「確かに俺は喧嘩が好きだが、フーリガンなんかじゃない」と、リアムは話す。「エヴァン・ダンドーでもないし『ヘロインもコカインも大好きだ』とか抜かす自虐的なアーティストとも全然違う。認めるよ。俺はドラッグを鼻から吸い込むのも好きだし、セックスも大好きだ。でもものをぶっ壊すのは好きじゃない。俺の考えでは、椅子は座るためにあるんだからな」。

一方ノエルはフーリガン的要素についてこう話す。「周りのやつらが退屈し始めて、酒を飲み喧嘩し始めて部屋をめちゃくちゃにする。そしたら俺は部屋から出て曲を書く。なぜなら俺には一向に関係のないことだからだ」。さらに「もし今悪魔が現れて、『どちらか一つを選べ。音楽か、それとも、人間関係か』と言われたら、もしその対象が母親でもガールフレンドでも、リアムだったとしても、俺は音楽の方にサインするだろう」と、真顔で付け加えた。

そしてリズムギタリストのボーンヘッドは、ホテルを荒らしまわった張本人である。最近のツアーでも、黒と白のアディダスを着けた仲間たちが、デビューを果たしたボーンヘッドからチップをもらおうと群がっていた。「連中に、これには練習が何年も必要なんだと言ってやったよ。家に椅子を準備して椅子を窓から放り投げたりさ」。

しかしOASISのデビューによる反動はすでに始まっているようだ。ノエルによると、有名になったことで彼らは、南、つまりロンドンに追いやられているという。

「俺達は何年もロンドンでギグをしてきたから誰も気に止めてなかったが、気づいてみたら、マンチェスターに長らく帰ってないんだ」。

ノエルは苦々しい表情をする。「俺達が帰るのを避けているのか、逆に向こうが俺達を嫌っているのか。自称「俺の友人」達は『一文無しの時のお前を覚えてるよ』とほざくが、俺にとっては『俺は忘れたいんだ、とっとと消えろ』ってことさ」。

また同じマンチェスター出身の先人、The SmithsやThe Roses、The Mondaysの一員に加わったことを喜びながらも、ノエルによると、ビートルズやジョン・ライドン、ニール・ヤングとのつながりの方が強いのだという。

「音楽は何もマンチェスターだけにあるわけじゃない。それにあそこは冗談みたいな土地柄だぜ。ガキどもは『神がマンチェスターを創った』というロゴ入りのTシャツを買った後で、そんなわけないことに気づかされるんだ。あそこで流行るものは全てくだらない」。

さらに個人的な興味から言わせてもらうと、このツアーで新しいトレンドが生まれたようだ。

それはリアムいじめだ。ルールは簡単。リアムがステージに現れたら、質問攻め、あるいはボトルを投げる、あるいはマンチェスター・シティをけなしてみよう。リアムが、野次もギグを盛り上げる材料の一つであることを知らないと了解済みの上で、からかうのだ。その時の彼はまるで口をとがらせた子供のようである。

先月のハイネケン・フェスでは、バンドはなんとか1曲目の途中まで演奏をしたものの、リアムが音楽を止めたのだった。「お前らのためのギグなんてするもんか。やらねえぞ。俺達はそんな間抜け野郎じゃない。Blurでもない」と、目の前で野次を飛ばす敵の集団に対して演奏する気はないと告げたのだ。「音楽に集中できねえんなら、俺達の曲を聴くに値しない」。

しかしそこで演奏された曲はぜひ聴くべきものであった。曲だけではない、その曲を響かせるOASIS自体を見るべきだった。そこには、酒やドラッグに酔った、悲しみに暮れたアンセムなど一つもない。そこに堕ちるには、あまりに彼らは活きが良すぎた。

デビューアルバム「Definitely Maybe」は3分の生まれたての曲群が収められているが、彼らのライブでの生々しさの全てを伝えるには成功していないように思える(OASISのライブの盛り上がりは息を呑むものがあり、それをアルバムに封じ込めることができていないのが、彼らの唯一のハンディキャップだ)。まあ、しょうもない小言ではあるが。全ての曲が、社会を相手に回して、大きな顔をしている。時にはノエルの作曲能力がはっきりするアコースティックなナンバーもある。ぜひ、OASISのスタートであるパンク・ポップ・アルバム、さらに洗練されていく前の荒削りな彼らの姿を聴き届けてほしい。

Crazy Horseとノエルが共演した次の日、OASISは我々The Faceのカバーを飾る写真を撮影するため、フォトスタジオに集まっていた(念のために記しておくと、ノエルとCrazy Horseの共演は素晴らしいものだった。デニム姿のグランジ界のゴッドファザーと、若いイギリスのロックミュージシャンが、一つのステージに。結局リアムは参加しなかった)。

彼らは時間より遅れて到着し、さらにそれから長い時間いがみあっていた。ノエルがリアムに対して「バンドにいたいのなら、でかい態度をとるな」と言ったことをきっかけに激しい殴り合いの喧嘩が始まり、リアムが突然立ち去ってしまったのだ。すぐにノエルが後を追いかけた。

もしかしたらみなさんにとって、この二人のお決まりの喧嘩は、もう予想済みで退屈なものかもしれない。どうせやらせだろうというご指摘もあるだろう。しかし実際に二人とも、単に自分自身を抑えることが出来ないのである。「やらせなんかじゃないさ。そう願うことはたびたびあるけどね」とボーンヘッドは言う。「いつもこうなんだ」。

なぜ二人はこうなのだろう。実に興味深い。

こういうお互いに刺激し合うパートナーシップというのは音楽界においてよく見られるものである。

The Kinksのレイとデイヴィス。The Whoのタウンゼンドとダルトレイ、The Velvet Undergroundのリードとカール、The Smithsのモリッシーとマー、Sex Pistlesのライドンvs 世界。

OASISのステージ上での態度はこのような伝統を守り抜いたに過ぎない。彼らの問題は、お互いに上手くコミュニケーションがとれないことなのである。一度引き離されてみれば、その陰陽関係が自分に必要なことを認めるに違いないのだ。いや、これまた素直に認めたがらないかもしれないが。

「俺達はカトリック教のもとで育てられたんだ。だからそういう類のことは口に出さないでくれ」。ノエルは肩をすくめてみせる。「リアムと一番心が通じたと感じた瞬間は、あいつに『俺が歌うのは、お前とジョン・レノンの曲だけだ』と言われて、俺が『俺が書くのは、お前とジョン・レノンのための曲だけだ』と返して握手をした時だが、その10分後にはまた喧嘩だ」。

「リアムはまだガキだ。自分の世界に酔ってるし、バカなことを口にして、俺を怒らせる。天才的なフロントマンであることは確かだよ。あいつはそのためにこの世に生まれてきた、俺の持たない才能を携えてね。でもリアムがいつも俺になりたがってることも確かだ。ギグの後、あいつは、自分目当てに近づいてきたファンにそれはくだらないことばかり話すんだ。俺は『ちょっとは黙っとけ、俺がお前の面倒をみてるんだぞ』って思うのさ。わかるか、リアムは世界にシド・ヴィシャスのように名を刻みたいんだ。最高のソングライターとして名を残したいと思ってる俺とは違うんだ。あいつはそんな俺のことを退屈で女々しいと思ってるだろうし、自分も結局はいつか俺と同じ考えに行き着くということも理解してない」。

「お前は俺になることもできる、今すぐにでもそうなるさ。お前が望みさえすれば、俺もお前になることが出来る。でもそんな時間はまるでないんだ」。

「Supersonic」のB面におさめられた「Take Me Away」の歌詞は、彼ら二人の関係の真実を表してるように思える。

実際は彼らの上にはさらに兄が1人いるのだが、ノエルのあふれそうなほどのレコードコレクションといいソングライティング能力の高さといい、リアムにとっては常に尊敬の念に値する存在なのだろう。

「この曲はリアムに向けて話しかけてるという設定なんだ。今のリアムはうぶでキレやすいが、俺みたいになるのにそう長くはかからないだろう。もっと落ち着きをもって、いくらかドラッグをやって、物事を疑ってかかる必要があるってことだ。今はまだ、自分の周りで何が起こってるのか把握できてないんだよ」。

一方リアムサイドの意見としては、OASISは、リアム・ギャラガーが「ノエル・ギャラガーの弟」以上の存在であることを世間に知らしめる手段であるらしい。

「あいつは俺より5歳年上だ。だから何なんだ?確かに身体は年取ってるかもしれないが、心はどうなんだ、あいつの喋ることはくだらねえ。だから俺に向かって兄弟愛なんて言葉を使うのはやめてくれ。俺は時間を超越した存在だし、ノエルはアホだ。あいつは俺のことを何もわかっちゃいない。自分のことだけさ。あいつが曲を書いて、俺が歌う。あいつはじいさん達とつるむのが好きな可哀想なやつで、俺はそうじゃない。それだけのことだろ。確かに俺はあいつのように曲を書くことはできない、でも俺はリアムだ。マーガレットの息子で、自分の意見だって持ってる。俺だって曲くらい書くけど、ノエルには絶対見せねえ」。

我々が確信を持って言えることは、ギャラガー兄弟の成長は、公に見守られているということだ。

ノエルは、兄として弟を同等に扱おうとし、リアムはリアムであろうとする。つまり学校ではバイオリンを弾き、16で退学、仕事に就くが、働くのは好きではなく、The Stone Rosesを見に行ったことを始まりに、今ではイギリス一期待されるバンドのフロントマンとなった。

総崩れとなった写真撮影から3日、グラストンベリーのかすみがかった午後の日差しが降り注ぐ中、リアム・ギャラガーの全く予想だにせぬ一面が現れた。

太陽を背に、いつもの攻撃的な態度はどこへやら、リラックスして初めてのフェスを満喫する彼の姿がそこにあった。ジーンズにポール・スミスの白いシャツ、紺色のジャンパーを羽織ってサングラスをかけたリアムは、遠足に来た子供のように楽しげだった。

「ウッドストック・フェスもこうだったに違いないな」とリアムは柔らかな声で言った。「参加するバンドはみんな一流だったんだろう。このフェスで本物なのは、俺達とウェラーだけだ….そしてThe Bootleg Beatlesも」。

このリアムのインタビューを行ったのち、我々はThe Stone Rosesのマニから公式にコメントを受け取る。「俺達はOASISが大好きだ。子供みたいな存在だよ」。

過剰なほどのうぬぼれを抱いたロックンロールの申し子は、30分と短いものの素晴らしいギグを打ち上げる。

ステージ上で少々のトラブルはあったものの、収まりきれないほどの観客を動員し、しかもバンドは客の数などどうでもいいようだった。リアムはクールかつセクシーで、たった22歳の若者が栄光をまんまと手にすることができるということを見せつけるかのように堂々と、ステージ上を星型のタンバリンを振りつつ歩き回っていた。

バンドは全てのセットリストを終える。最近のツアーではおなじみの「I Am The Walrus」のカバーも演奏した。

これはジョン・レノンのスピリットを受け継ぐトリビュートというだけではなく、OASISのポップ精神がつめこまれたカプセルの意味も持つ。バンドがオリジナルのぐるぐると渦巻くオーケストラのパートを、装飾のないパワーコード・ポップへと変身させている間、リアムは、ジョン・ライドンのように奇抜でナンセンスな歌詞を吐き捨てるように歌っている。

The Happy Mondaysが自身の音楽の核にジョージ・クライトンの影響をあげるように、OASISの周りには、ジョン・レノンのスピリットが、守護霊のようにただよっていた。

OASISがステージを去る時、ジョン・ピールはノエルに囁いた。「俺はレノンと知り合いだったが、彼も君達のトリビュートを気に入ってるに違いないよ」。

何の警告もなしに降って湧いたように現れるや、人々を棒立ちにさせ全てを再評価する必要に追い込む。そういうバンドが時々現れる。これまでのお行儀の悪さ、フーリガンのような行き過ぎた悪ふざけ、OASISはまさにその類の「バンド」だと言えよう。

彼らの存在は、私達が音楽界においてある歴史的な瞬間に立ち会ってることを感じさせる。

レノンとライドンが同じ時期に存在した時のように。時代を象徴した二人は、音楽的には相容れなかったにも関わらず、今、OASISの中で矛盾を起こすことなく、共に仕事を果たしているのだ。

The Sex Pistolsのもつ、世間をあざ笑うかのようなパワーコード・パンク。The Beatlesの持つ、洗練されたメロディックなポップ。The SmithsやThe Stone Rosesの影響も取り入れながら、OASISの中で全て見事に融合している。

多くのバンドが、自らが受けた先人の影響を生半可にしか消化できずにいる今日。音楽を聴く側も、90年代の象徴として、そんな平凡な輩を受け入れるのに慣れきっていた。しかしOASISが音楽界に撃鉄を加えた今、リスナーに興味を持ち続けてほしいなら、「中途半端な」シングル、「折衷」アルバム以上のものを作る必要があることを、他のバンドも認識すべきだろう。

そして刺激を求めてギター・ポップに背を向けた世代に告げよう。OASISが再び「ポップ」に新たな息吹をあたえたということを。

ライドンが宣言した「ロックンロールの終焉」は今、OASISによって見事に破棄されたのだ。