片田舎バーニッジから、イギリスで最もビッグなバンドへ。OASISのスピードはロケット気流並みにすさまじい(注意:ドラッグ用語の「スピード」ではない)。
今まさに、夢の中の夢だった音楽界の頂点に立っているノエル・ギャラガーが、過去を振り返って語り始めた。家庭崩壊について、OASISでの独裁につい て、教育を十分に受けられなかったことについて、そして元ビートルズのメンバーとの交流….そして、OASISを熱狂的に支持する多くのファン。「泣きた くなるよ」と、ノエルはインタビュアー、フィル・サトクリフに切り出した。
「俺の家の前にどれだけたくさんの人間がいるか、想像もつかないだろ」。
ノエル・ギャラガーは、悲しみさえ感じる微笑みを見せ、地下室へ続くコンクリートの階段の方向へ、警戒するように目を向ける。
私は今、ノース・ロンドンにあるノエルの自宅にいる。
「トラブルは、土曜の午後に俺達が引っ越してきてから始まった。バカなことをしたもんだ。とても良い気分だった俺とメグは、冷蔵庫には食うものが何もない ことに気づいて、近くのセンズベリーズに向かったんだ。そしたら店に行って家に帰るまで、絶えず誰かに尾けられてる。時間に関係なく家の前にはOASIS ファンがRoll With Itを歌って騒いでいる。Blurファンからはクズメールが毎日大量に届く」。
「エールズコートでの2日間のギグが終わった後の月曜の朝だったよ。俺は11時に起きて、ボクサーショーツだけ着けて、キッチンに食べるものを探しにいっ たんだ。すると玄関の前の階段に、ファンが行列を作ってるのが見えた。俺がサインや写真やら断らないことは知ってるだろう?だからドアを開けて『紅茶でも 飲むか?』と声をかけたんだ。言わせてもらうが、あれはかなり変わったティーパーティだったぜ、大勢のファンと俺が、やかんに入ったテトリー茶を飲んでる んだから」。
「その時だ、ある事件のことを思い出したんだ。マーク・チャップマン(ジョン・レノンを暗殺した男)さ。俺も殺されちまう!だからみんなに向かってこう 言った。『悪いけど、そろそろ帰ってくれないか。空港まで送らせるから』。 これで最後にしようと思った。こういうことはもう終わりにしないといけない。自分だけの場所を見つけなきゃ。これじゃあ、あんまりだってね」。
ノエル・ギャラガー、OASISのソングライターであり、ギタリスト、そして心優しき独裁者でもある彼にとって、人生は楽しむべきものであり、一瞬でその 姿を変えてしまうものでもある。2年前の彼は、一文無しのただの男だったのだ。それが今では、ジョン・レノンのように暗殺されるのではないかという妄想に とらわれている。
このような彼(もしくは彼ら)の発言を、あなたは笑うかもしれない。ノエルでさえ自分自身に呆れているだろう。それを示すように、ノエルとリアムはNME の内部テープである「Wibbling Rivalry」のリリースにOKを出している。デビュー初期に二人が受けたインタビューのアウトテイクが収められているのだが、兄弟間だから許される決 してお上品とは言えない生々しい言葉の掛け合いを聞くことができる。
そして、彼らの場合、「口だけ」じゃないことが少なからずあるのだ。彼らは本当に行動に移すのだ。「非行」。これこそOASISのモットーなのだから。ドイツからの国外追放、ホテルの部屋から家具やTVの「窓外放出」。
自制という美徳は、彼らの起こす行き過ぎた行動の前では身を縮みこませてしまう。ひょっとすると、彼らは自らに突如降りかかった思いがけない出来事の数々 に慣れようとしているところなのかもしれない。そう、彼らはたった18ヶ月前、1stシングル「Supersonic」でデビューしたばかりなのだ。
彼らの鮮烈なデビューも、その後のヒットシングルのオンパレード、そして2枚のミリオンセラーを超える勢いを見せるアルバムの前では霞んでしまうほどだ。 最も注目すべき点は、OASISは、強烈な音楽性と、運の強さ(彼らが引き寄せる運というべきか)を併せ持っていることだろう。
1991年、OASISは、毎日を退屈に過ごすリアム・ギャラガーの日曜午後の暇つぶしに過ぎなかった。彼らがノエル・ギャラガーを引き入れるまでは。彼 は快く引き受けたが、その口からは「いいぜ、その代わり、1週間のうち7日間は俺に従え。ビッグになるためにな!」という言葉。
とはいったものの、2年たっても音楽紙からは声がかからず、行き先が曖昧なままだったOASISの前に、電車に乗り遅れたアラン・マッギーが現れる。 OASISの演奏を偶然耳にした彼は、彼らが楽屋に戻るのも待たずに、その場で契約を約束。OASISはチャンスを掴んだのだ。辛いバー巡りの旅の途中 で。
インタビューを行っているノエルの部屋には、間接灯にうっすらと照らされた床に色々なものが散らばっており、私物といったら大量のCDの山以外にはほとん ど見当たらなかった。トイレの中には、長年のガールフレンド、メグ・マシューズに買ってあげたらしいIce-Tのシングルが置かれている(メグは以前、 Ice-Tのプロモーションの仕事をしていた)。
ノエルは暖房の効いたその部屋で、ゆったりとアームチェアに腰掛けている。テーブルの上にはコーヒーカップやビール缶が置かれ、ペットの犬達が、まるでスピーカーズ・コーナーに群れるリスナーのように、ノエルの足元で戯れている。
彼の口からあふれ出す話題はいつまでも尽きなかった。鼻にかかったマンキュニアンのアクセントは、夜がふけても止まる気配は見えない。彼の身に起きた些細 なことも、彼の話術にかかると、周囲のものが耳を傾かせずにはいられない興味深いものに変わる。過去に考えたことや話したことを、時にはそのシーンを演じ るために立ち上がり、言葉に詰まったときには、パントマイムの力も借りて相手に伝えようとするのだ。
これまでのOASISのキャリアのあらゆる場面でそうだったように、ノエル・ギャラガーはまさに今、目標に向かって前進中だ。
--------------------------------------------------------------------------
エールズコートでのギグは楽しめた?
ノエル:俺が体験した中でベストなギグだったよ。あまりに衝撃的で、椅子に座って一杯飲むまで、何が起こったのか頭で理解することができなかったくらい だ。全くファンの子達には驚かされるよ。「Whatever」は35万枚を売り上げただろ。「Some Might Say」も「Roll With It」も「Wonderwall」もだ。そしてエールズコートのギグには4万人も集まって、2枚のアルバムはどっちも100万枚の売り上げに達しようとし てる。つまり、俺が言いたいのは、ファンのみんなは道で俺に会うと震えが止まらないと言うが、俺の方こそ「君達に会えて光栄だよ」って言いたいんだ。
何だか典型的なセンチメンタリストになってません?
ノエル:俺はもとからロマンチックな性格なんだよ。みんなのせいで泣いちまいそうだ。マジだぜ。「特別」なんて言葉を超えてるよ。この気持ちは、実際に俺の立場に立ってみないとわからないさ。
シングルやアルバムの売り上げには満足してる?
ノエル:「レイジング・ブル」の中でジェイク・ラモッタが「この町の陪審員達が不正を行っても、人々は本当のチャンピオンは誰なのか知ってる」と言うだろう。イングランドにはまだまだOASISの上をいくバンドはあるんだ。
あなたからそのような言葉を聞くとは。
ノエル:The Verveは俺達より良いバンドだ。それとPrimal ScreamにCast、Ocean Colour Scene。わかった、白状するよ。OASISと同じくらい良いバンドってことだ。より良いってわけじゃない。彼らは、いわゆるBlurみたいな連中のよ うに、メディアと仲良しこよししてないだろう。お互いに「どっちがビッグだ?どっちが上?」なんていう競争もしてない。まあ、そういう話になったら、この 国で一番ビッグなのは俺達ということになるけどな。
「Whatever」は、あなたの育った家庭環境から生まれてきたように聴こえますが、「幸せな子供時代」を送ったのでしょうか?
ノエル:最初のうちは良い思い出がたくさんあるよ。俺が最初に輝きを放ったのは、俺が小学校に上がった頃だ。長いこと腎臓を患ってたんで、俺だけ長ズボン を履くことを許されていたんだ。他のやつらが「Kes」に出てくるみたいな小っちゃなグレイの短ズボンを着けてる時に、俺はタイトな黒の長ズボンにドク ターマーチンを履いてた。みんなの嫌われ者だったぜ。スペリングが苦手だったな。今でもそう、6文字以上になるともう駄目だ。
失語症?
ノエル:かもな。リアムに歌詞を作る時、たいてい一つの文章の中で重要な言葉を2つ抜かすんだ。「Don’t Look Back In Anger」の歌詞を渡したら、リアムが「But Don't Back In Anger, Not Today」と歌ってね。で、俺が「Don’t Look Back In Angerだろ」と言うと、「そうは書いてないぜ、チーフ」って言い返されたよ。
いつからギターを始めたの?
ノエル:13か14の時だったな。John Englandのカタログでギターを注文したんだ。ギブソンのハミングバードを不細工に真似た黒のアコースティックギターさ。それからは毎日練習だ。 「House of The Rising Sun」と「Ticket To Ride」を永遠に繰り返し弾いたよ。1階にいるおふくろはこんな感じだったな(天井をにらみつける)。
誰から影響を受けた?
ノエル:白のレスポールと革パンツを履いていたスティーヴ・ジョーンズ。でも本気になったのはジョニー・マーに会ってからだよ。ブライアン・ジョーンズの ような髪型、白のタートルネックに、でかい赤のセミアコースティックギター。Haircut 100sや Echo & The Bunnymenなんかがフレットボードをこんなところ(胸のあたりを指す)で握ってじゃらじゃら音を出してる時に、ジョニーはここまで(大腿の中央あた りを示す)下げて、ロックしてた。The Smithsが初めてTop Of The Popsに出た時、その時俺は目覚めたんだ。その日から…こんなことは言えないな…いや、言おう。俺はジョニー・マーになりたいと思ったんだ。
その時、音楽が人生の中心になると確信したんですね。
ノエル:ああ、何の資格も取らずに学校を卒業した。ある夜おふくろが俺の隣に座って、こう話しかけてきたことを覚えてるよ。「これからどうするつもり?」。何の案もなかった。でも俺が唯一得意なのは、唯一夢中になれるのは、この木製の塊だったんだ(ギターを指差す)。
聞いた話では、3つのコードを覚えるとすぐに曲を作り始めたそうですね。でも考えてみればコピーからクリエイティングへは、かなり大きな飛躍です。それは具体的にいつだったのか覚えてる?
ノエル:自分の寝室で、確か冬だったな。GにEマイナー、CにD、これが基本のコードだ。歌詞は「And life goes on, but the world will never change」。たぶんマリファナをかなりやってた。それと、自分でもその時の心境はよくわからないけど、曲が作れるか、試してみたってところだろう。そ の時から75曲ほど作ったよ。誰にも聴かせてないけどな。
「すごい!俺はソングライターだ」と思った?
ノエル:いや、長い間特に何することもなかった。第2のステージが訪れたのは20の時だ。パーティなんかの席で、ギターを弾き始めたんだ。すると「すごいね、プロになるべきだ」と言われてね。自作の曲を弾くように言われた。実際笑ったりバカにするやつはいなかったよ。それから世界を獲ろうと思ったわけだ。
あなたが10代後半の頃、両親が離婚されましたね。リアムは自分なりに受け止めたと話してますが、あなたは?
ノエル:事実上はその3年前から離婚したようなもんだったから、起こるべきことが起こっただけさ。むしろほっとしたね。俺が心配だったのはおふくろのこと だけだった。父親は建設業でパートの仕事を持ってたしな。俺達はその父親の仕事を手伝い始めた。でもこの世界で何よりも最悪なことは、自分の父親と働くこ とだな。何一つまともにこなせないぜ。みんなは、自分の弟とバンドをやるのはどういう気分か聞いてくるが、俺はそのたびにこう思う、「あられが降る1月 に、父親と二人の兄弟、二人のいとこ、二人の伯父と一緒に仕事をしなきゃならなくて、しかもその大部分のやつらのことが嫌いだったとしたら、どういう気分 だ?」。仕事場には黄色のトランジットバンで向かうんだ。全員後部座席に詰められて(膝にひじをついて、無愛想に顔をうつむける)。毎日夜9時まで働かな きゃならないことに、いつも喧嘩ばかりしてたよ。誰のせいで遅刻したのか言い争いながら、家に帰ると、おふくろがオーブンで何時間もかけて準備した夕食 だ。俺達はバーニッジで暮らすイモだったのさ。いい加減嫌気がさしたからその仕事をやめて、国営ガスの下請けをしてる建築会社に入った。そこで、俺の 人生の中でも極めて重大な事件が起きたんだ。どでかいガスパイプのスチール製のキャップが俺の右足を押しつぶした。治療して復帰した時には、倉庫の中でボ ルトの開け閉めというバカみたいな仕事を押しつけられてね。何日も誰も来ないんだぜ。6週間後には、ギターを持ち込んで、「Definitely Maybe」の4曲をその倉庫で作ったんだ。今でも冬になって凍えると、自分の砕けた右足の骨を見つめるんだ。今ではあの事件に感謝さえしてるよ(右足に 向かって、親指を立て、大きく笑みを見せる)。
あなたとリアムは、お母様のこととなると、話が止まりませんね。
ノエル:そうだな、一度として「さっさとちゃんとした仕事を見つけなさい」とか「早く結婚して落ち着きなさい」なんて言われたことが無いんだ。そのかわり 「もしあなたがそれで満足なら、失業手当暮らしでも私は構わないわ。ただ自分の人生を無駄にしないでちょうだい。私をがっかりさせないで」と言う。そして 俺はその期待を裏切ることをしたことはない。今は退職してるけど、おふくろはマクビティの系列で働いてたことがあるんだ。失敗作のペンギン形のクッキーや ヤツファケーキを選別して取り除くのさ。それをバッグにつめて家まで持ってきてくれたよ。時々家に来てた叔母さんが「ビスケット、食べる?」と言うんだ が、もう後ろ手に何を持ってるのか見えるんだ。(口を曲げて)「くそ、またヤツファケーキかよ!」。今も公共住宅に住んでるよ、庭造りが上手いんだ。コン ペティションに出品すべきだな。誰よりもたくさんの花や木を育ててね、世界中の鳥はあの庭に来て巣を作るべきだ。ローンボーリングみたいな芝生。はさみで カットしてるんだろう。朝起きてから、一日中庭に出てるんだ、草花に話しかけるのさ、あそこにいると本当にリラックスできる。OASISがデビューしてか らは、どこにいってもタダになるらしい。バスも無料。「あの二人のお母さんだね!タダにしとくよ」ってな。
あなたとリアムは5年違いですよね。10代の兄弟にしては大きな溝が出来そうなものですが、交流はあったの?
ノエル:兄弟なんだから、年の差があるのは当たり前だろ。俺が15の時に、あいつは10だった。あいつとの生活は想像を絶するものだったぜ。それなのに、 今は同じバンドってのもおかしな話だけどな。でもそうなっちまったんだから仕方ない。今、俺は28で、あいつは23だ。俺が65になれば、あいつは60 さ。そんなこと考えても意味ないだろ。俺達は一緒に年を取るんだよ。
The Inspiral Carpetのローディとして働いていた時期は地獄だったでしょう。
ノエル:いや、そうでもない。あの3,4年間で、音楽業界がどういうものか理解できたからね。マネージャーにエージェント、レコード会社、ジャーナリスト。俺は何も言葉を発さずに、ただ座って思いにふけってただけさ(手を顎にあて、耳を傾ける仕草)。
ローディとして働く前に、ヴォーカルのオーディションで落とされたって本当?
ノエル:本当さ。彼らに呼ばれた時には「ヴォーカルこそ俺の宿命だ!」と思って、Gimme Shelterを、ショーン・ライダーばりに叫びとおしたんだ。そしたらあっけなく落とされた。
マッドチェスターブームに乗り遅れたと思われがちだったのでは?残りの人生、ローディとして暮らしていくかもしれないと怖くなったことは?
ノエル:俺の中で「やっと運が俺に向き始めた、あとは流れにまかせるだけだ」という考えがあったことは確かだ。 それをよく言い表している歌詞を、モリッシーが書いてるよ。彼も俺と同じ双子座なんだ。つまり、長い間俺の頭を占めていたのは「チャンスを掴みに行くな。 招きよせろ」(The Hand That Rocks The Cradle中の歌詞)ってことだ。こうなることはわかってたんだ。あれよあれよという間に、今の場所に来てしまったのさ。クラブでアラン・マッギーが、 歩み寄ってきて「レコード契約を結ばないか」と聞いてきた時は、本当に信じられない思いだったよ。彼に背を向けて、思わずほくそ笑んだぜ(実際に顔を背け て、にやりと笑う)。契約してくれるならどこでも良かったんだが、Jesus & Mary Chain, Primal Scream, My Bloody Valentineを輩出したあのクリエイション・レコードのお出ましだ。ぜひ契約してくれ!俺は運命を信じるんだ。これも俺の緻密に練った計画の一部 さ。
「信じる」と言えば、信仰しているものはあります?星占いとか、運命、宗教など。
ノエル:別に意味があってこれを着けてるわけじゃない(胸元の十字架をつまむ)。これが何を象徴しているのか知らないが、強いパワーをもつものは信じる よ。月曜の朝から、この星のためになることを一つもやろうとしない、白髭のじいさま達を崇拝する気にはなれねえな。バカらしい!
今まさに、夢の中の夢だった音楽界の頂点に立っているノエル・ギャラガーが、過去を振り返って語り始めた。家庭崩壊について、OASISでの独裁につい て、教育を十分に受けられなかったことについて、そして元ビートルズのメンバーとの交流….そして、OASISを熱狂的に支持する多くのファン。「泣きた くなるよ」と、ノエルはインタビュアー、フィル・サトクリフに切り出した。
「俺の家の前にどれだけたくさんの人間がいるか、想像もつかないだろ」。
ノエル・ギャラガーは、悲しみさえ感じる微笑みを見せ、地下室へ続くコンクリートの階段の方向へ、警戒するように目を向ける。
私は今、ノース・ロンドンにあるノエルの自宅にいる。
「トラブルは、土曜の午後に俺達が引っ越してきてから始まった。バカなことをしたもんだ。とても良い気分だった俺とメグは、冷蔵庫には食うものが何もない ことに気づいて、近くのセンズベリーズに向かったんだ。そしたら店に行って家に帰るまで、絶えず誰かに尾けられてる。時間に関係なく家の前にはOASIS ファンがRoll With Itを歌って騒いでいる。Blurファンからはクズメールが毎日大量に届く」。
「エールズコートでの2日間のギグが終わった後の月曜の朝だったよ。俺は11時に起きて、ボクサーショーツだけ着けて、キッチンに食べるものを探しにいっ たんだ。すると玄関の前の階段に、ファンが行列を作ってるのが見えた。俺がサインや写真やら断らないことは知ってるだろう?だからドアを開けて『紅茶でも 飲むか?』と声をかけたんだ。言わせてもらうが、あれはかなり変わったティーパーティだったぜ、大勢のファンと俺が、やかんに入ったテトリー茶を飲んでる んだから」。
「その時だ、ある事件のことを思い出したんだ。マーク・チャップマン(ジョン・レノンを暗殺した男)さ。俺も殺されちまう!だからみんなに向かってこう 言った。『悪いけど、そろそろ帰ってくれないか。空港まで送らせるから』。 これで最後にしようと思った。こういうことはもう終わりにしないといけない。自分だけの場所を見つけなきゃ。これじゃあ、あんまりだってね」。
ノエル・ギャラガー、OASISのソングライターであり、ギタリスト、そして心優しき独裁者でもある彼にとって、人生は楽しむべきものであり、一瞬でその 姿を変えてしまうものでもある。2年前の彼は、一文無しのただの男だったのだ。それが今では、ジョン・レノンのように暗殺されるのではないかという妄想に とらわれている。
このような彼(もしくは彼ら)の発言を、あなたは笑うかもしれない。ノエルでさえ自分自身に呆れているだろう。それを示すように、ノエルとリアムはNME の内部テープである「Wibbling Rivalry」のリリースにOKを出している。デビュー初期に二人が受けたインタビューのアウトテイクが収められているのだが、兄弟間だから許される決 してお上品とは言えない生々しい言葉の掛け合いを聞くことができる。
そして、彼らの場合、「口だけ」じゃないことが少なからずあるのだ。彼らは本当に行動に移すのだ。「非行」。これこそOASISのモットーなのだから。ドイツからの国外追放、ホテルの部屋から家具やTVの「窓外放出」。
自制という美徳は、彼らの起こす行き過ぎた行動の前では身を縮みこませてしまう。ひょっとすると、彼らは自らに突如降りかかった思いがけない出来事の数々 に慣れようとしているところなのかもしれない。そう、彼らはたった18ヶ月前、1stシングル「Supersonic」でデビューしたばかりなのだ。
彼らの鮮烈なデビューも、その後のヒットシングルのオンパレード、そして2枚のミリオンセラーを超える勢いを見せるアルバムの前では霞んでしまうほどだ。 最も注目すべき点は、OASISは、強烈な音楽性と、運の強さ(彼らが引き寄せる運というべきか)を併せ持っていることだろう。
1991年、OASISは、毎日を退屈に過ごすリアム・ギャラガーの日曜午後の暇つぶしに過ぎなかった。彼らがノエル・ギャラガーを引き入れるまでは。彼 は快く引き受けたが、その口からは「いいぜ、その代わり、1週間のうち7日間は俺に従え。ビッグになるためにな!」という言葉。
とはいったものの、2年たっても音楽紙からは声がかからず、行き先が曖昧なままだったOASISの前に、電車に乗り遅れたアラン・マッギーが現れる。 OASISの演奏を偶然耳にした彼は、彼らが楽屋に戻るのも待たずに、その場で契約を約束。OASISはチャンスを掴んだのだ。辛いバー巡りの旅の途中 で。
インタビューを行っているノエルの部屋には、間接灯にうっすらと照らされた床に色々なものが散らばっており、私物といったら大量のCDの山以外にはほとん ど見当たらなかった。トイレの中には、長年のガールフレンド、メグ・マシューズに買ってあげたらしいIce-Tのシングルが置かれている(メグは以前、 Ice-Tのプロモーションの仕事をしていた)。
ノエルは暖房の効いたその部屋で、ゆったりとアームチェアに腰掛けている。テーブルの上にはコーヒーカップやビール缶が置かれ、ペットの犬達が、まるでスピーカーズ・コーナーに群れるリスナーのように、ノエルの足元で戯れている。
彼の口からあふれ出す話題はいつまでも尽きなかった。鼻にかかったマンキュニアンのアクセントは、夜がふけても止まる気配は見えない。彼の身に起きた些細 なことも、彼の話術にかかると、周囲のものが耳を傾かせずにはいられない興味深いものに変わる。過去に考えたことや話したことを、時にはそのシーンを演じ るために立ち上がり、言葉に詰まったときには、パントマイムの力も借りて相手に伝えようとするのだ。
これまでのOASISのキャリアのあらゆる場面でそうだったように、ノエル・ギャラガーはまさに今、目標に向かって前進中だ。
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エールズコートでのギグは楽しめた?
ノエル:俺が体験した中でベストなギグだったよ。あまりに衝撃的で、椅子に座って一杯飲むまで、何が起こったのか頭で理解することができなかったくらい だ。全くファンの子達には驚かされるよ。「Whatever」は35万枚を売り上げただろ。「Some Might Say」も「Roll With It」も「Wonderwall」もだ。そしてエールズコートのギグには4万人も集まって、2枚のアルバムはどっちも100万枚の売り上げに達しようとし てる。つまり、俺が言いたいのは、ファンのみんなは道で俺に会うと震えが止まらないと言うが、俺の方こそ「君達に会えて光栄だよ」って言いたいんだ。
何だか典型的なセンチメンタリストになってません?
ノエル:俺はもとからロマンチックな性格なんだよ。みんなのせいで泣いちまいそうだ。マジだぜ。「特別」なんて言葉を超えてるよ。この気持ちは、実際に俺の立場に立ってみないとわからないさ。
シングルやアルバムの売り上げには満足してる?
ノエル:「レイジング・ブル」の中でジェイク・ラモッタが「この町の陪審員達が不正を行っても、人々は本当のチャンピオンは誰なのか知ってる」と言うだろう。イングランドにはまだまだOASISの上をいくバンドはあるんだ。
あなたからそのような言葉を聞くとは。
ノエル:The Verveは俺達より良いバンドだ。それとPrimal ScreamにCast、Ocean Colour Scene。わかった、白状するよ。OASISと同じくらい良いバンドってことだ。より良いってわけじゃない。彼らは、いわゆるBlurみたいな連中のよ うに、メディアと仲良しこよししてないだろう。お互いに「どっちがビッグだ?どっちが上?」なんていう競争もしてない。まあ、そういう話になったら、この 国で一番ビッグなのは俺達ということになるけどな。
「Whatever」は、あなたの育った家庭環境から生まれてきたように聴こえますが、「幸せな子供時代」を送ったのでしょうか?
ノエル:最初のうちは良い思い出がたくさんあるよ。俺が最初に輝きを放ったのは、俺が小学校に上がった頃だ。長いこと腎臓を患ってたんで、俺だけ長ズボン を履くことを許されていたんだ。他のやつらが「Kes」に出てくるみたいな小っちゃなグレイの短ズボンを着けてる時に、俺はタイトな黒の長ズボンにドク ターマーチンを履いてた。みんなの嫌われ者だったぜ。スペリングが苦手だったな。今でもそう、6文字以上になるともう駄目だ。
失語症?
ノエル:かもな。リアムに歌詞を作る時、たいてい一つの文章の中で重要な言葉を2つ抜かすんだ。「Don’t Look Back In Anger」の歌詞を渡したら、リアムが「But Don't Back In Anger, Not Today」と歌ってね。で、俺が「Don’t Look Back In Angerだろ」と言うと、「そうは書いてないぜ、チーフ」って言い返されたよ。
いつからギターを始めたの?
ノエル:13か14の時だったな。John Englandのカタログでギターを注文したんだ。ギブソンのハミングバードを不細工に真似た黒のアコースティックギターさ。それからは毎日練習だ。 「House of The Rising Sun」と「Ticket To Ride」を永遠に繰り返し弾いたよ。1階にいるおふくろはこんな感じだったな(天井をにらみつける)。
誰から影響を受けた?
ノエル:白のレスポールと革パンツを履いていたスティーヴ・ジョーンズ。でも本気になったのはジョニー・マーに会ってからだよ。ブライアン・ジョーンズの ような髪型、白のタートルネックに、でかい赤のセミアコースティックギター。Haircut 100sや Echo & The Bunnymenなんかがフレットボードをこんなところ(胸のあたりを指す)で握ってじゃらじゃら音を出してる時に、ジョニーはここまで(大腿の中央あた りを示す)下げて、ロックしてた。The Smithsが初めてTop Of The Popsに出た時、その時俺は目覚めたんだ。その日から…こんなことは言えないな…いや、言おう。俺はジョニー・マーになりたいと思ったんだ。
その時、音楽が人生の中心になると確信したんですね。
ノエル:ああ、何の資格も取らずに学校を卒業した。ある夜おふくろが俺の隣に座って、こう話しかけてきたことを覚えてるよ。「これからどうするつもり?」。何の案もなかった。でも俺が唯一得意なのは、唯一夢中になれるのは、この木製の塊だったんだ(ギターを指差す)。
聞いた話では、3つのコードを覚えるとすぐに曲を作り始めたそうですね。でも考えてみればコピーからクリエイティングへは、かなり大きな飛躍です。それは具体的にいつだったのか覚えてる?
ノエル:自分の寝室で、確か冬だったな。GにEマイナー、CにD、これが基本のコードだ。歌詞は「And life goes on, but the world will never change」。たぶんマリファナをかなりやってた。それと、自分でもその時の心境はよくわからないけど、曲が作れるか、試してみたってところだろう。そ の時から75曲ほど作ったよ。誰にも聴かせてないけどな。
「すごい!俺はソングライターだ」と思った?
ノエル:いや、長い間特に何することもなかった。第2のステージが訪れたのは20の時だ。パーティなんかの席で、ギターを弾き始めたんだ。すると「すごいね、プロになるべきだ」と言われてね。自作の曲を弾くように言われた。実際笑ったりバカにするやつはいなかったよ。それから世界を獲ろうと思ったわけだ。
あなたが10代後半の頃、両親が離婚されましたね。リアムは自分なりに受け止めたと話してますが、あなたは?
ノエル:事実上はその3年前から離婚したようなもんだったから、起こるべきことが起こっただけさ。むしろほっとしたね。俺が心配だったのはおふくろのこと だけだった。父親は建設業でパートの仕事を持ってたしな。俺達はその父親の仕事を手伝い始めた。でもこの世界で何よりも最悪なことは、自分の父親と働くこ とだな。何一つまともにこなせないぜ。みんなは、自分の弟とバンドをやるのはどういう気分か聞いてくるが、俺はそのたびにこう思う、「あられが降る1月 に、父親と二人の兄弟、二人のいとこ、二人の伯父と一緒に仕事をしなきゃならなくて、しかもその大部分のやつらのことが嫌いだったとしたら、どういう気分 だ?」。仕事場には黄色のトランジットバンで向かうんだ。全員後部座席に詰められて(膝にひじをついて、無愛想に顔をうつむける)。毎日夜9時まで働かな きゃならないことに、いつも喧嘩ばかりしてたよ。誰のせいで遅刻したのか言い争いながら、家に帰ると、おふくろがオーブンで何時間もかけて準備した夕食 だ。俺達はバーニッジで暮らすイモだったのさ。いい加減嫌気がさしたからその仕事をやめて、国営ガスの下請けをしてる建築会社に入った。そこで、俺の 人生の中でも極めて重大な事件が起きたんだ。どでかいガスパイプのスチール製のキャップが俺の右足を押しつぶした。治療して復帰した時には、倉庫の中でボ ルトの開け閉めというバカみたいな仕事を押しつけられてね。何日も誰も来ないんだぜ。6週間後には、ギターを持ち込んで、「Definitely Maybe」の4曲をその倉庫で作ったんだ。今でも冬になって凍えると、自分の砕けた右足の骨を見つめるんだ。今ではあの事件に感謝さえしてるよ(右足に 向かって、親指を立て、大きく笑みを見せる)。
あなたとリアムは、お母様のこととなると、話が止まりませんね。
ノエル:そうだな、一度として「さっさとちゃんとした仕事を見つけなさい」とか「早く結婚して落ち着きなさい」なんて言われたことが無いんだ。そのかわり 「もしあなたがそれで満足なら、失業手当暮らしでも私は構わないわ。ただ自分の人生を無駄にしないでちょうだい。私をがっかりさせないで」と言う。そして 俺はその期待を裏切ることをしたことはない。今は退職してるけど、おふくろはマクビティの系列で働いてたことがあるんだ。失敗作のペンギン形のクッキーや ヤツファケーキを選別して取り除くのさ。それをバッグにつめて家まで持ってきてくれたよ。時々家に来てた叔母さんが「ビスケット、食べる?」と言うんだ が、もう後ろ手に何を持ってるのか見えるんだ。(口を曲げて)「くそ、またヤツファケーキかよ!」。今も公共住宅に住んでるよ、庭造りが上手いんだ。コン ペティションに出品すべきだな。誰よりもたくさんの花や木を育ててね、世界中の鳥はあの庭に来て巣を作るべきだ。ローンボーリングみたいな芝生。はさみで カットしてるんだろう。朝起きてから、一日中庭に出てるんだ、草花に話しかけるのさ、あそこにいると本当にリラックスできる。OASISがデビューしてか らは、どこにいってもタダになるらしい。バスも無料。「あの二人のお母さんだね!タダにしとくよ」ってな。
あなたとリアムは5年違いですよね。10代の兄弟にしては大きな溝が出来そうなものですが、交流はあったの?
ノエル:兄弟なんだから、年の差があるのは当たり前だろ。俺が15の時に、あいつは10だった。あいつとの生活は想像を絶するものだったぜ。それなのに、 今は同じバンドってのもおかしな話だけどな。でもそうなっちまったんだから仕方ない。今、俺は28で、あいつは23だ。俺が65になれば、あいつは60 さ。そんなこと考えても意味ないだろ。俺達は一緒に年を取るんだよ。
The Inspiral Carpetのローディとして働いていた時期は地獄だったでしょう。
ノエル:いや、そうでもない。あの3,4年間で、音楽業界がどういうものか理解できたからね。マネージャーにエージェント、レコード会社、ジャーナリスト。俺は何も言葉を発さずに、ただ座って思いにふけってただけさ(手を顎にあて、耳を傾ける仕草)。
ローディとして働く前に、ヴォーカルのオーディションで落とされたって本当?
ノエル:本当さ。彼らに呼ばれた時には「ヴォーカルこそ俺の宿命だ!」と思って、Gimme Shelterを、ショーン・ライダーばりに叫びとおしたんだ。そしたらあっけなく落とされた。
マッドチェスターブームに乗り遅れたと思われがちだったのでは?残りの人生、ローディとして暮らしていくかもしれないと怖くなったことは?
ノエル:俺の中で「やっと運が俺に向き始めた、あとは流れにまかせるだけだ」という考えがあったことは確かだ。 それをよく言い表している歌詞を、モリッシーが書いてるよ。彼も俺と同じ双子座なんだ。つまり、長い間俺の頭を占めていたのは「チャンスを掴みに行くな。 招きよせろ」(The Hand That Rocks The Cradle中の歌詞)ってことだ。こうなることはわかってたんだ。あれよあれよという間に、今の場所に来てしまったのさ。クラブでアラン・マッギーが、 歩み寄ってきて「レコード契約を結ばないか」と聞いてきた時は、本当に信じられない思いだったよ。彼に背を向けて、思わずほくそ笑んだぜ(実際に顔を背け て、にやりと笑う)。契約してくれるならどこでも良かったんだが、Jesus & Mary Chain, Primal Scream, My Bloody Valentineを輩出したあのクリエイション・レコードのお出ましだ。ぜひ契約してくれ!俺は運命を信じるんだ。これも俺の緻密に練った計画の一部 さ。
「信じる」と言えば、信仰しているものはあります?星占いとか、運命、宗教など。
ノエル:別に意味があってこれを着けてるわけじゃない(胸元の十字架をつまむ)。これが何を象徴しているのか知らないが、強いパワーをもつものは信じる よ。月曜の朝から、この星のためになることを一つもやろうとしない、白髭のじいさま達を崇拝する気にはなれねえな。バカらしい!
