現在午後7時15分、私達は遅刻をしてしまった。ブライトンでノエルにインタビューをする約束をとりつけ、予定場所にスクーターで行くことにしたからだ。最悪のアイディアだった。それ自体は楽しいものだったが。だからブライトンのホテルに着くなり、ドアを蹴破る勢いで中に突入した。レセプションにいるホテル客やスタッフが動揺と共に私達を見つめ、その中にノエルもいた。私は彼に向かって歩いていき「遅れて申し訳ありません」。しかしノエルは、全く意に介する様子は見せなかった。「いいんだ、今サウンドチェックから戻ってきたばかりだから」「ではインタビューはどこでやります?」「何だって?」「インタビューですよ」「俺の部屋がいいな」「そうですね」。
私の最初の質問は、OASISの誕生秘話についてだった。
OASISの誕生について教えてください。
ノエル:OASISはリアムと他の3人のメンバーが作ったんだ、バンドをやりたいってことでね。俺はイングランド以外のどこかにいたんだけど、家に帰ったら母さんが「聞いて、リアムがバンドを作ったの」「何をやってるって?」「歌ってるのよ」。で、ある夜にボードウォークでのギグに行ってみた。そしたらあいつらはOASISと名乗って、4曲プレイしてたがどれもひどい出来でさ、終わった後に俺のところに来て「俺達のマネージャーにならない?」「誰がやるか、俺はバンドメンバーになる。これまでの関係者はまとめて追い出して、新しいベースを雇え、トップに立つぞ!」。俺は割り込むのが好きだからな、すぐに曲を書き始めて、1週間に3回律儀に練習することにだけ集中した。レコード契約を結んでからも俺達のやることは何も変わっちゃいない、おかしいだろ、やることなすこと以前と同じなんだ。俺はずっとOASISはイングランドで最高のバンドだと思ってきた。土曜日の夜だってリハーサル室にこもって一晩中練習だ。朝になると誰かが言うんだ、「俺達何してんだ?土曜の夜だぜ、みんな遊びに行ってるってのに」。でも結局それは報われたってことだな。OASISはまるで当然のようにデビューしたが、俺達はこれまで相当練習してきたんだぜ。
マンチェスターの、具体的にどこの出身なんですか?
ノエル:南バニッジのところさ、マンチェスターの中でもしょぼいところで、あるのは1軒のパブに売春宿、賭屋くらいなんだ。
OASISは1993年10月から今現在まで、新人バンドなら誰もがうらやむ地位にいる。道はOASISのために用意され、ギグのチケットは完売し、ほとんど全ての音楽雑誌の表紙を飾り、ティーンエイジャーの最高の夢となった。レコード契約を結んだことで、Top Of The Popsにも出れた。バンドというものはレコード会社と、取り分についてよくよく話し合うものだ。そこで、 どうやって契約を勝ち取ったの?
ノエル:今では伝説になってる話だな、あれはグラスゴーのキング・タットでのギグの時だった。当時の俺達は失業手当暮らしで金なんて無かったから、バンを借りて回っていたんだ。1人15ポンドずつ払って、20人でようやく借りたバンさ。俺達がギグをしに行くと、プロモーターが「誰だ、お前ら」「俺達はOASISだ」「今夜は出番じゃないだろう」「いや、Boyfriendとギグをするんだ」「嘘だな、予定表には書かれてないぞ」「そんなの関係ないさ、紛れもないあいつらの方から俺達にギグを頼んだんだぜ!」「今日俺が許可できるのは2組だけだ、3組は無理なんだよ」。6時間口論して怒鳴って脅しつけた後に、やっと20分のギグを許してもらった、すぐにスタートさ。クラブの中には誰もいなくてね、俺達の仲間15人以外誰もいねえんだ。その時幸運なことに、クリエイションレコードのアラン・マッギーがグラスゴーからロンドンに帰る電車を逃して、Boyfriendのギグで時間をつぶそうと見に来てた。彼らと話して帰ろうとしたその時に、俺達がステージに上がったんだ。ステージの前を通りすぎながら俺達をちらっと見て思ったんだろう、「こいつら面白そうだ」。Boyfriendの1人がマッギーに「マンチェスターの連中だよ、俺達を楽屋から追い出したあげく、酒を全部飲みやがって、このクラブを荒らすと脅すんだ」。それで彼は余計興味をもってね、4曲プレイした後ステージを降りたら、真っ直ぐ俺達のところにきて、「レコード契約はしてるのか?」「いや」「契約したいか?」「どこと?」「クリエイション」。そこで6枚のアルバムを出す契約を申し込まれ、1週間後に電話だ。「バンド名をもう一度確認させてくれ」。みんな狂ったように興奮したよ。ずっと練習ばかりしてたが、自分たちが良いバンドだってことだけは信じてた。レコード会社に接近する術は知らなかったけどな、俺が会社のオフィスに入っていって「これが俺達のデモテープです」と手渡すのなんて想像できねえだろ。
ノエルは自分がプレイヤーでもありマネージャーでもある状態を嫌がっていた。また他のメンバーには担当するパートに責任をもつように言っていた。つまり彼らにはビジネス面をサポートする人物が必要だったのだ。特にレコード契約を結ぶことになった今では。 マネージャーのマーカス・ラッセルとの出会いは?
ノエル:3年前くらいかな、あの時の俺は土曜の夜はハシエンダと決まってて、そこでいつも小さなスキンヘッドの男に出くわして色々話してたんだ。俺がバンドをやってることを言うと「テープをくれないか、兄貴に聴かせたいんだ」。会うたびに「テープは?兄にあげようと思って」。そしてクリエイションと契約を結んですぐの時、町を歩いてたらたまたま会ってね、「バンドの調子はどう?」「ああ、俺達クリエイションと契約結んだんだよ」。その時、俺はHMVのバッグにTHE THEのニューアルバムを入れて持ってたんだ。やつはそれを見ながら「何てことだ、俺の兄貴にテープを渡せばよかったのに」「ちょっと待てよ、失礼だがお前の兄貴って一体誰なんだ」「そりゃ、ジョニーのことさ」。ジョニー・マーだとピンときたね。すぐにそいつにテープを渡して2時間後にはジョニー・マーと電話だ。興奮したなあ。彼が「今テープを聴いてるけど、素晴らしいね」と言ってくれたから、その夜さっそく飲みに行くと、自分のマネージャーも連れてきていた、それがマーカス・ラッセルだったんだ。
THE SMITHSのファンだったんですか?
ノエル:当たり前だろ!俺にギターを弾くことを教えてくれたのはジョニー・マーだ。
バンドをやるきっかけとなったのは?
ノエル:THE JAM、STONE ROSES、THE SMITH、THE BEATLES。それまでもギターでHey Judeなんか弾き散らしてたんだけど、1983年、THE SMITHを見て、「これだ!こういう風にギターが弾きたいんだ」。その後、ジョン・スクワイアが、ポール・ウェラーやジョン・レノンにクロスして、ギターでやっていきたいと思ったんだ。
ダンスミュージックにはまったことは?
ノエル:1991年まではかなり影響されたよ、88年、89年は自分でも信じられないけど、ギターを弾くのをやめて、キーボードやドラムにいれこんだね。でも俺の中ではもう終わった、目新しいものもないしな。全てのコード展開は使い尽くされてサンプルも聴いたものばっかりだ、退屈だね。
OASISは超短期間で成長しましたね。1994年5月にはオールド・トラウトでギグをしていたのに、4ヶ月後にはみんなの注目の的。あまりに早い。
ノエル:それほどビッグにはなりたくないんだ、ウェンブリースタジアムには行きたいが、その後どこに行きつくんだ?あと2年はあそこに行くつもりはない。俺達の頭の中にはいつもこういう考えがあった。マンチェスターからでてきた異端のよそもの、マンチェスター出身だからみんなの嫌われ者ってことさ。そういう考えを2年間押しのけながらやってきたけど、メディアに振り回されたこともあった。Shakermakerは20位以内に入ったけど、発売前はぼろくそに言われたんだぜ。今はもうそういうことにいちいち頭にくることもなくなったけどな。でも悲しくなることはある、俺のやりたかったことは、俺の曲入りでクレジットに名前が刻まれたCD、それだけだったんだ。それが手に入ってみると、満足できなくなって、今度はチャートに入りたいと思った。苦労なく入ってみると今度はTop Of The Topsに出たくなって。これは悲しいことだよ。まだ何枚かしかレコードを出してないのに、もう俺は退屈している。
OASISの持つイメージには満足?OASISの報道のされ方とか。
ノエル:俺達は正統派じゃないからな、メディアは何か別の埋め合わせでも考えるべきだぜ。それがイングランドのメディアのあり方なんだよ、「これがOASIS」とそのまま受け止めることができないんだ、肯定するか否定するかさ。The Happy MondaysとThe Stone Rosesの間のいざこざみたいなのが好きなんだろう。NMEが俺達を嫌い始めのをみて、Melody Makerは逆に俺達を持ち上げた。NMEが俺達を褒めちぎると、今度はMelody Makerが「OASISはクソだ」。NMEから来たやつに3日間インタビューされたことがあったんだけど、俺はその間、そのインタビュアーをけなすようなことは一度もしなかったんだ、なかなか気の良いやつだったからな、でもそいつがインタビューで俺の言葉の引用として書いたことはこうだ、「グラストンべリーはパンダみたいな顔にペイントできる唯一の場所だ、俺達のいるパブでそういうことをやってみろ、喉を刺してやるぜ」。そう言ったのは、俺じゃなくてあいつの方だったんだぜ。俺はただ座ってこう言っただけさ、「さあな、何の話だ?」。2週間後に出来上がった記事を読んで思ったよ、「俺じゃなくて自分で自分のインタビューでもやりやがれ」。でも、全てはゲームにすぎないね、俺ができることは何もない、特にNMEがそういうゴシップネタを探してるときは、だ。例えば、俺がキャムデン・アンダーワールドで、ある夜12人をぶちのめしたという記事が出ただろう。悪いがその時俺はアイルランドにいたんだ。リアムはそういう記事にいつも反応するけどな。
プレスでのリアムのイメージについてはどう思う?
ノエル:リアムは口ばかり先に出て、肝心の意気地はないやつさ。プレスが言うことにいつもいらいらしてるから、俺が「おい、お前ジャーナリスト達にボトルを投げつけたって本当か?喧嘩が好きって言ったのか?」とさらに焚きつけてやったりな。あいつのことなんていちいち気にしてらんねえよ。あいつにボトルが投げつけられようが、俺に当たりさえしなければどうでもいい。俺の興味があることは音楽だけだ。バンドに入ったのはそれだけに集中したかったらさ。会議やインタビューを受けるのは全部俺で、曲を作るのも俺、他のメンバーは、サウンドチェックをする時にそこらへんでたむろってる、ただのマンチェスターの典型的な野郎どもだ。あいつらだけで何が出来る?馬鹿なことしてトラブルを起こすだけだろ。
彼らの面倒をみようという気は?
ノエル:責任は感じるけど、あいつら個人の問題は別だよ。俺が今気になるのは、音楽の勢いに乗る時期が終わろうとしてることさ、プレスが俺達を突つくことに飽きて、もっと深い部分を見てくれるのを待つだけだな。
私達は時間がおし始めたので、あと一つの質問を残してインタビューを切り上げることにした。それは彼らのギグに関してだ。 コンクリート製の四角い部屋、ステージとバーが一緒になったような場所で彼らはギグをした。そこはなんと11時には閉まるのだ!そしてOASISがステージに上がってきたのは11時。私達はそこにいてOASISと時間を共にしたかった。理由は単純、彼らはめちゃくちゃ素晴らしいバンドだから。質の悪いアンプだろうが彼らの音は良い。OASISはとりわけ独自性のあるバンドじゃないかもしれない、だけどそれが何だ?エネルギーのあふれる若者が求めるのはエンターテイメントだ。特にOASIS自身が影響を受けたようなバンドを知るには幼すぎる彼らにとっては。でも彼らこそ最高の聴衆。力に満ち溢れ情熱的、彼らの音楽体験はOASISから始まり、I Am The Walrusのヘビー・バージョンで(ジョンは誇りに思ってることだろう)最高潮に達するのだから。リアムがGooo Goooo G’Joooobsと叫んでいる。暗めのサングラスにカラフルなカグールを着けたリアム。そしてノエルは曲が終わる前にステージから姿を消した。
ギグで最後にI Am The Walrusを演奏する時、曲の途中で退場するのはなぜ?
ノエル:あの曲を曲目リストに入れた当初、どこでキリをつければ良いのかわからなかったんだ。だから最初はうなずく感じで合図してたんだが、あいつらいつだってボーっとしてるだろ、だから合図する代わりにギターを置いて「じゃあまたな」と立ち去り、エンディングは残りのメンバーに任せることにした。あの曲でギグを締め始めた時はまだ、小さくて楽屋もないようなところでプレイしてたんだ。ギターを置いてステージから降りてそのままバーに行くと、みんながこう話すのが聞こえるのさ、「クールなことしやがる、ギターを置いてバーに行ったと思ったら、正面から自分のバンドを眺めてるぜ。まるでバンドをやるより見るほうがましとでも言わんばかりだ」「ただ楽屋がないだけだろ」てね。
私の最初の質問は、OASISの誕生秘話についてだった。
OASISの誕生について教えてください。
ノエル:OASISはリアムと他の3人のメンバーが作ったんだ、バンドをやりたいってことでね。俺はイングランド以外のどこかにいたんだけど、家に帰ったら母さんが「聞いて、リアムがバンドを作ったの」「何をやってるって?」「歌ってるのよ」。で、ある夜にボードウォークでのギグに行ってみた。そしたらあいつらはOASISと名乗って、4曲プレイしてたがどれもひどい出来でさ、終わった後に俺のところに来て「俺達のマネージャーにならない?」「誰がやるか、俺はバンドメンバーになる。これまでの関係者はまとめて追い出して、新しいベースを雇え、トップに立つぞ!」。俺は割り込むのが好きだからな、すぐに曲を書き始めて、1週間に3回律儀に練習することにだけ集中した。レコード契約を結んでからも俺達のやることは何も変わっちゃいない、おかしいだろ、やることなすこと以前と同じなんだ。俺はずっとOASISはイングランドで最高のバンドだと思ってきた。土曜日の夜だってリハーサル室にこもって一晩中練習だ。朝になると誰かが言うんだ、「俺達何してんだ?土曜の夜だぜ、みんな遊びに行ってるってのに」。でも結局それは報われたってことだな。OASISはまるで当然のようにデビューしたが、俺達はこれまで相当練習してきたんだぜ。
マンチェスターの、具体的にどこの出身なんですか?
ノエル:南バニッジのところさ、マンチェスターの中でもしょぼいところで、あるのは1軒のパブに売春宿、賭屋くらいなんだ。
OASISは1993年10月から今現在まで、新人バンドなら誰もがうらやむ地位にいる。道はOASISのために用意され、ギグのチケットは完売し、ほとんど全ての音楽雑誌の表紙を飾り、ティーンエイジャーの最高の夢となった。レコード契約を結んだことで、Top Of The Popsにも出れた。バンドというものはレコード会社と、取り分についてよくよく話し合うものだ。そこで、 どうやって契約を勝ち取ったの?
ノエル:今では伝説になってる話だな、あれはグラスゴーのキング・タットでのギグの時だった。当時の俺達は失業手当暮らしで金なんて無かったから、バンを借りて回っていたんだ。1人15ポンドずつ払って、20人でようやく借りたバンさ。俺達がギグをしに行くと、プロモーターが「誰だ、お前ら」「俺達はOASISだ」「今夜は出番じゃないだろう」「いや、Boyfriendとギグをするんだ」「嘘だな、予定表には書かれてないぞ」「そんなの関係ないさ、紛れもないあいつらの方から俺達にギグを頼んだんだぜ!」「今日俺が許可できるのは2組だけだ、3組は無理なんだよ」。6時間口論して怒鳴って脅しつけた後に、やっと20分のギグを許してもらった、すぐにスタートさ。クラブの中には誰もいなくてね、俺達の仲間15人以外誰もいねえんだ。その時幸運なことに、クリエイションレコードのアラン・マッギーがグラスゴーからロンドンに帰る電車を逃して、Boyfriendのギグで時間をつぶそうと見に来てた。彼らと話して帰ろうとしたその時に、俺達がステージに上がったんだ。ステージの前を通りすぎながら俺達をちらっと見て思ったんだろう、「こいつら面白そうだ」。Boyfriendの1人がマッギーに「マンチェスターの連中だよ、俺達を楽屋から追い出したあげく、酒を全部飲みやがって、このクラブを荒らすと脅すんだ」。それで彼は余計興味をもってね、4曲プレイした後ステージを降りたら、真っ直ぐ俺達のところにきて、「レコード契約はしてるのか?」「いや」「契約したいか?」「どこと?」「クリエイション」。そこで6枚のアルバムを出す契約を申し込まれ、1週間後に電話だ。「バンド名をもう一度確認させてくれ」。みんな狂ったように興奮したよ。ずっと練習ばかりしてたが、自分たちが良いバンドだってことだけは信じてた。レコード会社に接近する術は知らなかったけどな、俺が会社のオフィスに入っていって「これが俺達のデモテープです」と手渡すのなんて想像できねえだろ。
ノエルは自分がプレイヤーでもありマネージャーでもある状態を嫌がっていた。また他のメンバーには担当するパートに責任をもつように言っていた。つまり彼らにはビジネス面をサポートする人物が必要だったのだ。特にレコード契約を結ぶことになった今では。 マネージャーのマーカス・ラッセルとの出会いは?
ノエル:3年前くらいかな、あの時の俺は土曜の夜はハシエンダと決まってて、そこでいつも小さなスキンヘッドの男に出くわして色々話してたんだ。俺がバンドをやってることを言うと「テープをくれないか、兄貴に聴かせたいんだ」。会うたびに「テープは?兄にあげようと思って」。そしてクリエイションと契約を結んですぐの時、町を歩いてたらたまたま会ってね、「バンドの調子はどう?」「ああ、俺達クリエイションと契約結んだんだよ」。その時、俺はHMVのバッグにTHE THEのニューアルバムを入れて持ってたんだ。やつはそれを見ながら「何てことだ、俺の兄貴にテープを渡せばよかったのに」「ちょっと待てよ、失礼だがお前の兄貴って一体誰なんだ」「そりゃ、ジョニーのことさ」。ジョニー・マーだとピンときたね。すぐにそいつにテープを渡して2時間後にはジョニー・マーと電話だ。興奮したなあ。彼が「今テープを聴いてるけど、素晴らしいね」と言ってくれたから、その夜さっそく飲みに行くと、自分のマネージャーも連れてきていた、それがマーカス・ラッセルだったんだ。
THE SMITHSのファンだったんですか?
ノエル:当たり前だろ!俺にギターを弾くことを教えてくれたのはジョニー・マーだ。
バンドをやるきっかけとなったのは?
ノエル:THE JAM、STONE ROSES、THE SMITH、THE BEATLES。それまでもギターでHey Judeなんか弾き散らしてたんだけど、1983年、THE SMITHを見て、「これだ!こういう風にギターが弾きたいんだ」。その後、ジョン・スクワイアが、ポール・ウェラーやジョン・レノンにクロスして、ギターでやっていきたいと思ったんだ。
ダンスミュージックにはまったことは?
ノエル:1991年まではかなり影響されたよ、88年、89年は自分でも信じられないけど、ギターを弾くのをやめて、キーボードやドラムにいれこんだね。でも俺の中ではもう終わった、目新しいものもないしな。全てのコード展開は使い尽くされてサンプルも聴いたものばっかりだ、退屈だね。
OASISは超短期間で成長しましたね。1994年5月にはオールド・トラウトでギグをしていたのに、4ヶ月後にはみんなの注目の的。あまりに早い。
ノエル:それほどビッグにはなりたくないんだ、ウェンブリースタジアムには行きたいが、その後どこに行きつくんだ?あと2年はあそこに行くつもりはない。俺達の頭の中にはいつもこういう考えがあった。マンチェスターからでてきた異端のよそもの、マンチェスター出身だからみんなの嫌われ者ってことさ。そういう考えを2年間押しのけながらやってきたけど、メディアに振り回されたこともあった。Shakermakerは20位以内に入ったけど、発売前はぼろくそに言われたんだぜ。今はもうそういうことにいちいち頭にくることもなくなったけどな。でも悲しくなることはある、俺のやりたかったことは、俺の曲入りでクレジットに名前が刻まれたCD、それだけだったんだ。それが手に入ってみると、満足できなくなって、今度はチャートに入りたいと思った。苦労なく入ってみると今度はTop Of The Topsに出たくなって。これは悲しいことだよ。まだ何枚かしかレコードを出してないのに、もう俺は退屈している。
OASISの持つイメージには満足?OASISの報道のされ方とか。
ノエル:俺達は正統派じゃないからな、メディアは何か別の埋め合わせでも考えるべきだぜ。それがイングランドのメディアのあり方なんだよ、「これがOASIS」とそのまま受け止めることができないんだ、肯定するか否定するかさ。The Happy MondaysとThe Stone Rosesの間のいざこざみたいなのが好きなんだろう。NMEが俺達を嫌い始めのをみて、Melody Makerは逆に俺達を持ち上げた。NMEが俺達を褒めちぎると、今度はMelody Makerが「OASISはクソだ」。NMEから来たやつに3日間インタビューされたことがあったんだけど、俺はその間、そのインタビュアーをけなすようなことは一度もしなかったんだ、なかなか気の良いやつだったからな、でもそいつがインタビューで俺の言葉の引用として書いたことはこうだ、「グラストンべリーはパンダみたいな顔にペイントできる唯一の場所だ、俺達のいるパブでそういうことをやってみろ、喉を刺してやるぜ」。そう言ったのは、俺じゃなくてあいつの方だったんだぜ。俺はただ座ってこう言っただけさ、「さあな、何の話だ?」。2週間後に出来上がった記事を読んで思ったよ、「俺じゃなくて自分で自分のインタビューでもやりやがれ」。でも、全てはゲームにすぎないね、俺ができることは何もない、特にNMEがそういうゴシップネタを探してるときは、だ。例えば、俺がキャムデン・アンダーワールドで、ある夜12人をぶちのめしたという記事が出ただろう。悪いがその時俺はアイルランドにいたんだ。リアムはそういう記事にいつも反応するけどな。
プレスでのリアムのイメージについてはどう思う?
ノエル:リアムは口ばかり先に出て、肝心の意気地はないやつさ。プレスが言うことにいつもいらいらしてるから、俺が「おい、お前ジャーナリスト達にボトルを投げつけたって本当か?喧嘩が好きって言ったのか?」とさらに焚きつけてやったりな。あいつのことなんていちいち気にしてらんねえよ。あいつにボトルが投げつけられようが、俺に当たりさえしなければどうでもいい。俺の興味があることは音楽だけだ。バンドに入ったのはそれだけに集中したかったらさ。会議やインタビューを受けるのは全部俺で、曲を作るのも俺、他のメンバーは、サウンドチェックをする時にそこらへんでたむろってる、ただのマンチェスターの典型的な野郎どもだ。あいつらだけで何が出来る?馬鹿なことしてトラブルを起こすだけだろ。
彼らの面倒をみようという気は?
ノエル:責任は感じるけど、あいつら個人の問題は別だよ。俺が今気になるのは、音楽の勢いに乗る時期が終わろうとしてることさ、プレスが俺達を突つくことに飽きて、もっと深い部分を見てくれるのを待つだけだな。
私達は時間がおし始めたので、あと一つの質問を残してインタビューを切り上げることにした。それは彼らのギグに関してだ。 コンクリート製の四角い部屋、ステージとバーが一緒になったような場所で彼らはギグをした。そこはなんと11時には閉まるのだ!そしてOASISがステージに上がってきたのは11時。私達はそこにいてOASISと時間を共にしたかった。理由は単純、彼らはめちゃくちゃ素晴らしいバンドだから。質の悪いアンプだろうが彼らの音は良い。OASISはとりわけ独自性のあるバンドじゃないかもしれない、だけどそれが何だ?エネルギーのあふれる若者が求めるのはエンターテイメントだ。特にOASIS自身が影響を受けたようなバンドを知るには幼すぎる彼らにとっては。でも彼らこそ最高の聴衆。力に満ち溢れ情熱的、彼らの音楽体験はOASISから始まり、I Am The Walrusのヘビー・バージョンで(ジョンは誇りに思ってることだろう)最高潮に達するのだから。リアムがGooo Goooo G’Joooobsと叫んでいる。暗めのサングラスにカラフルなカグールを着けたリアム。そしてノエルは曲が終わる前にステージから姿を消した。
ギグで最後にI Am The Walrusを演奏する時、曲の途中で退場するのはなぜ?
ノエル:あの曲を曲目リストに入れた当初、どこでキリをつければ良いのかわからなかったんだ。だから最初はうなずく感じで合図してたんだが、あいつらいつだってボーっとしてるだろ、だから合図する代わりにギターを置いて「じゃあまたな」と立ち去り、エンディングは残りのメンバーに任せることにした。あの曲でギグを締め始めた時はまだ、小さくて楽屋もないようなところでプレイしてたんだ。ギターを置いてステージから降りてそのままバーに行くと、みんながこう話すのが聞こえるのさ、「クールなことしやがる、ギターを置いてバーに行ったと思ったら、正面から自分のバンドを眺めてるぜ。まるでバンドをやるより見るほうがましとでも言わんばかりだ」「ただ楽屋がないだけだろ」てね。
