オリジナルの記事はこちら。↓
http://www.irishtimes.com/theticket/articles/2008/1003/1222815469295.html
3週間前、トロントのステージで男からタックルを受け、肋骨を3本折る重傷を負ったノエル・ギャラガー。その傷はいまだ完全には癒えていないものの、 OASISのブレインが、Irish Timesの記者ブライアン・ボイドのインタビューに答えた。自身のアイルランド人ぶり。ピート・ドハーティの爪、トム・ヨークの歌、そして Silvermintsなどなど・・・。
「インタビュー中に俺がちょっとばかしぶっ飛んで、おかしなことを喋り始めたら、教えてくれないか?」。
ロンドンにある自身のレコード会社のオフィスにぎごちなく座っていたノエルは、そう話しかけてきた。
「おかしなことって?」と、私は答える。
気まずい沈黙が流れた後、ノエルの口元にゆっくりと笑みが浮かぶ。
「鎮痛剤が効いてるんだよ。ありとあらゆる種類の強烈な鎮痛薬を使ってるんだ、皆の話だと、そういう時の俺は訳の分からないことを喋りまくるらしい。身体に何の支障もない時に限るみたいだな、こういう強めの鎮痛薬をやって楽しい気分になれるのは(笑う)」。
トロントのステージで起きた事件について:マジでびびった。
「いまや俺はYoutubeのスーパースターだ」と、顔を歪めながら、彼は話しはじめた。
あの時の映像が、youtube史上でも上位のアクセス数を挙げてるんだとさ。リアムの反応が話題になってるんだ、『兄を突き飛ばした男に向かって立ち向 かおうとしてる』ってね。でも注意深く見てみろ、あいつがその態勢に入ったのは、俺がしっかりとセキュリティに囲まれた後のことだ。俺が事件について話す のはこれが初めてだが、皆が思ってるよりもひどいもんだったんだぜ、本当にあの瞬間は刺されたかと思ったんだ。
あの男は雨の中を走ってバックステージにやってきた。そして俺を後ろから突き飛ばし、俺はモニターにぶつかった。突然背中に鋭い痛みが走った、実際そこが 骨折した場所なんだけどさ。自分の足を見たら、やつの濡れた足跡がついていて、その時の俺にはそれが血に見えたんだ。マジでぞっとしたよ。
事件が起きるまでは、全て上手く行ってたんだぜ。ポール・ウェラーが俺達の前にパフォーマンスして、ギグの後には思いっきり飲もうって約束してたんだ。なのにギグの後、俺は飲みに行くどころか病院に直行さ。
俺達がセキュリティについて考え直さなきゃならないことは確実だな。でもマドンナみたいに400人のセキュリティとツアーをするなんてお断りだ。
それで、後から俺が知った衝撃の事実を教えてやるよ。俺を襲った男はアイルランド人だってことだ!47歳で、俺が思うにカナダ国籍を取ったばかりだろう。
このことを明かすのは初めてさ、なぜって世界中でアイルランドの名を地に落とすことはしたくなかったからな。
アイルランド人としての誇り:俺の身体の中には、一滴たりともイングランドの血は流れてない。
おふくろが、俺達兄弟3人にこう言い聞かせてたことをよく覚えてる。『あなた達は紛れもなくイングランド人よ。ここで生まれたんだからね』。
メイヨー出身の母親とミース州出身の父親から生まれた俺には、イングランドの血は一滴たりとも流れてない。今度、スコットランド出身のガールフレンドとの間に生まれた息子にも、もちろんイングランドの血は入ってない。
自分は、誰にも負けないくらいアイルランド人だと思ってるんだ。俺が最初に触れた音楽は、マンチェスターのアイリッシュクラブでバンドが歌っていた反逆の歌だった。
わかるかな、OASISが拳を突き上げて歌うような曲を作るようになったのは、俺が人々を覚醒させるような音楽に触れてきたからだと思うんだよ。気骨あふれる曲と最高の地アイルランド、そして西欧音楽の融合さ。
アイルランドカトリック系の家で育ったからな。おふくろはアイルランドのバターとミルクしか買ってなかったよ。でも、1970年代はアイルランドとイング ランドの間の抗争が激しかっただろ、俺達のコミュニティは十分にアイルランドの食べ物をストックしてなかった、だからおふくろは手に入れるために色んなと ころを回ってたものさ。よく覚えてるのは、両親がマンチェスターのアイリッシュクラブ、Carousel Clubから帰ってきた時のことだ。駐車場の車がアンチアイルランドの群集に包囲されてたと話していた。恐ろしかったよ。
作曲について:1年に3曲しか書けないこともある。
俺、今度のアルバムでは勲章ものの大活躍だったぜ。1年にやっと3曲しか仕上がらない時もあるんだけど、このアルバムはもの凄い早さで書き上げた。ミキシング作業に入った時ですら、ミキシングデスクで新曲を書いてたもんな。アルバムに収録したもの以外にも30曲はできた。
先週マネージャーと話したんだ。曲はどんどん出来るからいっそ作詞者を雇うのはどうかってね。30曲のうちの3曲は女性が歌ってもいいものなんだが、No、エイミー・ワインハウスはお断りだ。
自分の気持ちを書こうと思ったら、歌詞はすぐに出来るのさ。「Definitely Maybe」は、OASISに入る前にはもう書いてたしね。インスパイラル・カーペッツでローディをしてたから、もうすでにロックンロールな生活を送って たわけ。世界を回って、大量にドラッグをやって、暇な時に機材をセットアップしてってね。写真撮影とかビデオ撮影とか余計なことしなくても、俺は十分に ロックンロールできるんだよ。
そんな時に書いた曲が日の目を見ることになるとは、思ってもなかった。自分で歌うためだけに、酔った勢いで書いた曲だったんだからな。インスパイラルのサウンドチェックの時なんかに、弾いたりしてたよ。
それで海外にいた時に、おふくろが電話で『リアムがバンドに入ったの』と言ってきた。もう少しで笑い死にしそうになったが、マンチェスターに戻った時からかい半分でバンドのリハーサルに寄ってみたんだ。
リアムは俺が曲を書いてることを知ってる数少ない一人だったから、俺に向かってこう言ってきた。『お前が書いたくだらねえ曲を一つ弾いてみろよ』。で、俺がColumbiaを弾くと、みんなそろってバンドに入るよう頼み込んできたのさ・・・
1993年にはクリエイションレコードと4万8千ドルぽっちで契約を結んだが、土壇場になって、ボノのレーベル(Mother Records)が、その3倍で契約を持ってきたんだ。まあ4万8千ドルってのは、職のないマンチェスターのガキには大金だったし、俺達はクリエイション にとどまることにした。アラン・マッギーと契約を済ませていたし、それに彼はいつもどんなにOASISを信じているかアピールしてたからね。
行き過ぎた行為について:世界のありとあらゆるコカインをやった。
時間と金が有り余るほどあるのは---俺達の場合、2枚の名作を生み出した後の3rdアルバムをレコーディングしていた時がその時だったわけだけど ---、あまり良いことじゃないな。もちろんこのことにも触れておかなきゃならないだろう、俺達は有り余るほどのコカインもやったと。
俺なんて今でも、「Be Here Now」は、コカインの悪を宣伝するにはベストなアルバムだって言ってるくらいだぜ。主張ばかり長ったらしくて、自己中心的な考えで覆われてる。コカインを使ったらこうなりますっていう良いお手本だ。
11分の曲を書いた時にも、誰かが『これはちょっと長いんじゃないか』と言ってくれるのを待っていたが、誰も言いやしなかった。当時のOASISは世界一ビッグなバンドだったから、誰も反対の声を上げようとしなかったのさ。
「Be Here Now」にもいくつか良い曲はあると思う。そいつを見つけるには18層ものギターウォールの下から掘り起こさないといけないけどね。
最近のツアーで、「Don't Go Away」をアコースティックバージョンでやったんだが、マジな話、涙を流すファンすらいたんだ。
だから、時々あのアルバムを作り直すことを考えるんだよ、Protoolsを使って全て編集しなおそうかってさ。ポール・マッカートニーが、「The Long And Winding Road」から、フィル・スペクターのストリングスを全て抜き去ったのと同じように。
そこで思い直すわけだ、『ちょっと待てよ、あのアルバムもOASISの波乱万丈な歴史を語るうえで欠かせないパートだ』ってね。浮き沈みってのはどうしても付いて回るものだろう。さもなくばKeaneにでもなっちまった方がましだ。
兄弟仲について:今でもアメリカで受け入れられないのは、リアムのせいだ。
今回のアルバムで特に誇りに思ってる楽曲は「Waiting For The Rapture」、「Falling Down」、そして「I’m Outta Time」だ。最初の二つは俺が歌ってる曲だな。自分の声があまりに気に入ったって理由だけで入れたんだ。
以前は、俺がヴォーカルをとる時といったら、リアムがツアーから逃げた時だけだった。今でも俺は、OASISがアメリカで受けないのはリアムのせいだと 思ってる。俺達が音楽史上でも最高の売り上げを挙げたアルバムを引っさげて、さあUSを征服しようとツアーを始めようとした時に、空港にやってきてアホみ たいな言い訳をして飛行機に乗らなかったんだ、残された俺達はまさに立ち往生ってやつさ。
それはさておき、バンド内にリアムみたいな最高にロックンロールなヴォーカルがいる時に、しかもそいつがステージに現れなかったりした時に、代役を務めるのは難儀な仕事だ。
でもU2のThe Edgeを見てみろよ、やつは素晴らしい声をしているが、その声が前に出てくることはない。なぜならボノが立ちはだかってるからさ。「Van Diemen’s Land」で、俺が好きなのは「Rattle And Hum」なんだけど、そいつはThe Edgeが歌ってる曲なんだ。
だから俺は、OASISのThe Edgeなんだと思ってる。これからはもっと歌っていこうと思うよ、今度の「Waiting For The Rapture」で自信がついたからね。あのファルセットは本当に上手くいったぜ。
「I'm Outta Time」は、リアムがジョン・レノンへのオマージュとして書いたんだ。もう少しでヤバい出来になるところだったが、今では、Dig Out Your SoulのWonderwall的存在になると確信してる。あいつは自分用に書いた曲の方が上手く歌えるんだ、声域に沿って曲を書けるからね。
レノンの声まで入れたんだぜ、曲の最後辺りで聞こえるやつさ。許可を得るために、ヨーコのところまで行かなきゃならなかった。思ったより簡単に済んだよ。俺達は彼女のお気に入りだからな。たぶん俺達がジョンのことを尊敬してることを知ってるからだろうね。
歌詞を書くのは得意じゃない。俺からすれば、歌詞ってのは曲に合わせて書くものにすぎない。たとえばモリッシーなんかは、歌詞に合わせて曲を書くんだろうけど。
歌詞の面から見ると、今回のアルバムで気に入ってるのは「Falling Down」だ。(インタビュアーに向かって)以前、『Falling Downは、ドラッグからの離脱症状について書いてるのか』と聞いてきただろ?この曲は、昨年だったな、家の裏庭で、秋の初め独特の美しい夕陽を見たこと がきっかけで、書き始めたんだ。気候の変化とかそういったこととかに思いを巡らしてるうちに、こういう結論に至ったんだ。自然の前で、人間は無力な存在に 過ぎないってことさ。
でも別にそのことをこの曲から感じてくれなくても構わない。俺が「自作の曲について語る自伝本」を出すことはないから安心して好きなように聴いていいよ。 自分が好きな曲について、そのソングライターが後々『実はあの曲は----について書いた曲なんです』なんて書いたりして、それが自分の想像してたものと 全く違っていたら興ざめだからな。
同業者達について:レディオヘッドは大好きだ・・・トム・ヨークの歌さえ入らなければ。
OASIS以外の活動をしようと思ったことは一度もない。俺にはバンドだけで十分なんだ。
侮辱にとらないでほしいんだが、デーモン・アルバーンを見てみろ、オペラをやったり色んなことに手を出してる。俺は今の生き方に満足してるんだ。キャリアを積むために生きてるわけじゃない。
『ニューアルバムでは、居心地の良い場所を抜け出そうと努力しました』なんて言いたげなバンド連中は大嫌いなんだよ。くだらねえ。俺は18年間かけて居心地の良い場所を作り上げようと努力してきたんだ。この場所を明け渡すつもりはない。
レディオヘッドみたいなバンド。あいつらの「芸術的な進歩」って・・・ったく。レディオヘッドは良いと思うぜ、トム・ヨークが歌い始めるまでは。
クラスについて:ピート・ドハーティみたいに、汚れた爪のまま出歩こうとは思わない。
人生で一番幸せを感じるのは、Brunch barでメシを食ってる時だな、Brunch barってわかる?メイヨー州のチャールズタウンにあるやつだよ。Brunch BarやSilvermintは俺にとっては特別な存在なんだ、本当にアイルランドならではの場所だからな。
昔は毎年6週間チャールズタウンで過ごしたもんさ。素晴らしかった。マンチェスターの公共団地、そのさらに袋小路になった場所に俺達は住んでいたから、 チャールズタウンの360度見渡せる景色は格別だった。子供なりに気に入ってたよ。川に釣りしに行ったり、干し草を運ぶのを手伝ったりしてたんだ。
俺の頭にある一番昔の記憶は、チャールズタウンにある家の近くにある泉に水を汲みに行ってるところだ。その頃はまだ水道が通ってなかったんだよ。今でも少なくとも1年に1回は帰るんだ、あの場所の匂いをかぐだけで、あの幸せ、本当に幸せだった子供時代に戻れるからね。
俺は今でも自分のことを、アイルランド出身の両親から生まれたワーキングクラスの息子だと、強く自覚してるんだ。
だからピート・ドハーティみたいに、爪の間に泥をこびりつかせたまま、シルクハットをかぶってシャツをだらしなく出して外に出ようとは思わない。ワーキングクラスは自分の身なりに誇りを持っているから、そんな格好はしないのさ。
人生で最悪の出来事は、Blurについて口を滑らしたことだな(1995年の「デーモンとアレックスはエイズにかかって死ねばいい」発言)。それを知った おふくろがかんかんに怒って電話をかけてきて『ああいうことを言うような子に育てた覚えはないわ』と言ってきたんだ。あの言葉は本当にこたえたね。
驚異的なアルバムの売り上げ、ネブワースでのギグ、ブリティッシュミュージックの救世主と騒がれてきたり、色々あったが、それでも俺は自分のアイデンティティを保ってる。頂点にいた時ですら、自分が誰よりも優れてると思ったことは一度もない。
むしろ浮かれるのとは正反対の方向に向かってると言った方がいいかもしれないな。次の瞬間自分の運が尽きるんじゃないかと、今もどこかで思ってるのさ。
http://www.irishtimes.com/theticket/articles/2008/1003/1222815469295.html
3週間前、トロントのステージで男からタックルを受け、肋骨を3本折る重傷を負ったノエル・ギャラガー。その傷はいまだ完全には癒えていないものの、 OASISのブレインが、Irish Timesの記者ブライアン・ボイドのインタビューに答えた。自身のアイルランド人ぶり。ピート・ドハーティの爪、トム・ヨークの歌、そして Silvermintsなどなど・・・。
「インタビュー中に俺がちょっとばかしぶっ飛んで、おかしなことを喋り始めたら、教えてくれないか?」。
ロンドンにある自身のレコード会社のオフィスにぎごちなく座っていたノエルは、そう話しかけてきた。
「おかしなことって?」と、私は答える。
気まずい沈黙が流れた後、ノエルの口元にゆっくりと笑みが浮かぶ。
「鎮痛剤が効いてるんだよ。ありとあらゆる種類の強烈な鎮痛薬を使ってるんだ、皆の話だと、そういう時の俺は訳の分からないことを喋りまくるらしい。身体に何の支障もない時に限るみたいだな、こういう強めの鎮痛薬をやって楽しい気分になれるのは(笑う)」。
トロントのステージで起きた事件について:マジでびびった。
「いまや俺はYoutubeのスーパースターだ」と、顔を歪めながら、彼は話しはじめた。
あの時の映像が、youtube史上でも上位のアクセス数を挙げてるんだとさ。リアムの反応が話題になってるんだ、『兄を突き飛ばした男に向かって立ち向 かおうとしてる』ってね。でも注意深く見てみろ、あいつがその態勢に入ったのは、俺がしっかりとセキュリティに囲まれた後のことだ。俺が事件について話す のはこれが初めてだが、皆が思ってるよりもひどいもんだったんだぜ、本当にあの瞬間は刺されたかと思ったんだ。
あの男は雨の中を走ってバックステージにやってきた。そして俺を後ろから突き飛ばし、俺はモニターにぶつかった。突然背中に鋭い痛みが走った、実際そこが 骨折した場所なんだけどさ。自分の足を見たら、やつの濡れた足跡がついていて、その時の俺にはそれが血に見えたんだ。マジでぞっとしたよ。
事件が起きるまでは、全て上手く行ってたんだぜ。ポール・ウェラーが俺達の前にパフォーマンスして、ギグの後には思いっきり飲もうって約束してたんだ。なのにギグの後、俺は飲みに行くどころか病院に直行さ。
俺達がセキュリティについて考え直さなきゃならないことは確実だな。でもマドンナみたいに400人のセキュリティとツアーをするなんてお断りだ。
それで、後から俺が知った衝撃の事実を教えてやるよ。俺を襲った男はアイルランド人だってことだ!47歳で、俺が思うにカナダ国籍を取ったばかりだろう。
このことを明かすのは初めてさ、なぜって世界中でアイルランドの名を地に落とすことはしたくなかったからな。
アイルランド人としての誇り:俺の身体の中には、一滴たりともイングランドの血は流れてない。
おふくろが、俺達兄弟3人にこう言い聞かせてたことをよく覚えてる。『あなた達は紛れもなくイングランド人よ。ここで生まれたんだからね』。
メイヨー出身の母親とミース州出身の父親から生まれた俺には、イングランドの血は一滴たりとも流れてない。今度、スコットランド出身のガールフレンドとの間に生まれた息子にも、もちろんイングランドの血は入ってない。
自分は、誰にも負けないくらいアイルランド人だと思ってるんだ。俺が最初に触れた音楽は、マンチェスターのアイリッシュクラブでバンドが歌っていた反逆の歌だった。
わかるかな、OASISが拳を突き上げて歌うような曲を作るようになったのは、俺が人々を覚醒させるような音楽に触れてきたからだと思うんだよ。気骨あふれる曲と最高の地アイルランド、そして西欧音楽の融合さ。
アイルランドカトリック系の家で育ったからな。おふくろはアイルランドのバターとミルクしか買ってなかったよ。でも、1970年代はアイルランドとイング ランドの間の抗争が激しかっただろ、俺達のコミュニティは十分にアイルランドの食べ物をストックしてなかった、だからおふくろは手に入れるために色んなと ころを回ってたものさ。よく覚えてるのは、両親がマンチェスターのアイリッシュクラブ、Carousel Clubから帰ってきた時のことだ。駐車場の車がアンチアイルランドの群集に包囲されてたと話していた。恐ろしかったよ。
作曲について:1年に3曲しか書けないこともある。
俺、今度のアルバムでは勲章ものの大活躍だったぜ。1年にやっと3曲しか仕上がらない時もあるんだけど、このアルバムはもの凄い早さで書き上げた。ミキシング作業に入った時ですら、ミキシングデスクで新曲を書いてたもんな。アルバムに収録したもの以外にも30曲はできた。
先週マネージャーと話したんだ。曲はどんどん出来るからいっそ作詞者を雇うのはどうかってね。30曲のうちの3曲は女性が歌ってもいいものなんだが、No、エイミー・ワインハウスはお断りだ。
自分の気持ちを書こうと思ったら、歌詞はすぐに出来るのさ。「Definitely Maybe」は、OASISに入る前にはもう書いてたしね。インスパイラル・カーペッツでローディをしてたから、もうすでにロックンロールな生活を送って たわけ。世界を回って、大量にドラッグをやって、暇な時に機材をセットアップしてってね。写真撮影とかビデオ撮影とか余計なことしなくても、俺は十分に ロックンロールできるんだよ。
そんな時に書いた曲が日の目を見ることになるとは、思ってもなかった。自分で歌うためだけに、酔った勢いで書いた曲だったんだからな。インスパイラルのサウンドチェックの時なんかに、弾いたりしてたよ。
それで海外にいた時に、おふくろが電話で『リアムがバンドに入ったの』と言ってきた。もう少しで笑い死にしそうになったが、マンチェスターに戻った時からかい半分でバンドのリハーサルに寄ってみたんだ。
リアムは俺が曲を書いてることを知ってる数少ない一人だったから、俺に向かってこう言ってきた。『お前が書いたくだらねえ曲を一つ弾いてみろよ』。で、俺がColumbiaを弾くと、みんなそろってバンドに入るよう頼み込んできたのさ・・・
1993年にはクリエイションレコードと4万8千ドルぽっちで契約を結んだが、土壇場になって、ボノのレーベル(Mother Records)が、その3倍で契約を持ってきたんだ。まあ4万8千ドルってのは、職のないマンチェスターのガキには大金だったし、俺達はクリエイション にとどまることにした。アラン・マッギーと契約を済ませていたし、それに彼はいつもどんなにOASISを信じているかアピールしてたからね。
行き過ぎた行為について:世界のありとあらゆるコカインをやった。
時間と金が有り余るほどあるのは---俺達の場合、2枚の名作を生み出した後の3rdアルバムをレコーディングしていた時がその時だったわけだけど ---、あまり良いことじゃないな。もちろんこのことにも触れておかなきゃならないだろう、俺達は有り余るほどのコカインもやったと。
俺なんて今でも、「Be Here Now」は、コカインの悪を宣伝するにはベストなアルバムだって言ってるくらいだぜ。主張ばかり長ったらしくて、自己中心的な考えで覆われてる。コカインを使ったらこうなりますっていう良いお手本だ。
11分の曲を書いた時にも、誰かが『これはちょっと長いんじゃないか』と言ってくれるのを待っていたが、誰も言いやしなかった。当時のOASISは世界一ビッグなバンドだったから、誰も反対の声を上げようとしなかったのさ。
「Be Here Now」にもいくつか良い曲はあると思う。そいつを見つけるには18層ものギターウォールの下から掘り起こさないといけないけどね。
最近のツアーで、「Don't Go Away」をアコースティックバージョンでやったんだが、マジな話、涙を流すファンすらいたんだ。
だから、時々あのアルバムを作り直すことを考えるんだよ、Protoolsを使って全て編集しなおそうかってさ。ポール・マッカートニーが、「The Long And Winding Road」から、フィル・スペクターのストリングスを全て抜き去ったのと同じように。
そこで思い直すわけだ、『ちょっと待てよ、あのアルバムもOASISの波乱万丈な歴史を語るうえで欠かせないパートだ』ってね。浮き沈みってのはどうしても付いて回るものだろう。さもなくばKeaneにでもなっちまった方がましだ。
兄弟仲について:今でもアメリカで受け入れられないのは、リアムのせいだ。
今回のアルバムで特に誇りに思ってる楽曲は「Waiting For The Rapture」、「Falling Down」、そして「I’m Outta Time」だ。最初の二つは俺が歌ってる曲だな。自分の声があまりに気に入ったって理由だけで入れたんだ。
以前は、俺がヴォーカルをとる時といったら、リアムがツアーから逃げた時だけだった。今でも俺は、OASISがアメリカで受けないのはリアムのせいだと 思ってる。俺達が音楽史上でも最高の売り上げを挙げたアルバムを引っさげて、さあUSを征服しようとツアーを始めようとした時に、空港にやってきてアホみ たいな言い訳をして飛行機に乗らなかったんだ、残された俺達はまさに立ち往生ってやつさ。
それはさておき、バンド内にリアムみたいな最高にロックンロールなヴォーカルがいる時に、しかもそいつがステージに現れなかったりした時に、代役を務めるのは難儀な仕事だ。
でもU2のThe Edgeを見てみろよ、やつは素晴らしい声をしているが、その声が前に出てくることはない。なぜならボノが立ちはだかってるからさ。「Van Diemen’s Land」で、俺が好きなのは「Rattle And Hum」なんだけど、そいつはThe Edgeが歌ってる曲なんだ。
だから俺は、OASISのThe Edgeなんだと思ってる。これからはもっと歌っていこうと思うよ、今度の「Waiting For The Rapture」で自信がついたからね。あのファルセットは本当に上手くいったぜ。
「I'm Outta Time」は、リアムがジョン・レノンへのオマージュとして書いたんだ。もう少しでヤバい出来になるところだったが、今では、Dig Out Your SoulのWonderwall的存在になると確信してる。あいつは自分用に書いた曲の方が上手く歌えるんだ、声域に沿って曲を書けるからね。
レノンの声まで入れたんだぜ、曲の最後辺りで聞こえるやつさ。許可を得るために、ヨーコのところまで行かなきゃならなかった。思ったより簡単に済んだよ。俺達は彼女のお気に入りだからな。たぶん俺達がジョンのことを尊敬してることを知ってるからだろうね。
歌詞を書くのは得意じゃない。俺からすれば、歌詞ってのは曲に合わせて書くものにすぎない。たとえばモリッシーなんかは、歌詞に合わせて曲を書くんだろうけど。
歌詞の面から見ると、今回のアルバムで気に入ってるのは「Falling Down」だ。(インタビュアーに向かって)以前、『Falling Downは、ドラッグからの離脱症状について書いてるのか』と聞いてきただろ?この曲は、昨年だったな、家の裏庭で、秋の初め独特の美しい夕陽を見たこと がきっかけで、書き始めたんだ。気候の変化とかそういったこととかに思いを巡らしてるうちに、こういう結論に至ったんだ。自然の前で、人間は無力な存在に 過ぎないってことさ。
でも別にそのことをこの曲から感じてくれなくても構わない。俺が「自作の曲について語る自伝本」を出すことはないから安心して好きなように聴いていいよ。 自分が好きな曲について、そのソングライターが後々『実はあの曲は----について書いた曲なんです』なんて書いたりして、それが自分の想像してたものと 全く違っていたら興ざめだからな。
同業者達について:レディオヘッドは大好きだ・・・トム・ヨークの歌さえ入らなければ。
OASIS以外の活動をしようと思ったことは一度もない。俺にはバンドだけで十分なんだ。
侮辱にとらないでほしいんだが、デーモン・アルバーンを見てみろ、オペラをやったり色んなことに手を出してる。俺は今の生き方に満足してるんだ。キャリアを積むために生きてるわけじゃない。
『ニューアルバムでは、居心地の良い場所を抜け出そうと努力しました』なんて言いたげなバンド連中は大嫌いなんだよ。くだらねえ。俺は18年間かけて居心地の良い場所を作り上げようと努力してきたんだ。この場所を明け渡すつもりはない。
レディオヘッドみたいなバンド。あいつらの「芸術的な進歩」って・・・ったく。レディオヘッドは良いと思うぜ、トム・ヨークが歌い始めるまでは。
クラスについて:ピート・ドハーティみたいに、汚れた爪のまま出歩こうとは思わない。
人生で一番幸せを感じるのは、Brunch barでメシを食ってる時だな、Brunch barってわかる?メイヨー州のチャールズタウンにあるやつだよ。Brunch BarやSilvermintは俺にとっては特別な存在なんだ、本当にアイルランドならではの場所だからな。
昔は毎年6週間チャールズタウンで過ごしたもんさ。素晴らしかった。マンチェスターの公共団地、そのさらに袋小路になった場所に俺達は住んでいたから、 チャールズタウンの360度見渡せる景色は格別だった。子供なりに気に入ってたよ。川に釣りしに行ったり、干し草を運ぶのを手伝ったりしてたんだ。
俺の頭にある一番昔の記憶は、チャールズタウンにある家の近くにある泉に水を汲みに行ってるところだ。その頃はまだ水道が通ってなかったんだよ。今でも少なくとも1年に1回は帰るんだ、あの場所の匂いをかぐだけで、あの幸せ、本当に幸せだった子供時代に戻れるからね。
俺は今でも自分のことを、アイルランド出身の両親から生まれたワーキングクラスの息子だと、強く自覚してるんだ。
だからピート・ドハーティみたいに、爪の間に泥をこびりつかせたまま、シルクハットをかぶってシャツをだらしなく出して外に出ようとは思わない。ワーキングクラスは自分の身なりに誇りを持っているから、そんな格好はしないのさ。
人生で最悪の出来事は、Blurについて口を滑らしたことだな(1995年の「デーモンとアレックスはエイズにかかって死ねばいい」発言)。それを知った おふくろがかんかんに怒って電話をかけてきて『ああいうことを言うような子に育てた覚えはないわ』と言ってきたんだ。あの言葉は本当にこたえたね。
驚異的なアルバムの売り上げ、ネブワースでのギグ、ブリティッシュミュージックの救世主と騒がれてきたり、色々あったが、それでも俺は自分のアイデンティティを保ってる。頂点にいた時ですら、自分が誰よりも優れてると思ったことは一度もない。
むしろ浮かれるのとは正反対の方向に向かってると言った方がいいかもしれないな。次の瞬間自分の運が尽きるんじゃないかと、今もどこかで思ってるのさ。
