オリジナルの記事はこちら。↓
http://blogs.telegraph.co.uk/culture/neilmccormick/100002791/oasis-split-its-a-family-affair/
2,3週間前だっただろうか。私は、ノエル・ギャラガーに会って話をした。マンチェスター出身の昔からの友人が彼に仕掛けようとした、文字には出来ない類 のいたずらを面白おかしく話したノエルは、信じられないというような顔をして腹立ちまぎれにオチをつけた。「言いたいことは3つある。俺は42歳だ。2人 の子供がいる....しかも俺はファッキンリッチなんだよ!」。
それが、たぶん、OASISの墓に刻まれる言葉となるかもしれない。ノエルは、ロックンロール界の良心の一人だ。いまやデビューして20年となる OASISの崩れゆく堤防に足を突っ込み、弟リアムとの関係を一瞬即発のところでどうにか切り抜けてきた彼は、ついにこの3つのことに行き着いたのかもし れない。42歳。2人の子供。十分な資産。つまるところは、OASISが人々にとってどのような存在であれ、当のチーフにとってはもはやしがみつくほどの ものではないということだ。
ギャラガー兄弟の片割れがOASISから出て行こうとしたことはこれまでにもあったが、今回は、本当に最後なのだと感じさせる何かがある。OASISの終 焉は、罵声ではなく謝罪の言葉と共に訪れた。パリのSeine Festivalに出演する予定だったOASISだったが、ステージに彼らの姿が現れることはなく、代わりにスクリーン上にメッセージが流れたのだった。 「メンバー同士で揉め事が起こったため、OASISのギグはキャンセルになりました」。
間際でキャンセルする言い訳としては仕様もなさすぎて、納得がいかなかったファンも多いだろう。私が思うに、13ヶ月のツアー中、滅多に話もせず、インタ ビューやブログ、twitterを通してのけなし合いが唯一のコミュニケーション手段となっていた二人の間で、ついに面と向かって言葉が交わされ、すぐに 殴り合いとなり、ノエルは限界を感じたのではないか。
後に、ノエルは脱退声明を出した。
「少し悲しいが、何よりほっとしてる。俺は今夜OASISをやめる。みんな好きなように書いたり言ったりするだろうが、もうこれ以上一日たりともリアムとはやっていけない。パリ、コンスタンツ、ミランのチケットを買ってくれたみんなには悪く思ってる」。
そういうことだ。あと3つのギグを終わらせれば、OASISはツアーを完遂できたのだし、好きなだけ休暇をとることもできた。彼らにはその選択肢があった はずだ。実際のところ、二人を取り巻く者なら誰しも今回の事件は想定の範囲内だった。二人の関係は対策を打つべきところまで悪化していたにも関わらず、彼 らはツアー最終地のミランまで続けなければならなかった。しかし、それすらできなくなったのだ。ノエルの表現を借りれば、「1日たりとも」続けることは出 来なかった。なぜならもはやロックンロールがどうこうというレベルではない、家族の問題と化しているのだから。
リアムが一体何を言ったのか。私達の元にはまだ伝わってきていない。きっと、バンド活動に関するどうしようもないことを口走ったのだろう。以前にも、リア ムはノエル抜きでOASISのギグを行っている。今週表紙を飾ったNMEのインタビューでは、「俺に任せてくれるなら、6ヶ月のオフを取った後スタジオに 戻ってレコードを作りたい。そのために俺はOASISにいるんだ。5年間も暇して遊ぶためじゃねえんだよ。俺達はもう昔のように若くはなれない。だから さっさと音楽を作ろうぜ。俺はやる気だ。準備は出来ている。アルバムも明日には作れちまうほどさ」。作曲家としては遅咲きのリアムだが、最近のアルバムで は収録される曲も増えてきており、新曲も「余るほど」あるという。しかしソロアルバムは作りたくないらしい。「興味ねえもん...俺はOASISの一員な んだ。バンドをやるのが好きなんだよ」。自身の曲については、「クラシックな感じさ。今流行の音じゃない。いつでも書けるよ。20年経っても30年経って も書けるかもしれないし。もう1曲も書けねえかもわかんねえ、わかる?」。
それに対してはこうとしか答えられない。うーん、いや、よくわからない、と。
我々も知っての通り、リアムには少しおかしいところがあるが、それが人を惹きつけてやまない象徴的なフロントマンとして1つの魅力になっていた。一緒にバ ンドをやるのは難しいこと確実だが、それだから彼ほど興味深い人間はいないのだ。ギャラガー兄弟は、外見は似ていても中身は全く異なる。生まれてからずっ と家族の中で違う役割を担ってきたのだから、兄弟とはそういうものなのだろう。兄のノエル・ギャラガーには思慮分別がある。ノエルという人間、つまり賢 く、機知に富み、驚くほど謙虚で気の利く彼について、私が心底不思議なのは、弟のことを全く理解しようとせず邪険に扱うところだ。最近では、リアムのこと を「失礼だし、態度はでかいし、人を脅すし、怠け者だ。あんなにいつも怒ってるやつも珍しい。世界に向かって歯向かってばかりいる」と、言い表した。実に 面白い表現である。しかし、実際リアムに会ってみればわかるが、彼はどこまでもチャーミングで話しやすい人物だ。リアムがどれだけ手に余る人物か聞いた話 は数知れず、ことノエルが相手となると彼の態度はどこまでも反抗的で無礼になるけれど、私の目から見れば、愛してもらいたい、認めてもらいたいというリア ムの本音としか思えなかった。かまってもらえない時、わざと好き勝手に行動してみせる。どんな家族でも経験したことはあると思う。自身が立ち上げたアパレ ルブランドPretty Greenに関して、リアムは「立ち上げて仕事に関わることができて嬉しいよ、わかるだろ、お高くとまったパーカー*に 蔑みの目で見られて舌打ちされることなくね」と話し、また「あいつが俺の作った服を着てるところを見たいんだ。色々くれてやったんだぜ。でもわかってる、 どうせ全部ゴミ箱に捨てるんだろうさ」と、鼻息も荒く付け加えている。「あいつ」とは誰なのか言うまでもないだろう。いい年になったからといって、二人が 幾度となく演じてみせる子供じみたやり取りをやめる理由にはならない。
*訳注 特撮テレビ番組サンダーバードに登場する運転手パーカーのこと。リアム曰く、ノエルにそっくり。
同じくNMEのインタビューで、リアムはノエルのことを「たぶんあいつには、やりたいことをやらせる必要があるんだろう。それで幸せだとは思えないけど さ」と、話した。ライターのレオニー・クーパーは、そう話すリアムの声に懸念の色、そして優しさすら感じて驚いたと話している。ノエルはソロアルバムを作 るべきかと尋ねると、リアムは「それで幸せならな、うん、それであいつが幸せなら」と、話したという。それをインタビュアーではなく、ノエルに直接言えた なら、事態は変わっていたのではないかと思えてならない。
OASISの終焉は、音楽界にとってそう大きな損失ではない。イギリスで一、二を争うビッグバンドではあるけれど、彼らの時代は90年代ブリットポップの 波に乗ってやってきて消えていったのだから。それに音楽的な角度から見ても、それ以後は無駄な時間を費やしてきていたのだから。OASISはいくつかの歌 えるシングルを出し、その中で時に見られる強く光を放つ楽曲によって、彼らを勢いづいてきた。しかし、ブリティッシュロックを復活させたあの2枚のアルバ ムを超えることはできなかった。おなじみのコードと声が続く15曲近い楽曲では、大衆の支持を勝ち取り続けることはできなかった。時代を定義するバンド、 OASIS。彼らには、誰にも負けない楽曲があり、生き方がある。必要なものはそれだけだ。
私は、今年7月のウェンブリー・スタジアムで、OASISのギグを見ている。その素晴らしさ。余計な手を加えずに演奏されるヒットソングに合わせて合唱を やめなかったオーディエンス。アンコールで、ノエルは「Don't Look Back In Anger」を演奏したが、彼自身は歌うに及ばず、大合唱をする7万人にあわせてギターをかき鳴らすだけだった。世界一のカラオケセッションだ。会場で感 じる高揚感は右に出るものがないほど特別なもので、もし二度とあの轟きを聴く事ができないのだとすれば、それは悲しいことだ。
しかしである。彼らの歴史は一筋縄にはいかない。バンドをやめることはできても、家族をやめることが果たしてできるのだろうか?
http://blogs.telegraph.co.uk/culture/neilmccormick/100002791/oasis-split-its-a-family-affair/
2,3週間前だっただろうか。私は、ノエル・ギャラガーに会って話をした。マンチェスター出身の昔からの友人が彼に仕掛けようとした、文字には出来ない類 のいたずらを面白おかしく話したノエルは、信じられないというような顔をして腹立ちまぎれにオチをつけた。「言いたいことは3つある。俺は42歳だ。2人 の子供がいる....しかも俺はファッキンリッチなんだよ!」。
それが、たぶん、OASISの墓に刻まれる言葉となるかもしれない。ノエルは、ロックンロール界の良心の一人だ。いまやデビューして20年となる OASISの崩れゆく堤防に足を突っ込み、弟リアムとの関係を一瞬即発のところでどうにか切り抜けてきた彼は、ついにこの3つのことに行き着いたのかもし れない。42歳。2人の子供。十分な資産。つまるところは、OASISが人々にとってどのような存在であれ、当のチーフにとってはもはやしがみつくほどの ものではないということだ。
ギャラガー兄弟の片割れがOASISから出て行こうとしたことはこれまでにもあったが、今回は、本当に最後なのだと感じさせる何かがある。OASISの終 焉は、罵声ではなく謝罪の言葉と共に訪れた。パリのSeine Festivalに出演する予定だったOASISだったが、ステージに彼らの姿が現れることはなく、代わりにスクリーン上にメッセージが流れたのだった。 「メンバー同士で揉め事が起こったため、OASISのギグはキャンセルになりました」。
間際でキャンセルする言い訳としては仕様もなさすぎて、納得がいかなかったファンも多いだろう。私が思うに、13ヶ月のツアー中、滅多に話もせず、インタ ビューやブログ、twitterを通してのけなし合いが唯一のコミュニケーション手段となっていた二人の間で、ついに面と向かって言葉が交わされ、すぐに 殴り合いとなり、ノエルは限界を感じたのではないか。
後に、ノエルは脱退声明を出した。
「少し悲しいが、何よりほっとしてる。俺は今夜OASISをやめる。みんな好きなように書いたり言ったりするだろうが、もうこれ以上一日たりともリアムとはやっていけない。パリ、コンスタンツ、ミランのチケットを買ってくれたみんなには悪く思ってる」。
そういうことだ。あと3つのギグを終わらせれば、OASISはツアーを完遂できたのだし、好きなだけ休暇をとることもできた。彼らにはその選択肢があった はずだ。実際のところ、二人を取り巻く者なら誰しも今回の事件は想定の範囲内だった。二人の関係は対策を打つべきところまで悪化していたにも関わらず、彼 らはツアー最終地のミランまで続けなければならなかった。しかし、それすらできなくなったのだ。ノエルの表現を借りれば、「1日たりとも」続けることは出 来なかった。なぜならもはやロックンロールがどうこうというレベルではない、家族の問題と化しているのだから。
リアムが一体何を言ったのか。私達の元にはまだ伝わってきていない。きっと、バンド活動に関するどうしようもないことを口走ったのだろう。以前にも、リア ムはノエル抜きでOASISのギグを行っている。今週表紙を飾ったNMEのインタビューでは、「俺に任せてくれるなら、6ヶ月のオフを取った後スタジオに 戻ってレコードを作りたい。そのために俺はOASISにいるんだ。5年間も暇して遊ぶためじゃねえんだよ。俺達はもう昔のように若くはなれない。だから さっさと音楽を作ろうぜ。俺はやる気だ。準備は出来ている。アルバムも明日には作れちまうほどさ」。作曲家としては遅咲きのリアムだが、最近のアルバムで は収録される曲も増えてきており、新曲も「余るほど」あるという。しかしソロアルバムは作りたくないらしい。「興味ねえもん...俺はOASISの一員な んだ。バンドをやるのが好きなんだよ」。自身の曲については、「クラシックな感じさ。今流行の音じゃない。いつでも書けるよ。20年経っても30年経って も書けるかもしれないし。もう1曲も書けねえかもわかんねえ、わかる?」。
それに対してはこうとしか答えられない。うーん、いや、よくわからない、と。
我々も知っての通り、リアムには少しおかしいところがあるが、それが人を惹きつけてやまない象徴的なフロントマンとして1つの魅力になっていた。一緒にバ ンドをやるのは難しいこと確実だが、それだから彼ほど興味深い人間はいないのだ。ギャラガー兄弟は、外見は似ていても中身は全く異なる。生まれてからずっ と家族の中で違う役割を担ってきたのだから、兄弟とはそういうものなのだろう。兄のノエル・ギャラガーには思慮分別がある。ノエルという人間、つまり賢 く、機知に富み、驚くほど謙虚で気の利く彼について、私が心底不思議なのは、弟のことを全く理解しようとせず邪険に扱うところだ。最近では、リアムのこと を「失礼だし、態度はでかいし、人を脅すし、怠け者だ。あんなにいつも怒ってるやつも珍しい。世界に向かって歯向かってばかりいる」と、言い表した。実に 面白い表現である。しかし、実際リアムに会ってみればわかるが、彼はどこまでもチャーミングで話しやすい人物だ。リアムがどれだけ手に余る人物か聞いた話 は数知れず、ことノエルが相手となると彼の態度はどこまでも反抗的で無礼になるけれど、私の目から見れば、愛してもらいたい、認めてもらいたいというリア ムの本音としか思えなかった。かまってもらえない時、わざと好き勝手に行動してみせる。どんな家族でも経験したことはあると思う。自身が立ち上げたアパレ ルブランドPretty Greenに関して、リアムは「立ち上げて仕事に関わることができて嬉しいよ、わかるだろ、お高くとまったパーカー*に 蔑みの目で見られて舌打ちされることなくね」と話し、また「あいつが俺の作った服を着てるところを見たいんだ。色々くれてやったんだぜ。でもわかってる、 どうせ全部ゴミ箱に捨てるんだろうさ」と、鼻息も荒く付け加えている。「あいつ」とは誰なのか言うまでもないだろう。いい年になったからといって、二人が 幾度となく演じてみせる子供じみたやり取りをやめる理由にはならない。
*訳注 特撮テレビ番組サンダーバードに登場する運転手パーカーのこと。リアム曰く、ノエルにそっくり。
同じくNMEのインタビューで、リアムはノエルのことを「たぶんあいつには、やりたいことをやらせる必要があるんだろう。それで幸せだとは思えないけど さ」と、話した。ライターのレオニー・クーパーは、そう話すリアムの声に懸念の色、そして優しさすら感じて驚いたと話している。ノエルはソロアルバムを作 るべきかと尋ねると、リアムは「それで幸せならな、うん、それであいつが幸せなら」と、話したという。それをインタビュアーではなく、ノエルに直接言えた なら、事態は変わっていたのではないかと思えてならない。
OASISの終焉は、音楽界にとってそう大きな損失ではない。イギリスで一、二を争うビッグバンドではあるけれど、彼らの時代は90年代ブリットポップの 波に乗ってやってきて消えていったのだから。それに音楽的な角度から見ても、それ以後は無駄な時間を費やしてきていたのだから。OASISはいくつかの歌 えるシングルを出し、その中で時に見られる強く光を放つ楽曲によって、彼らを勢いづいてきた。しかし、ブリティッシュロックを復活させたあの2枚のアルバ ムを超えることはできなかった。おなじみのコードと声が続く15曲近い楽曲では、大衆の支持を勝ち取り続けることはできなかった。時代を定義するバンド、 OASIS。彼らには、誰にも負けない楽曲があり、生き方がある。必要なものはそれだけだ。
私は、今年7月のウェンブリー・スタジアムで、OASISのギグを見ている。その素晴らしさ。余計な手を加えずに演奏されるヒットソングに合わせて合唱を やめなかったオーディエンス。アンコールで、ノエルは「Don't Look Back In Anger」を演奏したが、彼自身は歌うに及ばず、大合唱をする7万人にあわせてギターをかき鳴らすだけだった。世界一のカラオケセッションだ。会場で感 じる高揚感は右に出るものがないほど特別なもので、もし二度とあの轟きを聴く事ができないのだとすれば、それは悲しいことだ。
しかしである。彼らの歴史は一筋縄にはいかない。バンドをやめることはできても、家族をやめることが果たしてできるのだろうか?
