リアム・ギャラガーがチャーリー・カーターに語る、大人の落ち着きを手に入れた理由。
彼自身も認めるように、ブリット・ポップのスーパースター、リアム・ギャラガーは生まれ変わった。
来月、香港にやってくるOASIS。1997年には、パースから離陸した機内で乱闘を起こしたため、キャセイ・パシフィック航空から永久追放を受けたこの男も、今では、夜な夜な街に繰り出すよりも室内で過ごす方が好きになったという。
「もうパーティ三昧は終わり」と、かつての暴れん坊は話す。
「ニコルや子供達と一緒にいたいんだ。友達の家に行ったり、俺の家に招いたりするのさ」。
1990年代半ばに、マンチェスターから現れ、栄光の頂点に登りつめた、新しいブリティッシュロックの形を構築した男の口から出たとは到底思えない言葉だ。
OASISの音楽は当時の音楽界隈とは少し異質なものがあり、長い目でみてもブリティッシュポップというものを作り上げたのは彼らが初めてだった。 「Wonderwall」や「Don't Look Back In Anger」、「Supersonic」など、歌詞に特別意味はないかもしれないが、彼らの曲にはその時代に合った野望が叩き込まれていた。
OASIS伝説に拍車をかけたのは、リアムとノエルの兄弟喧嘩や夜遊びだ。論議をかもすような発言やドラッグ常用の噂など、2人のことがタブロイド紙に載らない日の方が珍しかった。
最も過熱ぶりを増したのは、1995年に起こった「ブリットポップ戦争」だろう。ライバル視されていたBlurと、同日にニューシングルを発売したのだ。 OASISの「Roll With It」はBlurの「Counrty House」に1位の座を譲ったものの、ニューアルバムの方は1000万枚以上の差をつけ、最終的にはOASISが覇権を手にした形になった。
最近では、兄のノエルの発言や行動がメディアを賑わせる傾向にある。
「ノエルはいつでも飲んでんだよ」。
ミランのギグの翌日、リアムは電話インタビューでそう答えた。
「あいつとサラは、コメディアンかなんかと遊びに行くのが好きなんだ」。
「あなたの方は丸くなってきているという評判ですが」と尋ねると、彼は少し苛立ちを覚えたようで、かつての棘を一瞬ではあるがむき出しにした。
「いいか、俺は別に酒をやめたわけじゃねえんだ。確かに前よりペースは落ちてるさ。でもそこまでってわけじゃない、たぶん」。
さらに航空会社から永久追放をくらった1997年の出来事に対しては、未だに彼は頑なな態度を見せた。
「何にも後悔してない。ギグをやって飲んだだけだ。誰も傷つけてない」。
ギャラガー兄弟の関係はロック界でも注目の的だ。公共の場で堂々と喧嘩をし、ノエルがバンドを離れる結果になったことも1度ではない。USで、信用ががた 落ちすることになったのもそれが原因だ。1度目はノエルがバンドを置き去りに憤然と立ち去り、2度目はリアムが新居探しを理由にイギリスから出国すること を拒んだ。
今はあまり話をすることもないのだと、リアムは話した。
「一緒に公園を散歩することもないし、一緒にブランチだのランチだの食べに行くこともない」。
マンチェスター訛りで抑揚なく話すリアム。
「そんなもんだろ。あいつは俺とは違うタイプの人間だし、俺だってあいつとは違う。2人ともロンドンに住んでるから、そう、行こうと思えばあいつの家にも行けるけど、行きたくねえんだよ。わざわざ行って顔を見に行く気がしない。あいつもきっと同じように思ってるぜ」。
ギタリストのゲム・アーチャーも、ギャラガー兄弟の関係が変化してきたことに気付いていた。
「大人同士の関係になってきたことは確かだね」。
約10年前にバンドに加入したゲムはそう話す。
「みんな子供ができて、バンドにいる目的もはっきり定まってる。音楽のためであって、金や名誉のためじゃないってことさ」。
変わったのは2人だけではない。バンドも90年代に突如シーンに現れた生意気なバンドとは全く違う立ち位置にある。4月7日、Asia World Arenaでギグをする彼らは、
いわゆるビートルズライクなOASISサウンドから一線を画した作品と評されている「Dig Out Your Soul」を披露することになっている。
ゲムによると、この変化は新しいドラマー、クリス・シャーロックの存在と、レコーディングの段取りのおかげだそうだ。
「本当にとんとん拍子で進んだんだ。手をつけてから完成まで7週間で済んだんだから。デモは録らなかった、こういう風にやるのってけっこう経験が必要なんだよね。でもこの方向で行くべきだっていうテレパシーみたいなものがあった」。
8年ぶりの再結成を見た昔のライバルBlurに対する態度も変化しているようだ。
「戻ってきてくれて良かったぜ、Kaiser Chiefsをぶっ潰してくれたら嬉しいね」と、リアム。
「今じゃ俺も前よりちょっとは大人になったしそれなりに経験も積んでるんだ。ほんと再結成は嬉しく思うよ」。
しかし、再結成ギグに行く予定はないという。
「まず歓迎されねえだろ。俺とデーモンはまだしも、あいつらのファンと気が合うとは思えねえし」。
今回のツアーでは、OASISの歴史に残るだろうイベントがいくつか予定されている。一つは - 中止になってしまったが - 中国大陸での初のギグだ。香港の前に、上海と北京でギグを行う予定だったのだが、急遽キャンセルになってしまった。1997年にノエルがチベットを支援す るチャリティコンサートに参加した「前科」を知った中国当局が、ビザを無効にしたのである。
しかし、イベントはまだある。OASIS初となるUKスタジアムツアーだ。ネブワース2日間を満員のファンで埋め尽くしたバンドにとっても、これまでにない規模のツアーであり、約50万人のファンの前がOASISと興奮を分かち合うことになる。
「日程を決めた時は、『みんな来てくれるかなあ』と思ってたんだけどね」と、ゲム。
「午後3時までにソールドアウトしたと聞いて、ほんとにほっとしたよ。スタジアムでのギグは他とはまるで違うからね。ロンドンでバスキングしていた頃からの夢だったんだ」。
一方のリアムは、そこまでの感慨はないらしい。
「小さい会場だろうが大きい会場だろうがめっちゃくちゃ大きな会場だろうが、俺にとってはどれも同じだ」。
しかし、グラストンベリー・フェスティバルにだけは出たくないのだとか。デビュー初期には諸手で歓迎を受けたOASISだが、2005年に出演した時には、精彩を欠いたパフォーマンスのために、オーディエンスから野次を飛ばされている。
「もう絶対に出ねえ」。そう話すリアム。
「あのフェスはクソだ。俺には合わねえ。人が盛り上がろうって時に、写真撮りくさるしか能のねえ馬鹿とパパラッチしか来ねえんだぜ。俺には無理。あそこのサウンドも好きじゃねえ。あのファッキンサウンドシステムは最低だ」。
4月7日午後8時、OASISは、香港のAsia World Arenaにてギグを行う。
彼自身も認めるように、ブリット・ポップのスーパースター、リアム・ギャラガーは生まれ変わった。
来月、香港にやってくるOASIS。1997年には、パースから離陸した機内で乱闘を起こしたため、キャセイ・パシフィック航空から永久追放を受けたこの男も、今では、夜な夜な街に繰り出すよりも室内で過ごす方が好きになったという。
「もうパーティ三昧は終わり」と、かつての暴れん坊は話す。
「ニコルや子供達と一緒にいたいんだ。友達の家に行ったり、俺の家に招いたりするのさ」。
1990年代半ばに、マンチェスターから現れ、栄光の頂点に登りつめた、新しいブリティッシュロックの形を構築した男の口から出たとは到底思えない言葉だ。
OASISの音楽は当時の音楽界隈とは少し異質なものがあり、長い目でみてもブリティッシュポップというものを作り上げたのは彼らが初めてだった。 「Wonderwall」や「Don't Look Back In Anger」、「Supersonic」など、歌詞に特別意味はないかもしれないが、彼らの曲にはその時代に合った野望が叩き込まれていた。
OASIS伝説に拍車をかけたのは、リアムとノエルの兄弟喧嘩や夜遊びだ。論議をかもすような発言やドラッグ常用の噂など、2人のことがタブロイド紙に載らない日の方が珍しかった。
最も過熱ぶりを増したのは、1995年に起こった「ブリットポップ戦争」だろう。ライバル視されていたBlurと、同日にニューシングルを発売したのだ。 OASISの「Roll With It」はBlurの「Counrty House」に1位の座を譲ったものの、ニューアルバムの方は1000万枚以上の差をつけ、最終的にはOASISが覇権を手にした形になった。
最近では、兄のノエルの発言や行動がメディアを賑わせる傾向にある。
「ノエルはいつでも飲んでんだよ」。
ミランのギグの翌日、リアムは電話インタビューでそう答えた。
「あいつとサラは、コメディアンかなんかと遊びに行くのが好きなんだ」。
「あなたの方は丸くなってきているという評判ですが」と尋ねると、彼は少し苛立ちを覚えたようで、かつての棘を一瞬ではあるがむき出しにした。
「いいか、俺は別に酒をやめたわけじゃねえんだ。確かに前よりペースは落ちてるさ。でもそこまでってわけじゃない、たぶん」。
さらに航空会社から永久追放をくらった1997年の出来事に対しては、未だに彼は頑なな態度を見せた。
「何にも後悔してない。ギグをやって飲んだだけだ。誰も傷つけてない」。
ギャラガー兄弟の関係はロック界でも注目の的だ。公共の場で堂々と喧嘩をし、ノエルがバンドを離れる結果になったことも1度ではない。USで、信用ががた 落ちすることになったのもそれが原因だ。1度目はノエルがバンドを置き去りに憤然と立ち去り、2度目はリアムが新居探しを理由にイギリスから出国すること を拒んだ。
今はあまり話をすることもないのだと、リアムは話した。
「一緒に公園を散歩することもないし、一緒にブランチだのランチだの食べに行くこともない」。
マンチェスター訛りで抑揚なく話すリアム。
「そんなもんだろ。あいつは俺とは違うタイプの人間だし、俺だってあいつとは違う。2人ともロンドンに住んでるから、そう、行こうと思えばあいつの家にも行けるけど、行きたくねえんだよ。わざわざ行って顔を見に行く気がしない。あいつもきっと同じように思ってるぜ」。
ギタリストのゲム・アーチャーも、ギャラガー兄弟の関係が変化してきたことに気付いていた。
「大人同士の関係になってきたことは確かだね」。
約10年前にバンドに加入したゲムはそう話す。
「みんな子供ができて、バンドにいる目的もはっきり定まってる。音楽のためであって、金や名誉のためじゃないってことさ」。
変わったのは2人だけではない。バンドも90年代に突如シーンに現れた生意気なバンドとは全く違う立ち位置にある。4月7日、Asia World Arenaでギグをする彼らは、
いわゆるビートルズライクなOASISサウンドから一線を画した作品と評されている「Dig Out Your Soul」を披露することになっている。
ゲムによると、この変化は新しいドラマー、クリス・シャーロックの存在と、レコーディングの段取りのおかげだそうだ。
「本当にとんとん拍子で進んだんだ。手をつけてから完成まで7週間で済んだんだから。デモは録らなかった、こういう風にやるのってけっこう経験が必要なんだよね。でもこの方向で行くべきだっていうテレパシーみたいなものがあった」。
8年ぶりの再結成を見た昔のライバルBlurに対する態度も変化しているようだ。
「戻ってきてくれて良かったぜ、Kaiser Chiefsをぶっ潰してくれたら嬉しいね」と、リアム。
「今じゃ俺も前よりちょっとは大人になったしそれなりに経験も積んでるんだ。ほんと再結成は嬉しく思うよ」。
しかし、再結成ギグに行く予定はないという。
「まず歓迎されねえだろ。俺とデーモンはまだしも、あいつらのファンと気が合うとは思えねえし」。
今回のツアーでは、OASISの歴史に残るだろうイベントがいくつか予定されている。一つは - 中止になってしまったが - 中国大陸での初のギグだ。香港の前に、上海と北京でギグを行う予定だったのだが、急遽キャンセルになってしまった。1997年にノエルがチベットを支援す るチャリティコンサートに参加した「前科」を知った中国当局が、ビザを無効にしたのである。
しかし、イベントはまだある。OASIS初となるUKスタジアムツアーだ。ネブワース2日間を満員のファンで埋め尽くしたバンドにとっても、これまでにない規模のツアーであり、約50万人のファンの前がOASISと興奮を分かち合うことになる。
「日程を決めた時は、『みんな来てくれるかなあ』と思ってたんだけどね」と、ゲム。
「午後3時までにソールドアウトしたと聞いて、ほんとにほっとしたよ。スタジアムでのギグは他とはまるで違うからね。ロンドンでバスキングしていた頃からの夢だったんだ」。
一方のリアムは、そこまでの感慨はないらしい。
「小さい会場だろうが大きい会場だろうがめっちゃくちゃ大きな会場だろうが、俺にとってはどれも同じだ」。
しかし、グラストンベリー・フェスティバルにだけは出たくないのだとか。デビュー初期には諸手で歓迎を受けたOASISだが、2005年に出演した時には、精彩を欠いたパフォーマンスのために、オーディエンスから野次を飛ばされている。
「もう絶対に出ねえ」。そう話すリアム。
「あのフェスはクソだ。俺には合わねえ。人が盛り上がろうって時に、写真撮りくさるしか能のねえ馬鹿とパパラッチしか来ねえんだぜ。俺には無理。あそこのサウンドも好きじゃねえ。あのファッキンサウンドシステムは最低だ」。
4月7日午後8時、OASISは、香港のAsia World Arenaにてギグを行う。
