことを買っていないことはわかっていただけただうが、今回語ってくれたのはこれだけではない。

マン・シティの天下を諸手を挙げて歓迎している彼は、選手の獲得にどれだけの金額が費やされているかは全く気にならないらしく、さらにステファン・アイルランドをこよなく愛しているのだ。

シティファンにとっては興奮を抑えきれないでしょうね。リー・ブラッドベリやショーン・ゴーターの時代に戻りたいとは思わない?

ノエル:全然。今が最高に良いよ。シティファンの99.9%が同じことを言うと思うね。愛すべきシティなんてのをサポートするのにはうんざりなんだ、どう かしてるぜ、俺達は世界一の選手達が欲しいんだよ。世界一リッチな連中が運営する世界一のスタジアムで世界一のフットボールを見せてくれる選手たちがな。 イギリス人ってのはおかしな連中でさ、一瞬で態度が一変するんだ。俺はロンドンに住み始めて15年になるけど、俺がブラック・キャブに乗って姿を見せると 騒ぎ始めるのさ、「あ!あんたシティファンだろ、俺達もシティ大好きだぜ」。それで続けて思うわけ、シティファンの分際で金持ちになるとは生意気だと ね。成功することや金を儲けることに対するイギリス人の考えってのはおかしなもんだよな。今の経営陣が計画を断固遂行するのをみるのが嬉しくってさ。金を 使うと言ったら、本当にそうしてる。しかも「1シーズンで使い捨て」じゃないことははっきりしてるよな。だって、その次、さらにその次のシーズンまで保障 しなけりゃ、ここまで選手たちと契約を結ぶことはできないだろ。

選手一人に対して1週間あたり20万ポンドを支払うことになっても、かまわないと?

ノエル:もしも、マン・シティが株式会社でしかもあいつらの給料に当てられるのが俺の金っていうんなら、話は違ってくるさ。ぶちキレるね。でも嬉しいか な、俺の金じゃない、お前の金でもない。金の使い方を指図する権利は誰にもないだろう?シティファンとして俺達はこの状況を楽しむだけさ。俺がムカつくの は、みんなが金のことばかり問題にすることだよ。先日新聞を読んだら、エマニュエル・アデバヨールが6500万ポンドで契約を結んだと書いてあった。ふ ん、実際はそんな金額じゃない、だろ?でも、シティのことだから、金のことばかりあげつらって下卑た話題に仕立て上げたんだ。ロナルドがマンチェスター・ ユナイテッドといくらで契約したかは誰も話題にしないのにさ。この前思わず嬉しくなったのはさ、カルロス・テベスと契約しただろ、その時にSky Newsを見ていたら、あるシティファンがこう言うんだ。「俺がサポーターになってからシティは一回も優勝できなくて、ユナイテッドファンの友達にバカに されてばかりいたんだ。テベスと契約できた今日が俺の人生最高の日だ」。金じゃないんだよ大事なのは。

誰と契約した時が一番嬉しかったですか?

ノエル:そうだな、シェイ・ギヴンと契約した時は倒れそうになったね。プレミアリーグで一番のゴールキーパーだから。それからギャレス・バリーだな。お見 事と思ったよ、なんせ彼は貴重な人材だろ、センターバックもミッドフィルダーもできるレフティだぜ。テベスも特別だな。だって90分間でやつは100%の 力を出してみせるんだ、ケヴィン・キーガンみたいにさ。あいつが努力して勝ち取ったんなら、シティが獲得するのにどれだけ払ったかなんて気にならないね。 でも誰であろうが、俺の中ではステファン・アイルランドが一番だ。あいつはファッキンブリリアントだぜ。

ジョン・テリーは欲しくない?

ノエル:いらない。俺はジョン・テリーが好きじゃないんだ、好きだったこともない。まず目がおかしいし、すぐ泣くだろ。しかもロンドン出身だし、契約に乗 り気になったとしてもあいつの目的は金だけだ。アデバヨールの契約もお流れになってほしいな。アデバヨールはマジで気に入らねえ。コーナーフラッグのとこ ろでやるあのアホみてえなダンスは何だ、さっさと握手を済ませてゲームに戻れって思うね。俺達にはすでにロケ・サンタ・クルスっていう同じポジションで良 い仕事をしてくれる選手がいる。そうさ、テリーはいらねえ。むしろほしいのはジョレオン・レスコットかな。プレミアリーグでセンターハーフとして戦った経 験のある選手が必要だと思うんだ。あの位置にイタリア連中を遊ばせておくのも癪だろ。あとマティ・アプソンも目をつけてる。どっちかは欲しいよな、できれ ばどっちも。聞いただろ。今俺はレスコットかアプソンが欲しいと言ったんだぜ。18ヶ月前はユニフォームをどうにかしろと言うことしかできなかったっての に。

今シーズンはどこまで狙います?

ノエル:プレミアリーグではまだ結果は出せないと思うね。タイトルは手に出来ないだろうけど、4位から6位で終われたら順当だ。そこまで持ってこれなかったら、マーク・ヒューズは責任を問われることになるだろう。

彼に、シティを率いていくことができると思う?

ノエル:どうだろうな。俺にはどうしても、運営陣がユニットを組んで候補のところに乗り込んで契約を結ぶ姿しか思い浮かばねえんだ。もしそうなら、今すぐ ジョゼ・モウリーニョに掛け合ってほしいね、もしジョゼに断られたら次はフース・ヒディンクだ。何が嬉しいって、今世界のフットボール界で盛り上がりを見 せている二つのクラブが、マン・シティとレアル・マドリードってことだよ。みんな俺達の次の動向に釘付けだろ。ほんと最高だよな。俺達みたいなクラブは金 が底をついたらどう生き延びるのかとか何とかふざけたこともたくさん書かれているけど、でもそれが何なんだよ?俺は4歳からマン・シティを応援してきた し、もしフットボールカンファレンスまで落ちたとしても応援し続けるぞ。だから、今この時を楽しめよってことさ。

Noel Gallagher - Manchester City Magazine - January 2009

ノエル・ギャラガーが、マンチェスター・シティ、ゲオルギー・キンクラーゼ、そしてリバプール・フットボールクラブを嫌う理由について語る。

世界的に有名なミュージシャンの一人であり、かつ幼い頃より根っからのマン・シティファンであるノエル・ギャラガー。City Magazineはついに、ノエル・ギャラガーを捕まえ、いくつかの疑惑を晴らし、新たな事実を聞き出すことに成功した。

8年間。

8年間かけてEメールを送り、電話をかけ、第3者を通してメッセージを送り続け、やっとのことで、我々はノエル・ギャラガーにインタビューを行うことに成 功した。2001年、City Magazineの編集者という立場に戻ってきてからというもの、私がやりたかったことの一つが、読者に代わってノエル・ギャラガーと話し、マンチェス ター・シティ/OASISの独占インタビューを実現することだったのだ。

1990年初めからのOASISのファンである私が、この機会を逃すわけがない。「Live Forever」や「Don't Look Back In Anger」、「Masterplan」、「Cigarettes And Alcohol」を書いた本人と話をすること、とにかくそれが私の夢だった。

私はノエルと同じ年で、幼少時代を過ごしたのもすぐ近く、そして同じくマン・シティを追いかけてきた。悲しいかな、彼との共通点はここまでである。しかし これだけでも、打ち解けるには十分であり、夢のような電話インタビューのあと、私は受話器を元に戻し、テープを聞き、しっかり録音されていることを確認し て、ようやくほっと胸をなでおろしたのだった。ノエルも私やみなさんとそう変わらない人間であることを知って安心したというのが第一の感想だ。もっと早く に話せたらよかったのにと。

昔気質で、気取らず、率直なノエル・ギャラガー、その評判を実感したインタビューだ。35年前にマン・シティに夢中になってからというもの、彼は今でも変わらず熱いシティファンである。

ノエル・ギャラガーの愛すべき魅力を、レノンやマッカートニー以来の英国屈指のソングライターかつシンガーであるミュージシャンとしての才能を除いて挙げ るとするなら、そのトークセンスだろう。確かに、彼の物言いはぶっきらぼうだ。しかし70年代にバーニッジの公共団地で育って厳しい中等学校時代を過ご し、失業手当をもらう身から、一気に過去20年において最高のバンドの頭脳に成り上がるために戦わざるを得なかったのならば、誰しもお高くとまってなどい られないではないか。5千万枚のアルバムを売り上げた彼は、いまや誰と話すか、もしくは話さないか自由に選べる立場にいる。そこで私はインタビューの最初 に、貴重な時間を割いてもらったことに感謝し、ずっとインタビューをするためにアタックし続けてきたことを話したのだ。

「そうなんだ?初めて聞いたよ」と、ノエル。

これはつまり、私の長年に渡るお願いは、ノエルへとたどり着くまでの最初のハードルすら飛び越えられなかったということを意味する。しかし、City Magazineをはねつけてきたのがノエル自身ではないことを知って少し嬉しかったのも事実だ。私達から声をかけられて、彼がYesと言わないはずがな い。

それなら話も進めやすい。その時、リッキー・ハットンにベルトを渡すためにリアムと共にラスベガスに飛ぶ予定だったノエル。来夏にはHeaton Parkを初めとするビッグなスタジアム・ツアーを控えている。

ニューアルバム「Dig Out Your Soul」は、売り上げを伸ばし続け、OASISはこれからも健在であることが証明された。ノエルとリアムが、これからもマン・シティを応援していくように。ノエルに、マン・シティを応援し始めた時のことを聞いてみた。

「俺の記憶では、1971年のメインロードでマン・シティがニューキャッスルを5-1で降した時だったんだけど、最近確かめたら、その試合は1975年1月に行われたらしいな」。

「その時俺は7歳。マルコム・マクドナルドがニューキャッスルにシュートを放って、ボールがクロスバーに当たってゴールに入ったんだ。覚えてるゴールはそ れだけだが、鮮やかに思い出せるよ。で、インタビューで聞かれるたびに、この試合が最初と答えてきたから、本当に1971年だったのかちゃんと確かめたほ うがいいなと思って調べたら、マン・シティがニューキャッスルをそのスコアで降したのは、1975年だけだった。それより前に試合を見に行ってた可能性も あるけど、俺が思い出せる最初の試合は1975年のやつなんだ」。

30年のシティに失望させられたことにより、ノエルの父トミーがメインロードから他の親戚の待つオールド・トラッフォードへと寝返ってもおかしくはなかったのだが、反抗することがとりえのギャラガー家の男たちは、流行にも背を向けた。

「アイルランド人らしいだろ、俺の父方の親戚は、俺の父親とその3人の息子、俺、ポール、リアムを除いて、全員マンUを応援してたんだ。200人対4人だぜ」。

「どうして親父がマン・シティを選んだのかはわからない。ロマンチックに考えるなら、あのチームが俺達の住む地域を担ったチームだからだろう。俺達はロン グサイトで生まれ育ったが、それ以外の連中はマンチェスター出身じゃない。ロングサイトからメインロードまでは歩いて30分くらいで行けたことも理由とし て大きいかな。7歳では、自分がどのチームを応援していいのかもわからないし、どのクラブを応援しようが別にこだわらないんだ、ただ試合会場にいるという だけで興奮してたからね。手すりが眼下のピッチ近くまで続くキパックスは7歳の子供にとっちゃ特別な場所だった。父親が子供達を連れて行く場所といったら そこで、俺もそこに座らされたよ。周りには同じ年頃の子供がたくさんいて、親父はハーフタイムとゲーム終了後に俺達の様子を見に顔を出すんだ。そんな感じ さ。今じゃもう経験できないけどな」。

「毎週は連れて行ってもらえなかったけど、マン・シティ・エリアとも呼ぶにふさわしいバーニッジに引っ越したんだ。ロングサイトのセント・ロバートから
バーニッジのセント・バーナードに移ってからだね、俺の中で何かが変わり始めたのは」。

「晴れた夜には、新しい家の自分の部屋から、メインロードのまばゆいライトが見えた。シティが週半ばに試合をする時があって、そんな時はピカディリー・ラ ジオで試合を聞きながら、そのライトを眺めて『今まさにあそこで試合をしてるんだ』と思ったもんだよ。あの場所で起こってることなんだってね。試合解説で 『ゴール!』とか『ああ!』という叫びが入ることがある。『ああ!』がシティの敗北を意味した時には、震え上がったりしてさ」。

ノエルとリアム、そしてポールが、アッシュバーン・アベニューにある自宅から3マイル先のメインロードまで歩いて通うようになるまで、大して時間はかから なかった。母親のペギーがトミーと別れた後は、友人と共に試合を見に行くことだけが、シティファンとしての毎週の日課となる。

「初めて自分達だけで試合を見に行ったのは、中等学校に入ったころだったと思う」と、続けるノエル。

「何人か連れ立ってね。ずっと会ってないから名前までは思い出せないけど、6,7人でメインロードまで1時間かけて歩いていった。10代になりたての頃だったよ」。

ギャラガー兄弟が将来フットボール選手を夢見たことはあったのだろうか?ノエルはその頃から自分が将来その場所に違う形で戻ってくることを予感していたのだろうか?

「フットボールが得意だったかって?」。そう言うとノエルは、考え込んだ。

「クロード・マケレレがチェルシーでミッドフィルダーの座を自分のものとするまで、『ミッドフィルダーと言えばバーニッジのギャラガー兄弟』だったんだ。 でもやつにその名を奪われちまったな。ミッドフィルダーって言葉が生まれる以前から俺はミッドフィルダーだったんだぜ。俺がミッドフィルダーの地位を打ち 立てたと言ってもいい」。

「センターフォワードになろうなんてつまらねえことを思ったことは一度もないね。ゴールを決めていくうちに、ミッドフィールドにいた方がボールが回ってく ることに気付いたのさ。ディフェンスやフォワードになるには身体が小さかったから、ミドルのどこかにいようと思ったわけ。もちろんリアムは、簡単なボール ばかり回してもらってゴールするだけの汚ねえセンターフォワードさ」。

時が流れ、ノエルのキャリアや名声は、バーニッジにあるクリングル・フィールズの知名度を追い越さんとし、シティの選手達はメインロードで彼の夢を叶えていった。

「コリン・ベルやデニス・テュアート、マイク・サマービー、ゲイリー・オーウェン、スティーヴ・マッケンジー、ポール・パワー、ジョー・コリガンみたいな 選手のプレイを目にすることができて本当に幸運だったよ、あのスカイブルーのラウンドネック・ユニフォームでプレイする彼らをね」。

「俺にとってのヒーローはベル、そしてテュアート、それからピーター・バーンズ。それ以降は少し低迷するんだよな。バリー・シルクマンが登場したが、やつ のプレイは手段を選ばなかったから俺の好みじゃなかった。ポール・スチュワートが、たぶんシティで20得点を挙げた最初のストライカーだが、すぐに他の チームに叩き売りされちまった。デイヴィッド・ホワイトに夢中になったことはないな。俺にとってはどうでも良かったね」。

「ゲオルギー・キンクラーゼを皮切りにアリ・バーナビアやショーン・ライト・フィリップスとかが出てくるまではそれほどはまってはなかったんだ。ヒーローと呼べるほどの選手があまりいなかったんでね」。

仕事や家族のために、以前ほどホームでの試合を見ることができなくなってきたノエルは、最近ではバーミンガムの南で行われるアウェーでの試合を見ることの方が多くなってきたが、全ての試合を見に行った時期もあったそうだ。

「12歳から21歳頃まで、欠かさず行ってたよ」と、彼は回想する。

「1983年、下のクラスに落ちてから初めてのシーズンは、ホームでもアウェーでも必ず見に行った。当時は、フットボールファンが国中を回るのにおあつら えに交通の便が良くてさ。というのも俺達の半数は失業手当暮らしなもんだから、メインロードには普通の半分の値段では入れたし、Inter Cityで、列車の旅も簡単に出来た。だから80年代初頭はクラブを追いかけるのもそう高くはつかなかったんだよ。それに今は何と呼んでるかわからない が、昔でいうセカンド・ディヴィジョンにいるチームはほとんど北部のチームだった。毎週特にすることもないから、列車に飛び乗ってハッダーズフィールドや ブラッドフォード、バーンズリーに行くこともちょろいもんだったのさ」。

「メイン・ライン・クルーやヤング・ガヴァナー、アンダー・ファイヴズの連中で知ってるやつもいたよ。そこらへんには詳しかったし、今も会うことがある。マジでやばい時期だったんだよな、でもあの頃のフットボールは今と比べれば、ほんと手付かずだったと思うよ」。

「最近のスタジアムはどこもライトでまぶしく輝いているが、20年前俺達が通っていた頃は危険な場所で、特にリーズでのナイトゲームなんかは、無傷で家までたどり着けるかもわかんなかったんだ。だいぶ変わってきてる」。

将来を見越して、キパックスでチームを応援するための歌を作らなかったのだろうか?

「それはなかったな」と、ノエルは笑った。

「酔った勢いで、一度キパックスで即興で歌ったことはあったよ。『どこに行こうと・・・』とかそんな感じのをさ、そしたらみんなも一緒に大合唱だ。それで 『こりゃ良い!』と思ったわけ。もしかしたら、俺のソングライターとしてのキャリアはキパックスの裏から始まったのかもしれない。あの場所で、合唱の醍醐 味を知ったんだ」。

70年代のキパックスの盛り上がりは、ノエルに影響を与えたのかもしれないが、栄光への道は、彼が見よう見真似でギターを練習しはじめた時から始まった。 ノースウェストでカルト的人気を持つバンドのローディとして経験を積んだ後、ノエルはリアムのバンドThe Rainに加わることになる。

「1991年にOASISを始めて、それまではInspiral Carpetsのローディをしてたんだ」。

「グラハム・ランバートは、オールドハム・アスレチックのファンだった、当時たいていのバンドがそうだったようにね。クリント・ブーンはそこまで熱を上げ てなかったと思う。でもオールドハムのファンはやっぱり結局シティのファンなんだぜ - 俺がこれまで会ったオールドハム・ファンはこう言うやつばかりだったんだから。『俺は本当はマン・シティのファンなんだ、ただ家がホームから遠くて さ』」。

「マン・シティのファンになった時は、確かチームがファーストディヴィジョンにいた時だったと思う、でもお察しの通り、常に上がり下がりの波が激しかった。
でもオールドハムと試合をすると、何でかホームの試合でも負けるんだ - 絶対にね」。

レノンとマッカートニーを敬愛するならば、彼らと同じリバプールのファンになろうとは思わなかったのだろうか?

「実は」と、ノエル。

「俺の父親がリバプールで働いていた時があって、仕事柄アンフィールドに時々行くこともあったんだ。リバプール・ファンの友達もたくさんいるし、リバプール人は大好きだよ、でもリバプール・FCは癪にに障ると言わざるを得ないね、特にこの10年は」。

「金をばらまきつつ生み出した名プレイヤーは、ジェイミー・キャラガーとスティーブン・ジェラードだけ。今ようやく3人目のフェルナンド・トーレスが出てきて、リーグを制覇する勢いときた」。

「この嫌悪感の原因はたぶん、70、80年代まで遡るんだよな。リバプールがメインロードにやってきて、俺達を1-0、2-0、時には4-0と、毎回のように打ちのめしやがってさ」。

「おかしなことに、2,3年前休暇でイビサに行ったら、ケニー・ダルグリッシュの息子、ポールと偶然会ったんだ、俺が『お前の父さんはすごいな』と声をかけると、『今から電話をかけるからちょっと待って』と言うのさ。そして電話で長話することになった」。

「俺が『試合前の選手紹介でケニーという名前が読み上げられないかびくびくだったぜ』と話すと、ケニーは『メインロードはとても広くて、国内でも最高級の スタジアムだったから、プレイするのは大好きだった』と言ってくれた。『雰囲気は最高で、ファンの盛り上がりも素晴らしかった。フットボールにはこれ以上 ない場所がもうないと思うと残念だ』とね」。

「だから、俺は『それはいいんだけど、シティ・ファンはあのスタジアムに良い思い出が一つとしてないんだぜ。あのピッチで上手くプレイする方法をとうとうマスターできなかったと思うとな!』と言ってやったよ」。

皮肉なことに、1996年OASISがメインロードで伝説となるコンサートを行った後、マン・シティを降格へと追いやったのは他でもないリバプールだった。

当時、マン・シティとOASISはお互いに賞賛し合うことで互いの宣伝効果を高め、双方ともその図式に酔っていた。写真撮影、コンサート、ファッション。 音楽とフットボールの融合。相手は世界を手中に収めようとしていたOASISとくれば、シティはこの機会を逃すわけには行かなかったのである。

「最高だったぞ。ギャラガー兄弟がシティのスポンサーとなり、シティと俺達が一緒に紙面に登場するようになった。カメラマンは、ギャラガーと名前の入ったシティのユニフォームを着けろと絶えず言ってきた。シティとの最初のつながりはあの時に始まったんだと思う」。

「ユニフォームを着けてケヴィン・カミンズと一緒に、写真を撮ったこともある。あの有名な写真だよ。初めての日本ツアーをやる頃には、俺達はあれを着けて るのが当たり前だと思われてた。OASISシャツかなんかと思ってたんだろうなきっと。その後フラニー・リーに、日本でシティのシャツがどれくらい売れた のか聞いたら、
注文が殺到したからメールでのオーダーを受け付けてる状態だと言われたよ」。

「コンサートにはたくさんのファンがやってきて、『Brother』のロゴだけを入れた大きな垂れ幕を作ってきてるやつもいたぜ。俺が思うに、バンドと何 か関連があると思ったんだろう。でも実際俺はクラブのバッヂに入ってる船や赤い薔薇がどういう意味かもわからねえんだ。ファンもきっと首をかしげてただろ うさ」。

では、シティを公に応援するという方針は、将来的なレコード売り上げの伸びを見込んだ上での作戦だったということ?

「初めのうちは『これでマンチェスターの半分を占めるマンUファンを一挙に敵に回すことになるぞ』と思ったが、考え直したんだ。『だから何だって言うん だ?マンUは無敵でトロフィーだってたくさん獲ってるけど、俺達は一文無し、シティ・ファンは一文無しなんだ』。ってことで、堂々と旗を掲げたのさ」。

ノエルとリアムの力により、神聖なるメインロードへと転向する者が増え、アダム・パークやブーザム・クレッシェントで男達がたむろする光景が普通に見られ るようになった。そのシティと言えば、イングランド・フットボールの最下のディヴィジョンを低迷し続けていたが、ノエルが指摘するように、シティが失墜す ればするほど、観衆の数は増えていったのだ!

「いつも思うんだが、あの時がマン・シティ復活の時だったんだと思うよ、どういう風の吹き回しか、シティを応援するファン層が総入れ替えされたんだ。こう思ったこともあった。『サード・ディヴィジョンだぞ、物心ついた子供がそんなチームを応援したがるか?』ってね」。

「学校で言うには恥ずかしいかもしれないが、理由はともかく、シティがサード・ディヴィジョンであがけばあがくほど、応援する人の数は増えていったんだ。 OASISがそれに加担したかどうかは、知らないけどね。その頃はアウェーの試合をよく見に行ったよ。バッキンガムに住んでて、シティはウィコム, コルチェスター、レディングみたいなところで試合をしてたんで、行きやすかったのさ。『ああ、そういやボーンマスは初めてだな、シティが明日試合だってい うし、ボーンマスにまた行ける機会もそうそうないだろうから行ってみるか』ってな感じでね」。

ノエルにとってのヒーローの一人であるゲオルギー・キンクラーゼがチームにやってきたのは、シティの存亡がかかったちょうどその頃だ。

「シティにはいつだってキンクラーゼみたいな選手がいるんだ、輝ける天才ってやつさ。これがシティの戦略さ、1人の天才、そのプレイを見守る残りの6人。 ユナイテッドだとデイヴィッド・ベッカムがいるが、同時にロイ・キーンがいるだろう。今俺達に必要なのはそういう選手なんだ。ブラジル人たちに好きにさせ ない選手がね」。

「彼がやってきた時のことを覚えてるよ。クラブの関係者から電話をもらって、ジョージアンと契約したって聞いたんだ。誰だってと聞き返したが、やつと来た らゲオルギーの名前を正しく発音することすらできなかった。だから、そいつが選手として良いのか尋ねると、ジョージア対ウェールズの試合のビデオを見て獲 得することを決めたと言う。ゲオルギーの活躍で相手チームが完敗した試合だよ」。

「やつが対トテナム戦でデビューするのを見るために、ロンドンから飛んだんだ。テリー・ヴェナブルズの隣に座ったよ、解説とか何とかやってるあいつ、わかるだろ」。

キンクラーゼのデビュー戦を見たノエルが、シティはヨーロピアン・カップで優勝するか、ディヴィジョン・フォーに転落するか二つに一つだと言ったのは、有名な話だ。残念なことに、彼はおおよそ正しかった。最悪のシナリオへと近づいてしまったのである!

「キンキーを初めて見た時は、『こりゃこれまで最悪か最高かどっちかだな』と思ったよ」と言って、ノエルは笑った。

「どっちかわからなかったんだ!シティはいつでも極端だろ」。

「それで2,3年後、アリ・ベナルビアを獲得した時は『こいつは一体何者だ?』さ。俺の脳もだいぶ擦りきれてきてるが、もし今の時代で天才を一人選べといわれたら、アリにするよ」。

「ショーン・ライト=フィリップスを世界に通用する選手に仕立てあげたのは彼だ。キーガン下でのアリとショーンは最高だよ、5人制フットボールでしか見れ ないようなプレイをする。ベルコビッチ、アリ、そしてショーン・ゴーターがいた頃のシティは、俺がこれまで見てきた中でも最高のプレイをしていた。確かに 下のディヴィジョンかもしれないが、時々俺達が見せるプレイは信じられないくらいに輝いてるんだよ」。

Noel Gallagher - XL Repubblica - October 2008

ノエル:「The Turning」は、The StoogesがThe Stone Rosesの「Fool’s Gold」をやった感じで、「Bag It Up」は、The Pretty Thingsが「Strawberry Fields Forever」をやった感じだな。「Waiting For The Rapture」はThe Doorsがジョン・レノンをやった感じで、全体としてグルーヴィな出来になってる。でも特別新しいことをしたってわけじゃない。それにジャーナリストに 俺が説明したことが、本当に俺の考えかどうかは別の話だ。俺にとっては全くどうでもいいことだがな。

「グルーヴィ」というのは、踊れるという意味ですか?

ノエル:バカだな、なわけねえだろ。そういう意味じゃない。マイケル・ジャクソンじゃあるまいし、俺は踊り方なんて知らないよ。

歌詞を書く作業というのは、あなたにとって今でも辛いものなのでしょうか?

ノエル:良い詩を書くにはそれ相応の苦しみが付いて回るものだが、俺はそれを受け入れるような惨めな人間じゃない。バンドをやっていくため、楽しい時間を 過ごすために書く、これ以外の目的で俺が詩を書こうとしたことはない。もし最高の詩人と最高のソングライター、どっちか選べと言われたら、迷わず後者を選 ぶよ。例えば、ボブ・ディランはとても美しい詩を書くが、美しいメロディを書く方法までは教えてくれねえしな。

アルバムでは、「ブライアン・イーノの呪い」を避けたようですね。つまり、音楽を作る前にコンセプトを決めることはしなかった。

ノエル:テーブルを囲んで「踊れるレコードを作ろう、あれを作ろう、これを作ろう」とはやらなかったさ。イーノは俺達とは仕事にならないだろうね。あっち もやりたくないだろう。あいつはロックに興味がない、だろ?アートスクール系の音楽を作るのさ。やつと同じような考えをしたミドルクラス向けのな。

コールドプレイは彼と仕事をしましたよね?

ノエル:コールドプレイは好きだよ。

他に好きなバンドは?

ノエル:Black Mountainっていうカナダのバンド。MGMTも少し気に入ってる。あと、The Raconteurs、The White Stripes、The Kinks Of Leon。

エイミー・ワインハウスは、あなたとリアムの黄金期よりも、プレスに騒がれているように見えますが、何か言いたいことは?

ノエル:さっさとレコードを作れと思うよ。声は素晴らしいが、興味を引きたがってるようにしか見えないぜ。そういうのはプレスからすぐに飽きられるんだ。

マリリン・マンソンについては?彼とはマッドな夜を過ごしたと聞きましたが・・・。

ノエル:マンソンは好きだよ。音楽は違う。ゴシックファッキンデスメタルは、もちろん俺の好みじゃない。でもやつには力があるだろう、しかもOASISの ファンだ。ベースのTwiggyは以前から知っていて、彼からロサンゼルスでのギグに誘われたんだ。アブサンで酔っぱらってた俺達の元にマンソンもやって きて、ぶっ飛んだ夜だったぜ。

OASISは再び4人になりましたね。ザック・スターキーが抜けた理由は?

ノエル:ザックの家族の都合でさ、何事にも優先順位があるからね。

わかった。喧嘩をしたんですね?

ノエル:プレスがそういう風に問題を大きくするのを見るのは面白いが、違う。そういうことはなかった。

今のドラムは、ロビー・ウィリアムズと仕事をしていたクリス・シャーロックですね。

ノエル:昔からの知り合いだよ。ザックの次に候補に挙がってたんだ。

ロビーのドラマーだったという理由で、リアムが受け付けなかったというのは本当?

ノエル:俺達の間でのジョークさ。

ロビーとは今でも友人なの?

ノエル:友人?冗談だろ?

Take Thatを抜けてから、よくあなたと一緒に写真に写っていたじゃないですか。

ノエル:違うぞ、よく聞け、あいつはリアムのダチだったんだ。何回か酒を飲んだことはあるが、それくらいで友達だとは言いたくないね。

あなた方の愛するフットボールチーム、マンチェスター・シティがアラブの王族に買収されましたね。あなたにも買えたでしょうに。

ノエル:みんな俺がどれだけ金を持ってると思ってるんだ?それだけの金が手元にあるわけないだろ。

では、何にお金を使うんですか?家?車?

ノエル:イビサの家は売ったよ、全然使ってなかったからね、50に近づくってのはちょっと悲しいもんだ。家はロンドンと、あと郊外に一つある。自動車免許を持ってないから、車は買わないよ。

マンチェスター・シティにいたイタリア人選手、ロランド・ビアンキが、トリノに移籍しましたね。

ノエル:あいつか、あまり活躍しなかったからな。イギリスの早いフットボールよりもイタリアの方が合ってるんだろう。会ったことはないよ。イタリア人選手 で個人的に知り合いなのは、アレキサンダーのデル・ピエロだけだ。2006年のワールドカップでイタリアが勝っただろ。最高の思い出だぜ。イタリアのファ ン達の間で見てたんだ。イタリアがドイツを2-0で負かした。これまで見たことがないくらいの完璧な試合だったよ。

ファビオ・カッペロが2008年からイングランド代表の監督に就任しましたが。

ノエル:時間の無駄だ。あのチームは手の施しようがないんだよ。すぐにやめたくなること間違い無しさ。もしイングランドでも最高の選手を11人集めたとし ても、望み無しだね。一番最後に俺達がワールドカップで優勝したのは1966年だぜ。それなのにどうして今でもイングランドが「ああ、フットボール。お お、フットボール」と、フットボールに熱狂的なのか理解できねえよ。つまり言えることは、イングランドのチームは最低ってことだ。アルゼンチンは5回優勝 している(...実際は2回)、ドイツもそうだ(...実際は3回)、イタリアは3回だ(...実際は4回)。1回しか優勝していないのはファッキンイン グランドくらいなんだよ。
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