Raise Our Vs!

Paul Gallagher - Myspace - December 2009

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The Beatlesが、脅威の実験作「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」を発売し、ジミ・ヘンドリックスが、ロンドンのAstoria TheatreでFender Stratocasterに初めて火を放ち、エルヴィス・プレスリーが、L.A.で21歳のプリシラ・ボーリューと結婚し、チェ・ゲバラが、ボリビアで内乱を煽動したとして処刑され、グラスゴー・セルティックが、初めてイギリスのフットボールチームとしてリスボンでミランを2-1で叩き潰し......そして、ノエル・トーマス・ギャラガーが、マンチェスターのロングサイトにあるサンディクロフト通りの2番地で生を受けた。

その年、1967年は、過去40数年の輝かしい歴史と比べれば、絶頂の瞬間ではなかったかもしれない。しかし、ノエル・ギャラガーの作曲に関する天賦の才は、彼が単なる一市民を超える存在になることを約束していた。

これは書き留めておくべきだろう。ノエルは、マンチェスターの質素な家に住むギャラガー家にとって初めての子供ではなかった。長男という名の称号は、その上の兄、ポール・アンソニー・ギャラガーが得ていたのである。

ノエルとリアムのような有名で成功した弟を2人持つということは、90年代半ばから終わり、つまりOASISが音楽界の至宝だった時代においては、障害物だったと言えぬこともない。Joy Division、The Smiths、Happy Mondays、The Stone Rosesといったマンチェスターの偉人達の姿を追うように、OASISは他のどの都市のライバル達よりも多くレコードを売り続けた。

ポールは、あっという間に弟達がタブロイドのネタとなっていく様子を目の当たりにした。パロディじみた兄弟喧嘩を繰り返す「ノエルとリアム」が、描かれた。MTVが、「セレブリティ・デスマッチ」(有名人同士が、リングの上で激しく無意味な過激なバトルを繰り広げるクレイアニメ)向けに、タチ悪く酔っぱらったマンキュニアンの無骨者に仕立て上げた粘土人形を作りたいと申し出たら、有名人の地位が手に負えない状況になってきた時なのだ。

実際、コントロール不能だった。1996年、ネブワースで25万人のファンを前に、OASISが人気の頂点に達した時、ポール・ギャラガーは、次のように書いている。

「プレスの過剰報道が熾烈さだけならまだしも見当違いがいよいよはなはだしくなった。私は、言うべきことは言い、それからはもう放っておくことにした」。

当時、イギリスのプレスは、ノエルとリアムの生い立ちや母親との関係を些末なことまで発掘しようと躍起になっていた。プレスの作り上げた劇の中で、母親ペギーは、映画「ザ・クレイズ 冷血の絆」の中の母親バイオレットのように威厳あふれる女性に、長男であるポールは不当にもギャラガー家の厄介者として登場し、そして兄弟と疎遠な父親トミーは自ら暴力を振るう人間嫌いな男を演じてみせた。この13年で、ギャラガー兄弟と父親の関係に何か進展はあったのだろうか?

「何も変わってない。俺達の間に関係なんてない。これまでもこれからもだ」。

3人兄弟の中で、たぶん驚くべきことだろうが、ギターを最初に手にしたのはポールだった。が、すぐにたなざらしとなり、8歳のノエルが練習をし始め自分の部屋に持ち込んでしまう。ひきりなしに聞こえてくる弟が弾くギターの音からどうにか逃れようとしていたポール。

「俺はノエルと部屋を共有したことはないけど、リアムはしていたよ」。

ほかの事はともかく、OASISファンはポール・ギャラガーに感謝するべきだろう。後に「Live Forever」や「Wonderwall」を作り上げる男に楽器に触れるきっかけを与えたのは、まぎれもなく彼なのだから。

すぐに「ノエルには勝てない」と気付いたポールは、楽器を弾くことをあきらめ、「やるべきことをわかってる連中に楽器は任せることにした」。ノエルとリアムが成功する姿を見て、自分もとは思わなかったのかと尋ねると、ポールはあっさり退いた。「いや、あの『バス』に乗ろうとは思わなかったね」。

一方のノエルは、その「バス」から決して降りようとはせずギターの練習を続けて演奏と作曲のスキルを身につけ、その勢いは、リアムがしていたバイオリンの習い事が陰に隠れてしまうほどだった。働いていたガス会社で、足の上にガス本管が落ちて怪我をしたことをきっかけに倉庫番に回ったノエルは、仕事場にアコースティックギターを持ち込み、ポールが次の仕事を見つけてくるまでには、立派なギタリストに成長していた。

労働者達にナットやボルトを渡す作業をしている頃だった。ノエル・ギャラガーは、後にOASISのデビューアルバムに収録されることになる4曲を作り上げる。ノエルの初期の曲群の素晴らしさに、ポールは気付いていたのだろうか。

「もちろんさ。良い曲ってのは聴いたとたんにわかるよ。曲の力を強めるのは他の人がやる仕事さ...そしたらこうなった!」。

その頃にはすでにたくさんの名曲を書き上げていたノエルだが、まだその才能は世の人の知るところではなかった。彼は、80年代半ばに一時Fantasy Chicken and The Amateursという5人組バンドで、ポール・バーズリーと演奏し、21歳になった1988年には、Inspiral Carpetsのフロントマンのオーディションに参加したりしていた。

The Charlatansのヴォーカル、ティム・バージェスやノエルを抜いて、合格したのはトム・ヒングリーだ。ノエルは代わりにローディ、楽器の技術者としての仕事をオファーされる。これは、重大なミスといっていいですよね?

「もしノエルがInspiral Carpetsのヴォーカルになっていたら、OASISはきっと生まれなかっただろうさ。願いことは慎重にしたほうがいいね」。

ノエルがInspiral Carpetsのツアーメンバーから抜ける頃には、弟リアムは、エレクトロミュージックやヒップホップから抜け出してギターミュージックに興味を持ち始めており、The Stone Rosesの熱狂的な支持者となっていた。

「Spike Islandで、リアムはThe Stone Rosesを見たんだ。イアン・ブラウンは彼からしてみれば、特別なところはない普通の男に見えた。それで、自分なら同じこと、いや、それ以上のことができると信じるようになったんだ」。

ポールはというと、80年代をマンチェスター市警察で働き、1989年から1990年にかけてマッドチェスターの快楽主義にはまっていく仲間達を横目に、酒と煙草にふけっていた。

「Manchester International 2とかBlackpool Empress Ballroom、それにSpike IslandでもSton Rosesを見たよ。輝ける日々だったね」。

ポール・アーサー、トニー・マッキャロル、ポール・マッギガンと一緒に組んでいたヴォーカルのクリス・ハットンが抜けて空白が出来たバンドThe Rainに、リアムが自分の居場所を見つけるのに時間は要さなかった。

「リアムがThe Rainを作ったんじゃない。もうすでに出来ていたんだよ。リアムが入ってバンド名をOASISに変えたんだ。そしてノエルが入り、それから...この後はよく知ってるだろう」。

1991年8月、OASIS - まだノエルはメンバーになっていない - は、マンチェスターのBoardwalkで初めてのギグをする。弟の音楽キャリアをサポートするよう頼まれていたポールは、まさにその場に居合わせた。

「1991年から、俺はOASISのUKギグはほとんど見てるよ」。

ほんの50名の観客のうちの1人だったポールは、歴史的なパフォーマンスを目にすることになった。リアムが初期に作曲した「Take Me」や「Alice」、「Reminisce」といった楽曲に、才能を感じたのだろうか。

「リアムに?いや。今は目覚めたみたいだけどね。いつもフロントマンになりたがってて、作曲は他の誰かに任せていたよ。今じゃ両立させてるようだけど」。

3年もしないうちに、ノエルがOASISに加入し、作曲を担うようになったその結果、UKで最速の売り上げをみせたデビューアルバム「Definitely Maybe」のリリースへと結びついたのだ。ちょうど、他のマンチェスター出身バンドが憂き目を見ていた頃だ。The Stone Rosesは、元マネージャー、レコード会社の両者それぞれと法廷争いを繰り広げており、「Yes Please」の製作中だったHappy Mondaysは、まさに前作「Pills 'n' Thrills and Bellyaches」のタイトルを地で行ってしまっていた。そんな中、OASISは果敢に頂点を目指し、The Stone RosesやHappy Mondaysがかつての輝きを取り戻すことは二度と無かった。

「OASISの成功は、The Stone Rosesの崩落とは関係ない。『Definitely Maybe』からの始まり。あれは運命だった。彼らを止めるものは何も無かったんだ」。

OASISの運命は、喧嘩沙汰や功績と共にイギリスの音楽界とタブロイド紙を15年に渡って支配した。その中でも最もプレスが騒いだ事件と言えば、OASIS VS Blurの「ブリットポップの戦い」だろう。1995年8月、両バンドが同じ日にシングルを発売しようとしたところから火がついたこの戦いに、その動向がニュースの速報として流れるほどの話題となった。このチャート争いが、NMEとデーモン・アルバーンによって仕組まれたものだと、ポールは気付いていただろうか?

「あの頃は....音楽業界は、北部 VS 南部という構造を必要としていたんだ。俺は今でもBlurのファンじゃない。音楽的に何の魅力も感じないから」。

The Stone Rosesは内部崩壊するのと相反するようにOASISは急上昇を続け、イアン・ブラウンの言葉を借りれば、OASISは「(ジョージ・)ベストだった」。イアン・ブラウンは、その後ソロとして成功しているが、元Stone Rosesの他のメンバー達が泣かず飛ばずというのは驚くべきことではないだろうか。

「レニなら何かリリースしててもおかしくないのにね」。

ギャラガー兄弟が、Stone Rosesの影響を受けていることは紛れもない事実であり、ノエルはSpike Islandでの体験を彼自身の「青写真」だと表現している。また、Stone Rosesに関しても「ドアを蹴り開けて、俺達に刻印を押した」と話す。彼もリアムも、Ston Roses解散後のイアン・ブラウンやジョン・スクワイアと仕事をするに至っている。OASISが終わった今、二人は再び彼らと一緒に仕事をすることはあるのだろうか。

「ノエルはするかもしれないな。リアム?わからないよ」。

「(What's The Story) Morning Glory?」が世界中で1000万枚を売り上げると、バンドの原動力は変化し始め、トニー・マッキャロルがその生贄となり、新しいドラマーとしてアラン・ホワイトが加入した。バンドの趨勢にあまりに近い場所で生き、「Definitely Maybe」のアートワークを90年代を象徴するとして崇めるポールは、今でもオリジナルメンバー達と交流しているのだろうか。

「いや。ボーンヘッドとはここ2,3年は会ってないよ。それと、ギグジー?OASISを辞めた後は何の音沙汰もないね。それにトニーか。ないな、全く」。

バーニッジにかの有名な「Shakermaker」という中古レコード店をかまえていたピーター・シフターはどうしているのだろう?

「まだやってると思うけど、わからないな。彼はマンチェスター・ユナイテッドファンなんだ、後から知ったんだけど...」。

2009年8月、OASIS「分裂」の報道が世界を駆け巡った。このような歴史を経てきた彼らを前に、ポールが考えるOASISの遺産とは何なのだろうか。

「ギグだよ、1994年ウィンザーのOld Trout、1995年ダブリンのThe Point、2005年ニューヨークのMadison Square Gardens、2005年マンチェスターのCity Of Manchester Stadium。レコードでいったら?全部さ。メンバー?全員だね。OASISはOASISだ。人々はそれぞれ自分の『OASIS』が胸にある。振り返ってこう思うんだ。素晴らしいバンド、最後で最高のバンドだとね」。

OASISのように長い歴史を経てきたバンドが終焉を告げると、レコード会社はたいてい「失われた音源」としてボツになったセッションやレア音源を怒涛のように発売するものだ。OASISファンはついに悪名高いリチャード・フィアレスプロデュースの「Don't Believe The Truth」を耳にすることができるかも?

「日の目を見なかったセッションについてみんなそれぞれ意見があるだろう。Death In Vegas? いいかい、俺も好きなバンドだけど、そんなに良かったらボツにはしないよ」。

15年トップの地位を守り、「Dig Out Your Soul」が最高作の呼び声が高い今が、本当にOASISの終わりなのだろうか?

「他人のために生きるな、自分のために生きろ。そう考えれば、そうだね、みんな自分の時間が必要だったんだと思う。これで永遠に終わりかどうか?それは誰にもわからないよ。人生は長いしね」。

リアム・ギャラガー、ゲム・アーチャー、アンディ・ベル、クリス・シャーロック、ジェイ・ダーリントンは、今のところはまだ「OASIS」だが、リアムは唯一のオリジナルメンバーとして完全に冷却期間を置き、新しいアイデンティティを見つける必要があるのではないだろうか?

「バンド名はリアムの好きなように呼ばせるべきだね。これからもOASISで行きたいならそうすればいい。OASISを始めたのは、彼なんだから。もしそうなれば、OASISは分裂したとは言わないのかもしれない。ノエルがやめたのさ。わからないけどね。いつか全てが明らかになるだろう。俺もそうだけど、みんなただ待つしかないのさ」。

インタビューによると、リアムはOASIS後初となるアルバムをこの夏には発売する予定で、収録曲の半分はすでにデモ録りが終わっているという。新しいバンド名についてポールは何も知らないようだが、新しい曲作りに取り組んでいることは断言できるという。

「いくつかのデモは聴いたんだ」。

ノエルは、OASIS時代に自分の曲を貯めていたのだろうか?

「ノエルが持ち曲を大量にためてるのは確実だね」。

ギャラガー兄弟それぞれのアルバムが期待できるなら、2010年はOASISファンにとって良い年となりそうだ。数年前ならまだしも、今のギャラガー兄弟はお互いの存在無しにやっていくだけの財産はあるのか。

「どっちもみんなを驚かせてくれると思うよ」。

リアムは、自分のアパレルブランドを立ち上げ、ファッション業界も賑わせている。ポールは、リアムがバンド以外の方面で自分の力を試すことを予想していたのだろうか?

「リアムは洋服と音楽が大好きなんだ。Pretty Greenはリアムにうってつけだよ。別のはけ口ってところかな」。

リアムとノエルの動向は15年間ずっと追いかけられてきたが、長男ポールへの興味は90年代を過ぎてからは先細りとなっていった。ブリットポップの騒ぎが落ち着いたら、マンチェスターに戻ろうと決めていたのだろうか。

「いや、今でもロンドンに住んでるよ、心はアイルランドだけどね」。

終わらない夏休みの思い出といった雰囲気がたゆたうアイルランドのメイヨー州で、ポールが伯父のパディとのんびり過ごす時間が多いのも理解できる話だ。

「俺にとっては別格の場所なんだ。あの土地も人々も大好きなんだよ」。

マンチェスター出身のギターバンドは、アイルランド音楽の血脈をひいている。Herman's HermansやThe Buzzcocks、The Fall、The Smiths、そしてOASISといったバンドが成功する要因は、ケルトのルーツが彼らの労働観や成功への熱意に影響しているからだと思う?

「今いる場所から抜け出したいと渇望していると言いたいんだろう。それはアイルランドだけでなくイギリスのバンドにもあるはずなんだ。でも違う、歴史的に全くね。今いる場所で満足なら、抜け出そうなんて考えすら出てこないだろ」。

ワーキングクラスにとって「抜け出す必要性」が、彼らを音楽とフットボールへと駆り立てる。リアムとノエルが、マンチェスター・シティファンだということは、OASISを愛するこの国において周知の事実だ。それは、1996年4月、彼らの姿を見にマン・シティのホームメインロードに8万人ものファンが集結したという事実に集約されるだろう。

ポールの収入はというと、二人の弟とは違って平行線で、彼は週120ポンドの仕事と試合に勝つマン・シティの姿に満足感を得ていた。海を越えた地にルーツを持ちながら、イギリスのフットボールチームを応援する彼だが、現在はどこに絆を感じているのだろう。

「もちろんアイルランドさ。自分をイングランド人だと考えたことは一度もないよ」。

アイルランドのルーツにより、グラスゴーのOld Firmに愛着を持つフットボールファンも多いが、ポールも紛れもなくその一人だという。

「シティ、セルティック、そしてアイルランドが俺の愛するチームだ」。

彼のフットボール好きはこれでは終わらない。

「ハンブルクのサンクト・パウリ。ハンブルクは良い町だよ、サンクト・パウリはあまり成功できてないけどね。良いチームだと思う」。

フットボールファンのほとんどは、特定のチームを応援するようになる。自分でも理解できるようになるより前にフットボールチームが決まっているところなど、あたかも宗教のようだ。マン・シティやセルティックへの愛情をみると、ポールもその口だろうか。

「レンジャーズと違って、セルティックはいつも自信たっぷりに試合をするんだ。それにあの緑と白のユニフォーム、最高の応援曲、最高のプレイ。他とは比べられないよ。シティ?子供の頃から住んでいたからさ」。

多くの熱狂的なシティファンと同じように、ポールもまた敗北の屈辱を長年にわたって飲み込んできた。Abu Dhabi United Groupがバックにつき、財政面に素晴らしく余裕ができた今なら、プレミアリーグへの昇格も夢ではないかもしれない。

「さっきも言っただろう、願いことをする時は慎重に。シティはどこよりも波乱万丈なチームなんだ。最高の次はあっという間に最悪。40年間チームを応援してきて言うんだけど、たぶん、本当にたぶんだけど、今度こそ何かやってくれるかもしれない」。

その「何か」が、「優勝」だとしたら?熱心なマンチェスター・ユナイテッドファンであるマニが「マン・シティがEuropean Cupで優勝したら、The Stone Rosesは再結成する」と嘯いたことは有名な話だ。ジョン・スクワイアは、ピックを持つために絵筆を投げ捨て昔の仲間に電話をかけて回るのだろうか?

「チャンピオンリーグのタイトル、これこそオーナーが欲しがっているものさ。最初の1つを手に入れて、他のトロフィを欲しがらないやつなんていないだろ?2014年あたり、マニはベースを準備して待っていた方がいいな」。

いまや世界一裕福なチームとなったマンチェスター・シティなら、この5年でチャンピオンリーグで優勝してもおかしくはない。しかし、セルティックはどうだろう。そのファンは、あと40年栄光を夢見るだけなのか。

「スコットランドのフットボールが資金不足ってのは見てわかるね。それぞれが属するリーグの資金内でやっていかなきゃならない。セルティックは金のあるところでプレイする必要があると思うよ。イングランドリーグだろうがアトランティックリーグだろうが、決めるのは上の人達なんだ。ファンやトロフィの数でいえば、セルティックは巨大なチームだろう。でもこのままScotish Premier Leagueに属し続けるなら今後はどうなるかわからない。考えたくもないな。セルティックは抜けるべきだよ。簡単なことさ」。

スコットランドのチームの財政難は、誇り高きフットボール国家に深刻な弊害をもたらしており、「タータンの軍隊」と呼ばれるスコットランドフットボールのサポーター達は、この12年、主要な決勝戦に参戦する機会に恵まれていない。スコットランドがEuropean ChampiondshipやWorld Cupの決勝戦の常連となるために、スコットランドに必要なことは何なのだろう。

「アイルランドは、トーナメントにすら出場してないんだ。アイルランドのチームがみんな1つにならなきゃいけない。サポーターも選手もだ。みんな目指してるところは同じなんだから」。

フットボール純粋主義者のポールなら、最近物議をかもした決勝ゴールでアイルランドがWorld Cup出場資格を失ったことを心底嘆いているに違いない。2010年南アフリカW杯欧州予選プレーオフ。フランスVSアイルランドで、フランスのティエリ・アンリが決勝ゴールをアシストしたのだが、その際、ボールが左手に当たっているのが確認されたのだ。FIFAはどのように対応すべきだったと思う?

「アンリはWorld Cup出場停止にするべきだよ。フランスは出場権利を放棄して、UEFAのプラティニ会長とFIFAのブラッター会長もやめるべきだ。シード方式のプレイオフ?(元フランス代表のミシェル・プラティニ欧州サッカー連盟の会長の手引きによって、今回のプレーオフは、強国に有利になるように、くじ引きではなく、世界ランキングの高い国と弱い国が当たるシード方式を採用したという陰謀説が囁かれている)。大国の経済に有利になるように仕組まれてたのさ。めちゃくちゃだよ、FIFAも自覚してるはずだ。でも何も起きないってのは、フランスが大国でビッグビジネスに関わってるからさ。FIFAはアイルランドをスポーツの国だと認識してない。アイルランドは、FIFAが運営する全ての試合を欠場すればよかったんだ。俺達は冷たい世界に生きてるとつくづく思うよ。民主主義じゃない、独裁主義さ。このアンフェアさには今でも怒りがおさまらない」。

フットボール観戦以外にも、今はDJとして忙しくしているポール。ギャラガー家の父親トミーはDJをしており、ポールは彼を手伝ってアイルランドのクラブやパブをよく回ったという。どうして今になってその生活に戻ったの?

「音楽が好きだからだよ。これまでもそうだったようにね。80年代の終わりからDJを始めて、17年の期間を経て復活だ。最近は昔の音楽にはまってるよ。50年代、60年代、ノーザンソウル、モータウン。好きなものなら何でもかける」。

OASISはイギリスで最高のギグを見せることが多かったが、ポールはどこでのプレイが一番楽しいのだろう。

「どこでも大好きさ。ベルギーのヘントというところで2年ほどやって、最近ローマに戻ったんだ。彼らは最高だよ。ローマだけで30はOASISのトリビュートバンドがあるなんて知らなかったから。どうかしてるよな」。

今でもスコットランドのファン達を基準にしているのだろうか。

「いや。それはないよ。今はUKの外にいることが多い。でも今年は違うかもね」。

ポールのDJショーは軌道に乗っており、この金曜日には、マンチェスターにあるアラン・マッギー経営のGreasy Lips Clubでプレイする予定になっている。地元のバンドThe Vortexのサポートだ。冒頭では、ボーンヘッドがギターを弾き、アラン・マッギーによるDJもあり、OASIS色を帯びた一夜になるだろう。

「The Vortexの名前は聞いたことがなかったんだよ」。

ポールの中で、他のバンドはどのように格付けされているのだろう。The Jam、The Specials、The Who、The Small Faces、Teenage Fanclub、The Stone Roses、Super Furry Animalsの仲間入りを果たした新人バンドはいる?

「最近好きになるバンドはないな、色んな理由があってね。ひとつ挙げるとすれば、バーンズリー出身のExit Calmだね。なかなかいいよ」。

DJとして名前が売れ始めたなら、これからバンドをマネジメントすることもありえるのだろうか。

「いや、この状況をとことん楽しむだけさ。昔はWirelessと契約してたんだ。Chrysalis Recordsの傘下でいくつかのバンドのマネージャーをしていた。最近は自分が自分のマネージャーさ。自分を信じてるんだ」。

7000万枚のレコードを売り上げた二人の弟を持った経験から得た音楽業界に関する深い造詣を交えて、ポール・ギャラガーは話す。それなのに彼は、タブロイド紙によって不当な蔑みを長年にわたって受けてきた。

「ジャーナリストが何を言おうと何を書こうと気にしたことはないよ。結局、俺のことを知るわけがないんだから」。

これまでの彼のショーを見たところ、ベストセラーの執筆者、バンドのマネージャーという顔だけではなく、生来の人気DJの一面も持っていることがわかる。他にどのような才能を隠し持っているのだろうか?

「今はTemplehouse Festivalを主催のために色々やってるよ。2010年9月9日から12日にかけて、バリーモート、スライゴ、アイルランドでやる予定。初めての試みだからどういうことができるか楽しみなんだ。もちろん今もレコードを回すのは好きだし、ヨーロッパや海を越えて色んな場所に行くのも大好きだ。他にもいくつかプロジェクトが進行中だしね」。

OASISのない生活を悲しむファンが、世界中に大勢いる現在。1994年以来初めて、私達は大好きな喧嘩兄弟のいない状況に立たされている。ポール・ギャラガーは当然さらに内部の状況を知っているだろうし、ギャラガー兄弟にはいくつかのチャプターが残されているだろう。ノエルとリアムが手を携えずそれぞれの力で作り上げるアルバムを待つ私達を前に、ポールは静かに言った。

「この時代で。この世界において。OASISのようなバンドは二度と出てこないと思うよ」。

Ride - Nightshift - January 2010

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オックスフォードの音楽雑誌「Nightshift」は、こちらから見ることができます。↓
http://nightshift.oxfordmusic.net/2010/jan.pdf

Ride - オックスフォードの音楽を永遠に変えたバンド -


20年前の12月、オックスフォードの音楽史上、最も重要なレコード「The Ride EP」が発売された。

商業的な意味でなら上を行く成功を収めたシングルやアルバムはある。Ride自身がそれ以降に出したレコードもそのうちに入る。しかし1990年1月に発売された4曲収録のデビューEPは、オックスフォードのミュージシャン達に新たな次元への扉を開いてくれたのだ。RideのデビューEPは、革命的な出来事だった。市内だけでは物足りない野望に燃えるローカルバンド達の眼を世界へと向けるきっかけとなり、オックスフォードはただの大学都市ではないのだと音楽業界に知らしめた。Rideの成功なくしては、Radiohead、Supergrass、Foalsといったバンドの物語もまた違うものとなっていただろう。

それから20年目の今月は、「Ride EP」の重要性を再認識する良い機会であり、4人のメンバーが集まる絶好のチャンスだ。ギタリストのアンディ・ベル、シンガーのマーク・ガードナー、ベーシストのスティーヴ・ケラルト、ドラマーのロズ・コルベール。デビューEP発売までの経緯、当時のオックスフォードのミュージックシーン、Rideが描いた野望と夢をじっくり振り返ろうではないか。メンバーを集めることは、予想していたよりも簡単なことだった。解散から14年たった現在も友人同士の彼らは、年に数回集まり、今でも尾を引くRideの金銭上の問題について話し合うのだそうだ。アンディとスティーヴがオックスフォードを離れたのに対し、マークとロズは地元に残っている。今夜は、メンバー4名と、Rideのマネージャーであるデイヴ・ニュートンが、マグダレン通りにあるパブ、Rusty Bicycleに集まった。

年月を重ねて4名の顔つきは変わっているが、人格はそのままだ。気さくで、情熱的で、今でもRideの音楽を夢中になって語り、自身の成し遂げたことを誇りに思いつつも後世に与えた影響をひけらかすことはしない。

マークは現在、作曲やソロ活動を行う一方、自身の所有するスタジオでプロデューサーとしても働いている。アンディは、ご存知の通り、OASISでベースを演奏してきた彼は、今後ノエル・ギャラガーと一緒にギタリストとして活動していく予定だ。ロンドンに生活の拠点を置くスティーヴは、イタリア家具の会社で働いている。ロズは今もドラマーとして活躍し、Jesus & Mary ChainやInternational Jetsettersと共にツアーをしている。

Rideの物語は、オックスフォードにあるチェイニースクールで、マークとアンディがクラスメイトとなったことから始まる。初めてのステージは、スクール・プロダクション「Grease」だった。スティーヴは2人より2年上級だったが、妹を通して2人と知り合い、その後、バンベリーカレッジに進学したマークとアンディがロズと出会う。The Smiths、Sonic Youth、The House Of Love、My Bloody Valentaine、The Jesus & Mary Chain、Spacemen3といった共通の音楽の趣味で、4人の絆は固く結ばれた。

ギグを見るために、Jericho Tavernには良く足を運んだという彼ら。Ride結成のきっかけとなった地元のバンドはいたのだろうか。

アンディ:Here Comes Everybodyっていうバンドがいてね、16歳の時にそのバンドをヘディントンにあるBury Knowle Parkで野外ギグをしている彼らの姿を見てバンドをやりたいと思ったんだ。そのバンドのメンバーはAnywaysとTalulah Goshに別れたんだよな。Wild Poppiesもみんな気に入ってたよ。彼らと同じパブで飲んでたもんさ。Jericho TavernとかNew Innでね。Shake Appealも良かったな。たぶんその頃のオックスフォードでは一番人気のあるバンドだったんじゃないかな。

マーク:Shake Appealは本当に大好きだったよ、それとTalulah Goshも。その頃に発売された「Jericho Collection」っていう地元のアーティストを集めたアルバムを買ってね、Wild PoppiesとかAnywaysも収録されていて、とてもクールだと思ったよ。俺達がよく見に行く地元のバンドが全部入っててさ。どのバンドにも夢中だったけど、音楽的に真似をしようと思ったことはないな。それよりも自分達で書き始めていた音楽に夢中でね、それが後にRide初期の曲になったんだよ。

大学で行った何度かのプライベートギグを経て、1989年2月、RideはJericho Tavernで初めて、公の場に姿を現す。ミュージシャンとしては駆け出しの4名への最初の試練だ。地元ではカルト的人気を誇るスラッシュメタルバンド、Satan Knew My Fatherのサポートだった。

その頃、スティーヴと一緒にOur Price Recordsで働いていた私は、Rideに対して単なる「友人のバンド」とは少し違った期待を抱いていた。しかし、その夜、Rideは完全にその枠を打ち破った。素晴らしいのは彼らのインパクトで、会場に列を成して入ってくる観衆の中には、彼らのサウンドチェックに対して歓声を上げる者すらいた。ギグが始まると、オーディエンスは興奮の渦に巻き込まれた。数日もしないうちに、地元の音楽ファンは突如現れた新人バンド一色に染まったのだ。

マーク:初めての時は、チケットを買ってやってくるオーディエンスと顔を合わせるのが本当に恐かったよ。だって、みんなスラッシュメタルバンド狙いで来たんだぜ!でも、みんなが入ってきて、サウンドチェックをしてる俺達に拍手をし始めた時はだいぶ緊張が和らいだね。サウンドチェックが、俺達のサポートをしてくれたっていうかな、だから俺達がプレイする頃には会場は一杯で騒がしくなっていて、俺の人生は素晴らしく変わったというわけ。みんなはもちろん、俺達もすごく盛り上がっていたよ。

そのギグは、デイヴ・ニュートンによって主催されていた。彼は、Tavernで定期的にギグを組んで新鋭バンドに場を提供しており、Local Supportという地元雑誌も発売していた。若く、しかも音楽そのものに重点的に取り組んでいたRideは、新人バンドのリーダー的存在になっていった。

ロズ:デイヴはスティーヴの友人でね、一緒にOur Price Recordで働いてたんだ。デモ契約をした方がいいと進めてくれたのはデイヴで、そのおかげでレコーディングをするお金も用意できた。4曲レコーディングして、それが後のデビューEPってわけだよ。

アンディ:いくつかギグをした後、僕達はお金を出し合ってデモを作り、それをスティーヴがデイヴに披露したんだ。地元でも有名な人物にアドバイスをもらいたくてね。あっという間に僕達は音楽業界の人間から興味を持たれ始めたもんだから、オックスフォードでそういう位置にいるデイヴにマネージャーになってくれるよう頼むのは当然のように思えたんだ。デイヴは、地元以外の音楽業界とのつながりはなかったんじゃないかな。ただ、彼は「音楽ビジネス」ってやつと交渉ができる冷静な人間だった。僕達がそういうのに興味がなかっただけに大事なことさ。Soup Dragonsのサポートでツアーをし始めた時には、アラン・マッギーまで僕達に注目してたんだよね。

マーク:デイヴが、シングルデモをWerner Brothersのツテに送って、Wamerから電話がかかってくるようになり、ギグにもやって来て契約を持ちかけてくるようになった。それがマッギーの気を引いてね。Warnersとまだ契約が進んでいないと知ると同時に、僕達が自分のレーベルと契約している稼ぎ頭のバンドのファンだと知った彼は、あっという間に僕達との契約を決めたのさ。

地元でのRideの人気は瞬く間に膨れ上がった。JerichoからCo-Op Hallへと会場のレベルも上がり、これはその頃のローカルバンドとしては異例のことだった。

アンディ:日ごとに大きくなってる感じだったね。どんどん人気が出て、道を歩いていても声をかけられるようになった。最高だったよ、どこまでも行けるような気がした。僕の目標は、出すシングルがチャートのトップに躍り出るような成功を収めることだった。ただし、音楽的な妥協なしでね。間違いなく、大きな夢を持っていたよ。

そして、大きなチャンスが彼らのもとを訪れたのは、当時のUKインディシーンでは高い注目を集めていたSoup Dragonsのサポートツアー中のことだった。Rideが地元以外のオーディエンスと出会い、音楽プレスの興味にさらされるのが初めてだったことはさておき、ここで彼らはCreation Recordsのトップであるアラン・マッギーと関係を築いたのだ。Creation Recordsといえば、Rideにとってのヒーロー達が多く所属する憧れのレーベルだった。

マーク:サポートを頼んできたんだのはSoup Dragonsのシーンだったんじゃないかな、デイヴやWarnersのつながりからね。毎晩Soup Dragonsの度肝を抜くようなギグをしていたら、アラン・マッギーが今日もまた今日もと俺達のギグを見に来るようになって、ギグの後に話すようになったんだ。最高の瞬間だったよ。

ロズ:ツアーをしてるアートスクールの学生だったね、まあ、ツアーによくあるバカなことは色々してたけど。スティーヴの成長は著しくて「彼女」と呼べる子もできたし。アンディと俺は写真を撮ったり録音したり絵を描いたり。マークは、栄光の道への準備に余念が無くて.....ほんとに楽しく過ごしてたね。

アンディ:色々機材も使わせてもらったんだ、どれも良かったね。しょぼいアンプじゃなくて、Marshall Stacksで音を出したりしてさ。あのツアーで初めて音楽プレスの取材を受けたよ。NMEにMelody Maker、Sounds。僕達の演奏、きっとうるさかっただろうなあ!

アラン・マッギーを虜にするとは、さぞかし良い気分だっただろう。

アンディ:本当は4ADと契約したかったんだ。Creationは露骨すぎると思ってね。でもいざCreationから話が来たら受けることに決めた。マッギーはとても良い人だったし、僕達に夢中だったからね。でもそれからは話す機会が無かったな。デイヴがレコーディングしたものやらスリーヴやらを持っていき、僕達が欲しいものを手に入れてくる感じ。今ではマッギーは親友の一人だけど、それはRideが解散した後からなんだ。

マーク:俺にとってアランはすぐに家族の一員みたいな存在になった。今でもそう思ってるよ。Rideに寛大に接してくれてレコードを好きなように作らせてくれて、それ以外のことでも色々教わった。それに、俺達に大きな影響を与えたミュージシャン達と同じ場所に、Rideを立たせてくれたんだ。

あまり認識されていないことだが、「Ride EP」は、Creation Recordsにとってチャート入りを果たした最初のレコードだ。上位ではないが、71位という意味のある業績だ。Creationは、さらなる成功を収めるための転換期に差し掛かっていた。Rideの売り上げ収入は、他のバンドによって蓄積する借金にあがくレーベルが、ビジネスを続けるために必要なものとなっていた。

デビューEPの4曲は、Union Street Studiosで収録された。「Chelsea Girl」は、渦巻く純粋なパワーポップ、「All I Can See」は、My Bloody Valentineの白昼夢とByrdsのメロディが周到に重なり合い、「Close My Eyes」は、沈鬱にくすぶる賛美歌を思わせる。しかし、4曲の中で最も輝いているのは「Drive Blind」だ。音のスコールと雷が荒れ狂い、ロマンチシズムにあふれながら殺伐としたニヒリズムが洪水のように襲いかかる。

アンディ:エンジニアに僕達の求めている音を出してもらうのには苦労したよ。オックスフォードでは誰も、ギターサウンドを僕達のように収録した人はいなかったから、まるでお互いに違う言語でしゃべってるみたいでさ。最後にはお互いに納得できたけど、ミックスが思うように行ったのは、セッションに投資してくれたWarnersのカリー・カロマンのおかげだね。一般的に言って、レコード会社はお互いを敵視しているもんだけど、カリーとアラン・マッギーは違った。二人は僕達を良く理解してくれていたから、僕達も二人には気を許したんだ。

マーク:エンジニアのカルヴィンのことは覚えてるよ。楽曲をミックスしようとして「何も聴こえないぞ、ギターとホワイトノイズが多すぎるんだ」と言うから、俺達は「そりゃいい、そのままにして」と答えたんだ。

出来上がったレコードを初めて聴いた時の感想は?

ロズ:スピーカーから完成したその音が流れてきた時は、まるで「他の誰かの作品」みたいだったよ。しかもその「他の誰かの作品」がこれまでの人生で一番の出来だった。まさにそんな感じだったよ」。

ファンに評論家、これが初めてのRideという者もみんなが惚れこんだ。もう後戻りはできなかった。Rideの素晴らしい旅が始まったのだ。オックスフォードのミュージックシーンを描いた近日公開の映画では、当時Our Price Recordsの派遣社員として働いていたTalulah Goshのシンガー、アメリア・フレッチャーが、スティーヴに「バンドに専念するために会社を辞める」と聞いた時の驚きを思い返している。オックスフォードのミュージシャンがそういうことを言い出すなどありえないことだったのだ。

Rideの活躍は6年間続いた。「Tarantula」のレコーディング中に解散するまでの間に、4枚のアルバムやチャートを賑わすシングルを多数出し、何度かワールドツアーも行った。バンドにとってもCreationにとっても苦難の時期であり、マッギーの不在とバンドに蓄積した疲労感が彼らに影をかけていた。しかし、解散の頃にただよっていた険悪な空気はすぐに解消された。

RadioheadやSupergrassといった他のオックスフォード出身バンドの先駆けとなったにも関わらず、Rideは自身の功績に驕りを持たない。他のバンドの方がRideよりも寄与していると、彼らは信じている。

アンディ:Radioheadといえば「Creep」だよね。あの曲でいわゆる「オックスフォードの音楽」は始まって、数年すると、バンドがオックスフォードに契約しに来るという状況になった。Rideはというと、地元ではそこまでの話題になってなかったと思う。地元のプレスからもラジオからも無視されていたからね、まあ、僕達のオーディエンスはTown Hallとかそういった類のメジャーなものに背を向けていたから。デビューした時は早くオックスフォードから出たくてしょうがなかった。あそこは世界で一番活気の無い場所だったんだよ。

ロズ:おそらく「Rideならやれる」という空気はあったんだろうけど、後から出て来たRadioheadやSupergrassの方がよりその期待を背負わなきゃならなかったと思うよ。

マーク:デビューEPを出した時、偶然にも俺達がオックスフォード出身で世界的成功をつかむ最初のバンドになったんだ。それからはだいぶ変わったよ。世界へのドアは開け放たれ、A&Rの人間がオックスフォードまでやってきて、地元のパブやギグでたまたま出会った人がバンドを組んで、それでSupergrassやRadioheadが出てきて一気に盛り上がったのさ!この20年でオックスフォードは、今までもこれからも興味深いバンドを輩出する町として世界に知られるようになった。僕達の成功をきっかけに、オックスフォード出身のバンドは音楽さえ良ければ出身は負には働かず、世界は思いのままだとわかったんだよ!

Rideはその慎み深さで損をしているように思える。Rideがデビューするより前、オックスフォードのバンドが見る夢は控えめで、機会は限られていた。着実に続くオックスフォード出身のバンドの成功は、Rideが後世に与えてきた影響や啓示の偉大さを証明しており、彼らの音楽は今も世界で影響力を持っている。最近では、ノスタルジアに乗じて再結成するバンドが多い中、私達もぜひRideに質問したいことがある。Rideの再結成はありえるのか?それに対する答えは、大方の予想通り、曖昧なものだった。

マーク:その質問をするたびにみんなが済まなそうな顔をするから面白いんだよな!再結成の予定はないよ。俺は今自分のミキシングや作曲、プロダクションの仕事で手一杯だし、オックスフォードでもっとのんびりしたいんだ。今も夢を見ていてさ、自分がたずさわったレコードがどうなっていくのかとか、まだ自分が知らないことの方にわくわくするんだ。すでに知っていることや完全に成し遂げたことよりもね。

アンディ:いつかまた一緒にプレイできたらとは思うけど、具体的にいつかはわからないな。

ロズ:俺は.....まあ、みんないつか一緒になれたらと思うよ!

Bonehead - Myspace - 2009/11/14

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「The Vortexとボーンヘッド」

バノックバーンといえば、スコットランド人にとっては歴史的に受難の地であることを差し置いても愛国心を喚起せずにはいられない場所だ。この日2009年11月14日、イングランドとスコットランドの対立を象徴するスターリングシャーは、南に住む隣人との戦いの地ではなかった。

タータン・アームス・バーに通じるMcQ'sと呼ばれる会場には、地元の者達が数百人集まっていた。レコード会社との契約はなくとも、純粋に音楽を愛する5人のマンキュニアン達の姿を見るために駆けつけたのだ。

マンチェスターの音楽は、今でもスコットランドでは深く愛されている。1990年、Glasgow Greenで行われたThe Stone Rosesのギグ、1996年、Loch Lomondで行われたOASISのギグ、そして1993年にKing Tut's Wah Wah Hutで行われたギグに関しては言うまでもなく、ロックの歴史に残る重要なイベントを目撃した幸運なファン達の心に永遠に生き続けるだろう。

それらの事件を誰よりも間近で目撃していた男、それがVortexのギタリスト、ポール"ボーンヘッド"アーサーだ。OASISのステージでリズムギターを弾いていたのは彼なのだから。

世界中で2000万枚を売り上げたアルバム3部作をレコーディングしたのと同じリズムギターを、ボーンヘッドは会場へと運び入れている。彼が今属しているバンドVortexに、ローディなどは雇われていない。そして、足手まといになる連中もいない。

今夜のThe Vortexの音は、いつもより軽く聴こえるかもしれない。バッキング・ヴォーカルであるジャクリーン"ジャックス"ギルバートが、この冬に行われるツアーに参加できなくなったのだ。ボーンヘッドは、彼女のことを「バンドのサウンドに華を添えてくれ、Primal Screamのアルバム「Screamadelica」でのデニス・ジョンソンを思い起こさせる」と、話した。

ボーンヘッドと、Vortexのベーシスト、ニック・レプトンは、Primal Screamのアルバム「XTRMNTR」を、バンドのベンチマークとして定めている。ボーンヘッドは、The VortexはPrimal Screamの「パーティバイブ」を再構成するバンドで、彼らの多様性に満ちた音楽を崇拝していると話す。

「バラッドも書ければ、Country GirlやKill All Hippiesみたいな曲も書ける。次に何をするのか想像がつかないだろ。あのビートサンプルとリズムに乗ったギター。Vortexはそういう方向に行けると思うんだ」。

さらに、Primal Screamと同様にGlasvegasも気に入っていることを明かし、メンターであるアラン・マッギーに関しても言及した。

「彼はジャッジさ。あらゆるバンドにジャッジを下す。これまでマッギーが出したレコードを見ればわかるだろ、『このバンドは来る』と言えばその通りになる。大きく外すことはない」。

そうであれば、アラン・マッギーが「The Vortexが12月にマンチェスターでギグをする時には、1000人のファンが集まる」と予測し、すでにThe Vortexを期待の星として推しているのもうなずけることだ。

「The Stone Rosesみたいにさ、口コミなんだよ。俺はマンチェスターの音楽をずっと信じてきた。The Vortexは大きくなる」。

アラン・マッギーの音楽への嗅覚を信じきっているボーンヘッドだが、彼が発掘したバンドでも1つだけ気に入らないものがあるという。

「レコードについて1つ言わせろよ。The Grantsってバンドいるだろ?あれは最悪、クズだね」。

OASISを見つけた男がいつでも正しいとは限らないようだ。しかし、The Vortexについていえば、アラン・マッギーは次のように述べている。

「The Vortexは、OASISよりもPrimal Screamに近い。OASISよりもHappy Mondaysに近い。その音楽性に、OASISのアティテュードが備わっている」。

確かにステージではそういう姿勢を見せるかもしれないが、The Vortexの面々は非常に紳士的だ。ギグが終わるや否やバックステージに逃げ込み自己耽溺に浸るのではなく、ファン達と一晩中語り明かすことを選ぶ。ロックンロールを体現したいと強く望みながらも、ギグの前にステーキパイやチップス、野菜類を食べてる姿を目撃されたりするのだ.....。

デザイナーブランドを身に着け、ジャガーを乗りこなすボーンヘッドだが、彼は地に足のついた人生を送っている。過去20年で最大のバンドOASISのメンバーとして世界を飛び回ったことは一度ではないけれど、バンドにとって何が一番大事なのかを彼は知っている。

「リオ・デ・ジャネイロや、シドニー、ニューヨーク、色んな場所に行ったよ。でも『一番どこが好き?』と言われると、グラスゴーなんだ。なぜって?人間性。盛り上がり。情熱。彼らは全てを持ってる。会場の大きさは関係ない。昨夜バスゲイトでギグをしたら、みんな前の方まで踊りにきたんだぜ。すごい盛り上がりだった。楽しんでたのさ」。

ボーンヘッドのことを話す時、OASISのことに触れないわけにはいかない。彼は、ノエル・ギャラガーが加入するより前からメンバーだったのだし、アルバム3部作でウォールオブサウンドをつくりあげる大きな役割を担ったのも彼だ。前のバンドについての話題は避けたほうがいいという私の意向は、一蹴された。というのは、The Vortexのフロントマンであるマイク・プライスが、サウンドチェックをするボーンヘッドに向かって「Supersonic!」だの「Live Forever!」だのおかしな野次を飛ばし出したのだ。

しかし、彼はOASISと過ごした時代を懐かしく振り返る。彼らが成し遂げたことを心から誇りに思っているようだ。

「俺達は本当に、本当に恵まれていたんだよ。King Tut'sでギグをやったら、偶然アラン・マッギーが現れて『気に入った。最高だ。レコード契約を結ばないか?』だぜ。俺達はしかるべき時にしかるべき場所にいた。それだけさ。ある意味、俺達は幸運に恵まれていただけなんだ」。

その夜、マッギーが列車に乗り遅れていなかったら、OASISはどうなっていたのだろうか?

「デモはあったけど、配り歩いてはなかったからな。どうなってたか誰にもわからない。レコード会社に配ってたのかな?それにも飽きてやらなくなったかも。わからないよ」。

では、ボーンヘッドが今The Vortexに必要と感じていることは何なのだろう。デジタル化が進んだ16年後の今、レコード契約を掴むためにすべきこととは?

「最近は全然違うんだよな。MySpaceにFacebook。インターネットがある。方法はたくさんあるんだ。レコード会社も昔とは違う。俺達は何千万枚もレコードを売ったけど、今はレコードが売れない時代なんだ。レコード会社はもうそこまで力がない、だからわかんないな。できることを一つ一つやるしかないさ」。

山のようにレコードを売りチケット完売のツアーをしたOASISから、契約はないもののハングリー精神に富み、野心あふれるVortexへ。ボーンヘッドはなぜ再びバンドを組みギグをする道に戻ったのだろう。

「俺は、テリー・クリスチャンと一緒にBBC Manchesterでラジオ番組をやってたんだ。テリーが辞めて、2人の女の子と続けることになったんだけど、その子たちが、Vortexのベーシスト、ニックと友達でね。そうやってニックと知り合ったわけ。やつに『マンチェスターでギグをするんだ。俺達の前にDJしないか?』と誘われて、『わかった、何曲かやってやるよ、お前達の音楽が気に入ったから』と、受けたんだ。それから、Vortexのギグに俺が2曲参加するようになってね、それがとても楽しかったんだよ。バンドに入りたかったんだけど、とてもじゃないが頼めなかったし彼らの方からも言ってこなかったんで、実質加入ってことにしたのさ。人生要領よく生きないとな」。

ボーンヘッドとニックは、もっぱら自分のことを話し、他のメンバーのことまで干渉しない。私は、フロントマンのマイクに、ツアーを楽しんでいるかたずねてみた。控えめな彼は、インタビューに不慣れな様子だったが、話したいことがありそうだったのだ。

「俺はインタビューは受けないけどさ。でも、クリス・マーティンはクソだし、Coldplayもクズバンドだな」。

なるほど。アラン・マッギーが、彼好みの「女々しいバンド」にVortexをなぞらえないのは、こういう態度が原因かもしれない。

UK史上最大のギグとなった1996年のネブワースが終わって、ボーンヘッドはその後の「小さな」会場続きのツアーをどのように楽しんだのだろうか?

「ツアーをする意味に絡んでくるよな。会場の大きさや土地勘なんかは関係ない。ギグを一緒に楽しむファンとバンドのやる気が大事なんだよ。今のバンドではそのことを心に留めてるんだ。会場のサイズはどうでもいい。俺にとって大切なのは、情熱と固い決意さ。この二つはどこであろうと通用する。だから今のところは、小さな会場でギグを続けて次につなげていくつもりだよ」。

この言葉を聞くと、ボーンヘッドはVortexに信じられる何かを見つけているようだ。この数ヶ月、彼は文字通り「一心不乱」に、道を切り開いてきた。

「俺は、OASISとしてネブワースをやったんだぜ。頭の先からつま先までOASIS一色、それで出世したんだ。わざわざ進んでバンドに入ろうとは思わないね。もう十分わかってるから。そこをおしてやつらは、俺をやる気に、つまり、俺が座り込んでいた椅子を取り上げて、OASISのレコードをレコーディングしたのと同じギターをつかませた。一本取られたよ。それでVortexができた。だから俺は今ここにいるんだ。シンプルだろ。バンドを探す気にはなれなかったんだ。その間もちょっとしたことをして、それなりに楽しんではいたけど夢中にはなれなかった。でもVortexは良かったんだ。家から出てギターを弾きたいと思わせてくれた。しつこいようだけど楽しんではいたんだぜ。好きなことをやってさ。でも深入りはできなかった。そこにあいつらが現れて火をつけてくれたんだ」。

ベテランのボーンヘッドが加わったことで、Vortexは本格的なツアー日程を組む決断をする。

「2週間のヨーロッパツアーから戻ったばかりでさ。最高だったぜ。プレスやプロモーション抜きでも会場は満席だ。1日休みでまたギグを続けて、客の反応は最高だしさ。来年、ちょっと休みを取るだろ、そしたらロンドンとかマンチェスター、バーミンガムといった場所よりは、グラスゴー、エディンバラ、ダンディみたいなところに集中したいね。あとスコットランドでもやりたいな、ベルファストにダブリン、そしてまたヨーロッパに戻るんだ。スコットランドのファンはわかってるんだよな。どうしてだかわからないけど、これまでもこれからも楽しみ方をわかってるんだ」。

次にギグをするトーントンのファンはどう?スコットランド人のように盛り上がれると思う?

「トーントンってスイスの地名だと思ってたんだよ(実際はイギリスの地名)。だからわざわざスーツケースに荷造りしてパスポートまで引っ張り出しちまった」。

OASISの前身バンドThe Rainで、リアム・ギャラガーと共に曲を書いていたボーンヘッドだが、The Vortexでは曲作りに参加しているのだろうか。

「曲は全部俺が書いてるんだけど、クレジットはThe Vortexの連中が持ってて.....ってのは冗談で、曲は他のメンバーが書いてるんだ。ドラマーのショーンに、リードギターのマズ。2人が曲を書いて俺が入って音を分厚くする。俺がこのバンドにいる理由は、そこにあるのさ」。

ツアーをしながら曲を披露すると同時に、バンドはアルバムのレコーディング作業にも取り掛かっている。しかし、バンドメンバーのほとんどはいまだに正社員として仕事に就いているのだ(ショーンは、アイスクリーム工場で日勤をしている)。

「アルバムは作ってるよ。まだ全然形になってないけど。マネージャーもプロデューサーもいないし、レコード契約も結んでないんだ。俺達はマンチェスター出身のただのインディーズバンド。俺の経歴のことはもう忘れてくれよ。俺達はマンチェスター出身のインディーズバンドなんだ。ヨーロッパツアーをして、UKツアーをして、それで得た金をアルバムに注ぎ込む。セルフプロデュースして、クリスマスか正月明けくらいまでには、アルバムを出したい。以上。結局、自分達でやることになるさ」。

マンチェスターのギターバンドがアルバムを出す時、音楽界が注目することは間違いないだろう。彼らは、自らのバンドをこれまでのマンチェスター系譜のバンドとは一線を引いているのだ。ボーンヘッドに尋ねてみる。なぜ、マンチェスターは絶えず素晴らしい音楽を生み出すのだろうか。

「ワーキングクラスの街だからだよ。リバプールが近くにあり、30マイル海を進めばそこはダブリンだ。アイルランドとケルトの血をひいてるってことは、生まれた時から情熱を胸に秘めてるってこと。ハングリー精神があるし俺達なりの労働意欲がある。雇われ労働であくせく週5日間9時5時で道を掘り起こして、金曜日には何が何でもパーティに繰り出すっていうさ。俺はアイルランドの家系で、週5日働いても、金持ち連中みたいに金曜の夜に遊びほうけるだけの金がない。そうなるとギターを手に取るだろ。だからみんなギターかバンジョーかピアノか、つまり楽器が演奏できるのさ。自分で音楽を作って自分でビールを作る。これなら金はいらねえだろ。これがケルトの血。だからマンチェスターやリバプールは最高のバンドを生み出してきた。みんなアイルランドの血をひいてる。ジョニー・マーにリアム・ギャラガー。みんなワーキングクラスだ。毎日必死に働いて金曜日に『俺は好き放題する権利がある』と言って、ギターを弾きビールを飲むのさ」。

それらの都市が、一流のフットボール選手を輩出する理由もそこにあるのだろうか。

「貧乏から抜け出す道なんだよ。これまた、アイルランドさ。ロイ・キーン。情熱的っていうんであいつを超える男なんていないだろ?アイルランド人のフットボーラーで、情熱が欠けてるやつを挙げてみろよ。いないだろ。そういうもんなんだ。アイルランド出身なら、ワーキングクラスなら、フットボーラーになるかポップスターになるか道を掘り起こすかのどれか1つ。それだけ。何にでも必死になって取り組むっていうね。ギターかフットボールか、いずれか1つ。それに情熱。そして飢えに渇きだな。俺もそうだった。音楽とフットボールがあって、フットボールはあんまりだったけど、ギターはそれなりにできたからそれで食っていこうと思ってた。ギグジーはフットボールが上手かったんだけど、膝を壊してね」。

ボーンヘッドの人生哲学に賛同するかと、マイクに向かって尋ねると、彼は何か言いたいことがありそうだった。

「Coldplayはクソ。クリス・マーティンはクズ」。

.......。さて、ボーンヘッドは、ワーキングクラスのバンドは道路の穴掘りから抜け出すために努力をするのだと強調していた。しかし、一度成功を収めると、栄光に溺れ、かつての情熱や渇望を忘れてしまうのではないだろうか。

「俺は大金を稼いだけど、今でも失業手当で暮らしてるやつやアイスクリーム工場で9時5時労働してるやつと一緒にステーキパイを食ってるぜ。ビッグになりたいとか金持ちになりたいとは思ってない。俺は俺だからな。ああ、確かに俺は昔大金を稼いださ。その通り。でもそれを自慢したりはしない。プラダやグッチを着けても、人の顔にそれをこすりつけたりはしない」。

では、その毛皮の襟がついたダークブラウンのレザージャケットはグッチ?似合ってますよ。

「着けたいなら貸してやるよ。金ができても俺は変わらなかった。変わる人間が多いけど、俺達はColdplayじゃないんだ。クリス・マーティンじゃないのさ。クリス・マーティンは100万ポンド稼いでポップスターと結婚した。俺は違う。かみさんは幼ななじみだしな」。

何度目の登場だろう。クリス・マーティン。ボーンヘッドといいThe Vortexのメンバーといい、クリス・マーティンのような人物に反発心を抱いているようだ。元OASISのメンバーは、Coldplayが今後もなれないようなビッグで良質なバンドのメンバーとなり、世界を救う道には進まなかった。

「今朝も運転しながら楽しみでしょうがなかったんだよ。バンドメンバーを迎えながらギグに向かってさ。バンドってのは、最高にクールな連中と一緒に最高にクールな音楽を作るところなんだ。『俺はあんな成金になるつもりはなかった』とぼやくつもりはないしルーツに戻るふりをしてるわけでもない。俺は俺で、何にも変わっちゃいないんだ」。

The Vortexが、クリス・マーティンやColdplayのことを気に入っていないという印象を持ったと私が話すと、ショーンがボーンヘッドにColdplayの話を振った。

「1stアルバムは名作だな。マジな話。Coldplayの1stアルバムは、ジェフ・バックリーだ。ギターはどうかって?本当に素晴らしいよ。クリス・マーティンはどうでもいいさ。ああいうアルバムに参加できたら誇りに思うね。だって全くジェフ・バックリーだろ。名作だよ。最高のアルバムだ」。

他のメンバーはボーンヘッドに賛成しないようだ。音楽を批評する時のThe Vortexには遠慮の欠片も見当たらない。「俺は嫌いだな」と言うニックに、「クリス・マーティンはファッキン間抜け野郎だ」と言うショーン。Coldplayを巡るディスカッションは活発に続いたが、結局ボーンヘッドが折れることはなかった。その彼もColdplayの最近の作品は好きではないという。

「変わっちまったよな。今の作品はどうしようもない。俺は好きじゃないね。1stアルバム?あれは好きだよ。クリス・マーティンはそうでもないけど、あのアルバムは大好き」。

それでもショーンはボーンヘッドが自分の好みを貫く姿勢を見逃せないようだ。人好きのする彼がヒートアップする話題の1つがColdplayということらしい。

「連中には1曲だけ良い曲がある。『Yellow』って曲さ。あれはまあまあだな。Coldplayは他に良いバンドがいないから出てこれたバンドさ。1994年にデビューしてたら今のようにはなれなかったはずだ」。

これは結構良い点を突いている。というのも1994年に衝撃的なデビューを果たしたOASISは、Blur、Pulp、Radioheadといったライバル達や、同郷のStone Rosesとすら相手にする必要があったのだ。ボーンヘッドによると、ベーシストのニックはマニを彷彿とさせるところがあり、「自分の意見をおし通そうとするのもその影響さ」ということだ。ニックにマニと比較されてどうかと尋ねると、心から満足げな顔をした彼は次のように答えた。

「マニの失敗作ってところだな、うん」。

マニの誕生日パーティにメンバーそろって行く予定と話したボーンヘッド。マニは性根を入れ替えているらしい。

「彼はもう酒は飲まないんだ。今度の日曜が誕生日でさ、みんなで行くつもりだよ」。

マンチェスターにあるBeat ClubでNorthern Soulのファン向けにDJをしているというマニ。ニックもボーンヘッドもその手の音楽はあまり好きではないという。

「俺はそんなに好きじゃないな。聴きはするけどそこまで夢中になれない」。

Stone Rosesを1990年のSpike Islandで体験しているボーンヘッド。ギグジーと一緒にジャクソン・ポロック風にペイントを施した車、通称「ボーン・モバイル」で会場へ向かった彼は、当時マンチェスターの頂点だったバンドの姿を目にしている。

その悪名高い車をeBayで売りに出したらどうかと提案したが、当の昔に150ポンドのために潰してしまったという。「Definitely Maybe」のアートワークですら、eBayなら - 現時点で - 260ポンドで売られているのに!ボーンヘッドは笑って、今でもあのアートワークに映っているピンクフラミンゴは保管しており、装飾された窓枠も新しい家に取り付けたのだと話した。

The Vortexは、メンバー同士とても仲が良い。マニの誕生日といい、マンチェスターの音楽仲間のつながりは強いようだと私が話すと、ボーンヘッドはうなずき、マンチェスター出身の音楽の偉人達があまりに普通に日常生活を送っているため、時々それが不思議でならなくなる時もあるのだと話してくれた。つい先日も、ガソリンスタンドで給油をしていると、隣で至って普通にジョニー・マーが同じく給油をしていたという。本人にとっては日常に過ぎないのだろうが、他の客達はとても驚いた様子だったとか。ボーンヘッドにとっても、ジョニー・マーは今でも会うと感激してしまうほどの人物なのだ。

ボーンヘッドの行く先をファンが興味を示していることを伝えると、彼は当然とふんぞり返ることはせず丁寧にお礼を述べた。さらに、リアム・ギャラガーについて、セレブリティの地位を得た今でもファンに対して真摯な態度で接していると話を向けた。

「Definitely Maybe」のアートワークに登場しているメンバー達は、元気でやっているのだろうか?ボーンヘッドによれば、ギグジーは地元でとても幸せに暮らしており、今の人生に満足しているという。また、トニー・マッキャロルとは、今でも仲良くしているそうだ。そして、そのトニーが1995年にバンドをクビになった時は、とても悲しんだのだと打ち明けてくれた。

今でも、OASISは最初の3枚のアルバムが名作だと考えているボーンヘッド。自身とギグジーが離れた後のOASISをどう思っていたのだろうか?

「OASISはもうバンドじゃなくなってた。あえて言えばギャングかな。それでも素晴らしいことに変わりはなかったよ。俺は今でも彼らの一番のファンさ、いや、ファンだったが正しいのかな」。

プレスでも伝えられているように、バンドの分裂が伝えられているOASIS。インタビューを開始してから初めて、私たちは、ギャラガー兄弟の話題に入ることにした。まず、リアム・ギャラガーの新バンドについて話し始めた時、今でもリアムから「兄貴」と呼ばれるボーンヘッドは、とんでもない発言をぶちかました。

「電話を待ってるんだ。リアムならかけてくると思う。俺が必要だよ。これまでの経緯から考えればかけてくると思うな、でもどうかな?今俺はThe Vortexのメンバーだ。本気でやってるから、メンバーである限り、もし声がかかっても応えられない。俺はVortexとやっていくよ」。

リアム・ギャラガーは、2010年の初めには新バンドでニューアルバムのレコーディングを開始すると話しているが、本当に電話がかかってくるのかは知る由もない。もし現実にコールがあったとして、それでもボーンヘッドがVortexへの忠誠を守るなら、私は彼の誠実さに尊敬の意を示そう。

私が言いたいのは、バンドをやめて15年になるリズムギタリストが再びバンドの一員になり積極的に活動するなど誰が考えただろうということだ。首尾よく行けば、私達は2010年に元OASISのメンバー達によるアルバムが3枚は望めるというわけか.....。

夜は始まったばかりだ。Vortexがステージに上がり、インタビューを受けないフロントマンが座を仕切る。ボーンヘッドは慣れた様子で落ち着き払い、ニックは能力に見合うだけの自信を持って堂々と立ち、ショーンは自分の演奏に没頭し、マズはサングラスの向こう側で幸せそうに、寡黙なソングライター然としている。ボーンヘッドは「やつはそんなんじゃない」と話していたが。

スコットランドのファン達の心を満たして家に送り届けたVortexは、次なる目的地トーントンへと向かうため荷造りを始める。次にこのバンドをスコットランドで見る時は、さらにビッグになっているだろう。ボーンヘッドとその妻ケイトが、クリス・マーティンとグウィネス・パルトロウのような生活を送らない限り、私はVortexの将来を信じている。

彼らより前に出て来た輝けるホープ達と同じように、彼らもまたロックンロールのvortex(渦流)に消費されてしまわないよう、素晴らしいギターミュージックに希望を託そうじゃないか。ボーンヘッドの言葉を借りれば、「もう十分分かってるから」。ボーンヘッドがいる限り、彼らが渦潮に流されることはない。今回のインタビューで私はその確信を得たのだった。

Noel Gallagher's 50 funniest quotes

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ローディ時代:

あの頃が俺の人生最高の時だったと思うよ。写真撮影もインタビューもない。朝起きたら、機器の整備をしてギグをしてファッキンパーティをぶち上げるのさ。
Blender, August 2008

NME:

もし今度のギグで、NMEの犬を見かけたら(まあその可能性はほとんどゼロだろうけど)、会場外につまみだしてやる。いや、みんなにお願いしておこうかな。もし会場でNMEの記者を見つけたら(教えてやろう、見つけるのは簡単だ。手厚いおもてなしを受けてるし、趣味の悪い服 - なにより靴がひどい - 、ありえねえ髪型、つまりタカりのカモにうってつけのナリなんだよ)、俺の代わりに一発お見舞いして身の程を思い知らせてやってくれ。
Myspace, June 2009.

年を重ねること:

宇宙人の存在とかファッキンくだらねえことばかり喋って2,3日寝ずに過ごすことはしない。でも年を取ってますますけんかを売るのが好きになっちまったのさ。でもこれが普通だろ。ある年代まできたら他のやつの意見なんてどうでもいいと思うようになるし、今の社会での自分の立ち位置に満足できなくなる時もある。
Clash Magazine, October 2008.

浪費癖:

1967年製のMark Ⅱ ジャガー・コンバーチブルを11万ポンドで買ったことがあるよ。でも、俺は運転免許を持ってない。乗れないんだよな。
Blender, August 2008.

野望:
7インチの限定盤を5000枚売りたいなら、すぐできるさ。ブラッドフォードかどっかの住民向けに音楽を作りゃいい...でもそんなことしても誰の気にも留まらねえんだ。フィル・コリンズをチャートから追い出さなきゃな、それとWet Wet Wetも。それが唯一の道なんだよ。チャートにのし上がってくそったれどもを撲滅するためにはな。
The Guardian, September 1994.

お葬式:

本当にどうでもいいんだよ、どうせ俺はそこにいないんだ。どうにでもしろよ。
Melody Maker, December 1998.

ギターの技術:

よく言って平均だな。
Total Guitar, January 2009.

ギターミュージックの死:

The Beatlesが解散してからの30年、ロックンロールは死んだと言われてきた。ブームが起こっても、その後は静かなもんだ。俺はこう思うんだ。しばらくすればパンクロックが復活して、またシケた時代を挟んで、再びギターミュージックが再起するとね。
Total Guitar, December 1998.

ツアー人生:

今朝タクシーから放っぽり出された。ってのが俺の印象。何て言えばいいかな。怒鳴られて指突きつけられたもんだから、「とっとと俺のタクシーから降りな、欧米野郎が!」っていう万国共通のメッセージを受けとったってところさ。
My Space, March 2009.

プレス:
そうだな、あいつらは俺達が派手にやらかすのを待ち望んでいて、その瞬間を見逃したくないからつきまとうんだ。俺達は連中の一歩先を行かなきゃなんねえのさ。
San Francisco Chronicle, January 1998.

後悔していること:

「(What's the Story) Morning Glory?」を出した時点で辞めれば良かったなあ。「Be Here Now」を作り出した時点でも、まだビルボードチャートの5位にいたんだぜ。誰か頭の切れるやつに、さっさと辞めて他の職を探せと言ってほしかったよ。
Spin, October 2008.

ライブアルバム:

曲が書けなくなったら、ライブアルバムを出すよ。それかリアムがOASISの作曲担当になったらな(大笑い)。
NY Rock, December 1997.

「腑抜けの」Kaiser Chiefs:

まあ、実際その通りなんだもんな、仕方ない。Kaiser Chiefsが最悪なのは、どう頑張っても良い点が見つけられないところさ。コスプレごっこして、ゴミバンドの頂点に君臨してるだけ。不細工なガールフレンドくらいでしかみんなの興味を引けねえんだから。
Time Out Chicago, December 2008.

ギタリスト:
木を持って演奏するんだぜ。3つのコード。それだけで曲は書ける。俺なんてたったの11しか知らないんだ!でもいいか、俺が12番目のコードを見つけちまった時は、覚悟するんだな!
NME, September 2001.

ドラッグ:

イギリスでもし、ドラッグをどれだけやったかで金メダルがもらえるとしたら、確実に俺が頂きだ。
Parkinson, November 2006.

音楽:

曲を書くこと、俺が夢中になるのはこれなんだ。ドラッグでもセックスでもいかにもロックンロールな言動でもない。音楽なんだよ。
The Guardian, September 2009.

Jay-Z:
Jay-Zがカバーした「Wonderwall」を聴いてどう思ったかって?大うけだったぜ。でも、白のストラトキャスターで人前に出るのはどうかと思うけどな。
Blender, August 2008.

Keane:

Keaneって可哀想だよな。どんなに頑張ってもつまんねえ連中なんだ。アソコにヘロインを打っても「でもお前のパパは牧師さんだろ、おやすみ」で終わりさ。
Herald Sun, October 2008.

モッシュ集団:

でかい会場の中でも前3列にいる連中だよ。走り回って殴り合って...「Live Forever」なんかを歌って...どう考えても間違ってるぜ。
Indepth, March 1995.

兄弟関係:

俺は現実に生きている。リアムは夢を生きている。その中間でなら、俺達は上手くやっていけるんだ。
Daily Telegraph, Feburary 2007.

過去最悪の精神的苦痛:

飛行機の中で15時間リアムの隣に座っていた時。1回だけあるんだよ、日本かどっかに行くといってね。最悪だった。
Melody Maker, December 1999.

地球温暖化:
地球温暖化をロックスターの責任にするのはやめろよな。ここ100年、大気中にクソまきちらしてきたのは中国人インド人アメリカ人だぜ。
Herald Sun, October 2008.

無料ダウンロード:

俺はレコードをタダでやる気はない。もし誰も買ってくれなかったら...それでもタダではやんねえぞ。
The Clash, October 2008.

リアム:

失礼だわ態度でかいわ人は脅すわ、しかも怠け者だ。あんなに怒ってばかりいるやつも珍しいぜ。世界をスープにたとえれば、さしずめあいつはフォークで立ち向かおうとしてるみたいなんだ。
Q, April 2009.

ベッカム家:

どうしてお高いベッカム夫人は自伝を書こうとしてるんだ?ガムを噛みながら真っ直ぐ歩くこともろくにできねえんだ、本なんて書けねえよ。
NME, September 2001.

宗教:

聖書に神様のことが書かれてるだろ?で、聖書には恐竜のことが書かれてない。だからありゃ嘘っぱちさ。もし神様が最初に人間を造ったなら、ファッキン恐竜はどうやって生まれたんだよ?
 ViaX, October 2006.

「Definitely Maybe」:

いいか。俺は90年代の英雄だった。その時もそう言ってたさ。マッカートニー、ウェラー、タウンゼンド、リチャーズ。俺の書いた1stアルバムはこの4人の上をいく作品だ。連中も文句はないはずだ。
The Guardian, November 2006.

地位:
今じゃOASISは、ローリング・ストーンズと同じ位置に来てる。みんな ストーンズを聴いたことがある。みんなどういうサウンドか知ってる。みんなどういう連中なのかも知ってる。好きか嫌いかの域を超えてるのさ。シンプルだろ。
Rolling Stone, November 2008.

後悔:
人生で最悪の出来事は、Blurについて口を滑らしたことだな(1995年の「デーモンとアレックスはエイズにかかって死ねばいい」発言)。それを知ったおふくろがかんかんに怒って電話をかけてきて『ああいうことを言うような子に育てた覚えはないわ』と言ってきたんだ。あの言葉は相当こたえたね。
Irish Times, October 2008.

リアム:
あいつのインタビューを読んでも、一体誰が答えているのかわからないんだよ。インタビューの中の男はとてもクールだけど、俺が18年間一緒にバンドをやってる男は、どうしようもねえクソッたれだからさ。
Herald Sun, October 2008.

信憑性:

ジャック・ホワイトがコカコーラの曲を書いただろ。おしまいだな。それにクラブに行くのもやめてる。今の姿はドーナツ食いすぎた怪傑ゾロみてえだ。俺は広告を信じない。あいつはある意味広告塔になろうとしてるんだ。コカコーラってよ。全く。そうだな、OK、お前らは愛と平和のメッセージを発信したいんだろうが、俺達にいわせればマジで勘弁してくれよって感じだぜ。気にいらねえな。マクドナルドのためにギグするようなもんだ。
NME, December 2005.

信仰:

俺は宗教を信じない。世界中で力を持っているし、何千年にも渡って社会に厳格なモラルを敷いてきたから興味深いとは思うけどね。でもこの世界に神の御力なんて感じられねえんだ。
Clash Magazine, October 2008.

「Be Here Now」
使い放題の金と時間があったら、レコーディングに集中するなんて無理な話だろ。近くにはパブとケンタッキーだぜ。遊ぶだけだって。
Q, December 1999.

ドラッグ:

ダチみたいにリハビリ施設には行かなかった。そんなの弱っちい連中のすることだからな。
Q, December 1999.

「Wonderwall」:

The Whoは必ず「I Can't Explain」を演奏する。俺達も「Wonderwall」は欠かさない。よく飽きないかと聞かれるけど、1万5千の人間が「Wonderwall」を熱唱するんだぜ。ドラッグよりイケる。あれを聴けばおっ立っちまうぜ。
Q, December 1999.

トニー・ブレア:

俺は水晶球は持ってないからさ。あいつが間抜け野郎に様変わりするとは思わなかったよ。俺は30歳でドラッグで頭がおかしくなっていて、周りにいる連中にはOASISが最高のバンドだと吹き込まれていた。そしたら首相がワインでも飲まないかと誘ってきたんだぜ。あの対面も全てドラッグが見せた夢みたいなもんだな。
Spin, September 2009.

トム・ヨーク:
あいつがどれだけ「僕らはみんな終わりだ」とかのらりくらりしてようが、最終的にみんなが聴きたいのは「Creep」なんだよ。いい加減にあきらめろよ。
Daily Telegraph, February 2007.

U2:

「One」をプレイしろ。アフリカのことは黙ってろ。
Daily Telegraph, February 2007.

OASIS オペラ:
16年間に渡って喧嘩を繰り返してきた男2人がオペラの良い題材になるとは思えないな。OASISがオペラになったらあっという間に終わっちまうぞ。
Spin, September 2009.

Coldplay:
「The Man」が世界を圧巻してるな。そういう世の中に生きる今の若者が尊敬するものっていえば、何の面白みもない平凡な見習い警察官くらいだ。リアムは爵位をもらってもいいと思うぜ!クリス・マーティンが子供の写真を撮ったっていうんでパパラッチをぶちのめす姿なんて想像できねえからな。
NME, September 2001.

メンバー全員での作曲:
他のやつが曲を書いてもいいとおふれを出したわけじゃないんだ。ドアはいつでも開かれていた。でも最初の10年は誰も興味を示さなかっただけなんだよ。
The Guardian, June 2005.

ジョン・レノンかぶれのリアム

3日間、リバプール訛りで喋っててさ。「これから俺をジョン・レノンと呼べ」ってうるせえんだ。だから言ってやったよ。「お前にはまんこ野郎の方がお似合いだ」ってな。
The Guardian, June 2005.

OASISのギグ:
ロックンロールさ、チャリティじゃねえ。来てるやつが誰だとか来た理由だとか何を期待してるかなんてどうでもいい。チケットを買えば俺達のショーを見に来れる。見て、気に入らなければ、次の行動は1つだけってことさ。
DW World, March 2003.

若者:
最近の若者ってほんとバカだよなあ、周りに流されてばかりでさ。
The Guardian, June 2005.

Bloc Party:

パパとママに反抗しようとしてるミドルクラスのガキどもさ。クソの頂点に座ってるんだ。
Herald Sun, October 2008.

ドラッグ:
今でも言ってるんだ。「Be Here Nowはコカイン撲滅の良い宣伝になる」ってね。あまりに長すぎた。しかも自己満足であふれてる。コカイン中毒も同じなんだ。
Irish Times, October 2008.

Blur:
デーモン・アルバーンはファッキン間抜け野郎だ。それとあのギタリスト - あいつはマシだとおもっていたが - 自分のことを頭の切れる超人とでも思ってるみたいでさ、大したアホだよな。ドラマーとベーシストには初めて会ったんだけど、「気にいらねえ、どうせクソッたれ」だと思っていたらその通りってことを確認したよ。でも要は音楽が嫌いなんだ。それとあのシンガーが気に入らねえんだよ。
NY Rock, December 1997.

ヒップホップ:
ヒップホップは大嫌いだ。最悪だね。エミネムはどうしようもねえアホ。50セントは俺が今までの人生で会った最低の人間だ。
The Guardian, June 2005.

Live8:
Live8ってのがよくわかんねえんだよ。間違ってるなら言ってくれよ。そこに来たやつが、グレンイーグルズ(スコットランドの風光明媚で人気のあるホテル)で15分の休憩中にさ、「Sweet Dreams」を歌うアニー・レノックスをみて「なんてこった、彼女のいうことにも一理ある」とか思うか?ありえねえだろ。Keaneが「Somewhere Only We Know」を歌ったら、日本の企業家たちが「ああ彼を見ろよ、もうみんなに貸した金のことなんて無かったことにしようぜ」なんて思わないだろ?
The Guardian, June 2005.

歌詞:
最初の歌詞を書くだろ。最後の言葉が「Supersonic」だったから、考えるんだ。「よし、どんな韻が踏める?」。それでAから順に考えるわけ。「AtomicにBionic」、そしてGで「Gin & Tonic(ジントニック)、これだ」。大したことじゃないさ。書けばみんなが「すげえ!『スーパーソニックな気分。ジントニックを俺に』。すげえ!」って騒ぐのさ。基本は、韻を踏むことなんだ。
Indepth, March 1995.

Liam Gallagher's 50 funniest quotes

オリジナルの記事はこちら。↓
http://www.nme.com/photos/liam-gallagher-s-50-funniest-quotes/

グラストンベリー・フェスティバル
グラストンベリーなんて大嫌いだ。金のためにやってんだよ。(NME, July 2004)

ノエルのファッションセンス
ノエルってどんどん爺くさくなってるよな。でかいウールのジャンパーとかカーディガンとか...テリー・ウォーガンかヴァル・ドゥーニカンかっての。(NME, August 2009)

Scissor Sisters
竹馬に乗って派手派手の服着けてる変人集団?あんなクソどもより俺の方がよっぽど面白いね。(NME, 2005)

毎朝の習慣
6時に起きるだろ、アラームとか使って起きるんだ。ファッキン軍隊並みさ。(NME, 2008)

感情の揺れ
悲しくなることもあるよ、でもいつまでも悲しんじゃいない。鏡を見て思うんだ、「お前かっこよすぎだぜ」。(NME, November 2006)

Franz Ferdinand
Right Said Fredのシンガーを見てみろよ。ありゃ同一人物だぜ!アトキンズダイエットをして髪を伸ばしただけだ。(NME, 2005)

Green Dayのビリー・ジョー・アームストロング
今すぐ失せろ。あいつは好きじゃない。あの頭が気に食わねえんだ。(NME. August 2009)

La Roux
無理だな、手がでかいもん。(NME, August 2009)

バンドメンバーを3つの単語で表すと
アラン・ホワイトは...うーん、できねえ。俺には無理だ。(NME, July 2002)

ポインテッドトゥ
あの靴わかる?ビリーヤードのキューみてえにこっちに向かってくるやつ。「あっち行けよ!ライセンス持ってんのか?」って言いてえよな。(NME, March 2009)

ノエル
あいつのためなら捕まってもいい。あいつのことが大好きなんだ。俺達はクールだよ。誰かがノエルを怒らせたら、俺がそいつを引き裂いてやる。 (Melody Maker, 1995)

Coldplay
クリス・マーティンって地理の先生みてえだよな。自由貿易についてのメッセージを書いてるけど一体何のつもりだ?もしそういうのが書きてえって言うなら、俺がペンと紙を渡してやるよ。学生面しやがって。 (NME, 2006)

エゴ
ここに俺とエルヴィスがいたら、どっちが最高だかわからねえ(NME, November 2006)

ギグに行く
くだらねえ。何しに行くんだよ?クソバンドばかりだろ?会話を交わして、学生どもに足を踏まれるためにわざわざ出かけるのか?(NME, 2008)

Blurの再結成
ほんと良かったよ、これでKaiser Chiefsも終わりだな。Blurの改悪版ほどたちの悪いものもなかなかないから。(The Sun, 2008)

セクシー・シンボル
女の子に好かれるのは嬉しいな、最高だよ。でも男が寄ってきたらちょっと心配だ。別にゲイに反感を持ってはいないさ、俺のケツをつねってこない限り。(The Sun, 2005)

ピート・ドハーティとトム・チャップリン
まともにドラッグもできねえ僕ちゃん達、弱え連中だな。ちょっと吸っただけでリハビリ直行なんてよ。(The Observer, November 2006)

アメリカ征服
アメリカ人はステージの上で自分の頭をぶっ刺すむさい連中が好きなんだ。だから、制汗剤をつけた小奇麗な俺達のことが気にいらねえんだよ。(NME, November 2006)

ステージ・パフォーマンス
ダンスは踊らない。どうせ踊れねえし。踊りたくてバンドをやってるわけじゃない。(NME, 1994)

大事なこと
全ては音楽、それだけだよ。俺はエンターテイナーじゃない。でもみんなを楽しませる、わかるよな?(NME, October 2007)

ロビー・ウィリアムズ
あいつはファッキンドラマ・クイーンさ。クソアルバムを作ってみんなから同情を買いてえんだよ、カスが!(MTV, February 2007)

Blurとの対決
始まった時から言ってたんだ、俺達が本物だってな。正直なだけなんだ、女同士の仲とは違うんだよ。(NME, September 2002)

Bloc Party
クイズ番組「University Challenge」を思い出すんだよな、あいつら見ると。解答者席に座ってそうだろ。(NME, July 2005)

世間からの評価
マンチェスターから出てきたくだらねえことばかりほざいてるビッグマウス...全くその通りだな。 (The Times, August 2008)

ツアー中の不可思議な行動
カラカス、最高のギグだった。TVが壊れてるから何もせずに座ってる。バカなことをしないようにホテルから出るのは禁止された。 (Metro, May 2009)

歌うこと
シンガーとして俺はノエルより上だ。俺が一番なんだよ。(NME, December 2008)

ノエルとの喧嘩
空港でやり合ってあいつが泣き出したみたいだったから - それで終わりにした - もう俺と一緒にツアーはしないとさ。 (NME, August 2009)

半端じゃないアフターパーティ
座ってリラックスして物事について考える時間が必要なんだ。そして出かける準備が俺の中で出来た頃には、みんな倒れこんでズボンはくるぶし辺りまで落ちてるのさ。(NME, September 2008)

キース・リチャーズとジョージ・ハリソン
二人とも嫉妬深くて耄碌してて、ファッキンミートパイもろくに食えねえんだ。(The Sun, October 1997)

ビタミン注射
ざまあみろピート・ドハーティ、クラック野郎!泣き言ばかり垂れやがって! (NME, October 2007)

OASISのライヴ体験
俺達のギグを1度でも見れば、俺達の全てがわかる。(The Times, 2007)

パパラッチ
良い連中だよ、玄関先に住みついて人のゴミ箱をあさってな。俺をけしかけてくれる。ただぶらぶらしてるだけじゃ太っちまうだろ。(The Guardian, 2006)

セレブリティの友人達
兄貴はロングヘアのおかしな連中とつるんでる - ラッセル・ブランドとかな - 俺はそういうのは好きじゃない。

ヴィクトリア・ベッカムの執筆意欲
ガムは噛めねえし真っ直ぐ歩くことすらできねえんだぜ、本でも書かせとけよ。 (NME, September 2001)

エイミーやピートへの想い
彼女のことなんてどうでもいい。もう一人のバカのこともな、つうかああいうの全員知ったこっちゃねえ。(NME, September 2008)

良いお手本に
外に出て無駄な時間は過ごさない。俺には子供がいるんだけど、大きくなってくるとこんなことを言ってくるんだ、「どうしてパパは一日中ベッドでごろごろしてるのに、僕は学校に行かなきゃいけないの?」。(NME, March 2009)

優しくなること
俺は優しくて、美しい愛すべき男さ、時々カメラマンを殴るけどそれはあいつらが俺の邪魔をするからだ。(Sky.com, July 2005)

White Stripes
White Stripes?くだらねえ。制服のネクタイ?24にもなって?いただけねえな。(NME, July 2002)

吊るしたい相手
ステージでロビー・ウィリアムズを吊るしたいね。何かされたのかって?何もさ。ただ吊るしてえんだよ。(NME, July 2002)

(またまた)ピート・ドハーティ
Libertineってどういう意味かわかるか?「自由」だぜ!頭にヘルメットをかぶってそこの角でヘロインやってることのどこが自由なんだよ。汚ねえやつだ。(NME, 2005)

野心
もしミュージシャンになってなかったら、なんだろう。神になってたかもな。良い仕事だぞ、きっと。(The Sun, 2005)

宗教観
自分を導くのは自分だ。壁にぶつかる時は、ぶつかってやるさ。ちょっとしたバンパー・カーみてえにな。疑問にぶつかり答えに突き当たり、楽しいもんだぜ。(The Times, 2002)

Grucho Clubからの永久追放
ガッザがバーにいて流行らねえ冗談を言ってたんだ。「Roll With Itが欲しいのか?スープと一緒にロールが欲しいのか?」。だから消火器を噴射してやったのさ。(NME, March 2009)

ColdplayとRadiohead
嫌いじゃないよ。事故にあえばいいとは思ってない。ただあいつらのファンって退屈だし見栄えも悪いし、楽しんでるようには見えねえんだ。 (The Guardian, August 2008)

The Beatles VS 神様
The Beatlesに入りたいな。ところで神様が最後にまともなレコードを作ったのはいつのことだ? (Rolling Stone, October 2008)

オジー・オズボーン
どうしてみんなやつのことを持ち上げるんだ?あいつ、ちょっと頭のネジゆるんでるぜ、言っておくけど。 (NME, July 2002)

Pretty Greenのファッションモデルに挑戦
ありえねえ! (Metro, March 2009)

ノエルを轢く
くそったれ!あのタクシーミスりやがった!俺だったら確実にいけてたぜ。 (NME, October 2007)

ツアー前に、トム・クラークを牽制
しゃしゃりでるつもりかよ、でなきゃなんなんだ?くそったれが。 (Clash, May 2009)

ノエルをスポンジ・ボブのキャラクターに置き換えて
サインをねだってキスして抱きしめてもらおう。 (NME, December 2006)
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