苦難の時期を乗り越えて。
1990年前半、閑古鳥の鳴くようだったブリティッシュミュージックに息吹を与えた、マンチェスター出身の「落ちこぼれ」集団は、その名曲「Champagne Supernova」のように、鮮やかに火花を散らし高く舞い上がるように登場したのだった。
無害な草食動物となるよりむしろ悪評のリスクを負ったほうがマシという確固たる信念のもと、OASISは、UKロック界を後ろを振り向くことなく駆け上る。シングル「Live Forever」が、彼らにとって初となるTop10入りを果たした1994年の夏、ファンは、そのタイトルが、空威張りの約束ではないと知った。
その年の初めに発売された「Supersonic」「Shakermaker」も、ふわふわと当たり障りなく進行していたブリティッシュミュージック界が、抵抗できない、いや、むしろ抵抗したくはないふてぶてしさを備えていた。
その前兆は1991年、彼らが来る日も来る日も繰り返していたリハーサルとギグの合間に、すでにのぞいていたのだ。
当時24歳、Stone Rosesのファンだったノエル・ギャラガーは、Inspiral Carpetsのフロントマンのオーディションに落ち、代わりにローディとして世界を回っていた。弟のリアムはまだ19歳。その頃から、この二人は、現在の立場を彩るのにふさわしく、仲間内で派手な騒ぎを繰り広げていたのである。
クリエイション・レコードの創始者アラン・マッギーが、OASISと契約を交わした時、約束されたのは、マッギー一人の成功のみではなかった。バンドのデビューアルバム「Definitely Maybe」は、イギリスが、そして世界が始めて出会う新しい時代が訪れたという証だった。
並外れてスケールのでかいこのバンドは、10年をかけてその全貌を現す。メンバーチェンジを行いつつも、今年発売された「Don’t Believe The Truth」を聴く限り、ノエルとリアムは、彼らが話してきたとおりの道を歩んでいるようだ。
もちろん、彼らは時にインタビューで様々なことを話すのを好まないし、インタビューを突然キャンセルすることもある。我々にとっては、とてもフラストレーションが溜まることなのだが、今回のインタビューでもリアム・ギャラガーのインタビューは急きょ予定変更となってしまった。
しかし、その兄ノエル・ギャラガーが、過去、現在、そしてOASISの未来について、感慨深げに話してくれている。
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OASISが新しい時代への扉を一気に開放したと言える1994年を、どのように振り返りますか?
ノエル:そうだな。Suedeがかなり期待を集めていて、Blurは間抜けの集まりだった。Carter The Unstoppable Sex Machineが雑誌の表紙を飾り、Ned's Atomic Dustbin. Primal Screamがサウンド的にどっちつかずになってきて間もない頃だな。全てがどこか冴えなかった。ルックスも良くないし、音も良くない。空を見上げて「ぶちかまそうぜ!」と気負うやつがどこにもいなかった。ミュージックプレスや記者にカメラマンはどいつもクソ野郎ばかりで、鳥肌が立った。俺達はマンチェスターのボードウォークにある小さなリハーサル室で、「Live Forever」や「Rock & Roll Star」、「Bring It On Down」、「I Am The Walrus」を演奏していた。時機を待っていたのさ。自らイーストウェストレコードやXLに出向いて、「俺達は英国一のバンドだ。さっさと契約したほうがいいぜ」なんて言いふらすことははしなかったんだ。そういうことをすると、契約する前から会社側に貸しを作ることになるからな。その時が来れば、今もてはやされているやつらを全員片付けることなんて余裕で出来ると確信してた。それに加えて、俺とリアムはいつでも、みんなの関心を集めるだけの魅力にあふれていたしね。
バンドを長く続けるために、U2やR.E.M.、The Rolling Stonesを参考にしたのでしょうか?
ノエル:俺はストーンズの大ファンだよ、誰も彼らが音楽を作る権利は奪うことはできない。ただレギンスを着けるのをやめてほしいよな。あとR.E.M.。レコードは持ってないが、ツアーの途中で偶然会うことがたびたびあるんだ。ピーター・バックやマイク・マイルズとは気が合う。でも顔に書くあの青いストライプは一体何なんだ?全く意味ねえだろう。U2。大好きだ。彼らの曲を聴いて育ったからな、アルバムは全部持ってるよ。今でもZoo TVツアーに行ったときのことを覚えてる。「The Fly」を聴いてもわかるように、髪をミュレットにしたやつらや音楽をお飾りとしか思ってないロックスターに対する痛烈に批判するボノ。あれから長いこと経ってるのに、U2はめぐり巡って結局原点に戻ってきてるんだ。面白いよな。バンドを長いことやればやるほど、自分自身が明確に見え始める。長くやるほど、自分の原点がしっかり見えてくるのさ。俺達の場合も、バンドを続けるほど、より一層マンチェスターにいた頃に戻っていく気がするんだ。例えば俺とリアム。オリジナルメンバーなわけだけど、今でもバーニッジの公営住宅に住んでた時と全く変わってないんだ、たぶんこれからもこのままで生きてくんだろう。大学に進学せずすぐに建設現場で働き始めたから、気取った態度を身につける時間は、俺達にはなかったのさ。
成功を一途に追い求めていましたね。
ノエル:バンドを始めたばかりの時は、女の子やコカイン、毛皮のコートが狙いだったな・・・・レザーパンツには興味がなかったよ、幸いなことに。あの時の行動や言動は見せかけのものじゃなくて、餌にありついたワーキングクラスまんまだったんだ。バカになってたのさ。列が出来るほど何台も車を買ったが、俺自身は運転免許を持ってなかったんだぜ。でも当時はただ「いいか!俺はとにかくロールスロイスがほしいんだ!」てな感じだった。でもそういう状況も2.3年続くと、いつからか「バカらしい、俺は一体何者だ?」と自問し始めることになるんだよ。
長年バンドをやっていても、常に上昇曲線を描くことは可能でしょうか?調子の悪い時はない?
ノエル:OASISの最初の3枚のアルバムは全て、レコード契約をする前に書いてあった。だから「Standing On The Shoulder Of Giants」以前までは、長い時間座ってバンドの改革を考えるようなことは一切なかった。4thアルバムの時は、けっこう無理をしていたよ。それまでは、バンドの方向性を考え直す必要はなかったからね、あるがまま流れのままに進むことが許されていた。でもあの時期、それまでとは違ったテクニック、たとえばドラムループを使い始めて、自分の原点から離れ始めて、しまいには元に戻ることが出来なくなってたんだ。「Definitely Maybe」や「Morning Glory?」は、俺が21の時に書いた曲だろう。31になった時に、またそういう曲を書こうと思っても、もう自分が変わってしまってる。4thアルバムの歌詞は全部気に入ってるけど、あの頃の俺はOASISの化学式を忘れてしまっていたんだ。
バンドが成功を成し遂げてアイコン的な存在になった時、自分のモチベーションに疑問が生じたことはある?
ノエル:「俺は何をやってるんだ?何のためにこんなことをしてるんだ?」と思い始めた時期だな。今思うと恐ろしい疑問を抱いたこともあった。「こんなに金もあって、音楽の歴史に名も残したのに、まだこの世界にいる必要があるのか?」ってね。自分なりに答えを出すのには、結構時間がかかったね。ツアーが終わって、3,4ヶ月オフをもらった後仕事に戻ってきた時、毎回「どうして俺はこんなことを?」という考えが頭をよぎるんだ。たいていそれに対する答えは「だからといって他にすることがあるのか?」で終わるんだけどさ。毎回この難問には悩まされてばかりだよ。こういうことをうじうじ考えてるのは、立派なことじゃないし、潔くもないよな。たとえば、最高のバンドと評価されているバンドのメンバーに会って、「今何かしてるのか?」と聞いて「何もしてない」という答えを聞く。その方がそれよりもっと悲しいことだと思うんだ。楽しいと思える何かを常にやり続けたほうがましだね。俺は「Lyla」を良い曲だと思ったことは一度もなかったが、7万人のファンがこの曲に夢中になってる様子を見ると、「俺は何もわかってねえな」と思う。今度のツアーで気づいたよ、彼らは自分の好きなバンドや曲で盛り上がってるだけじゃない、これからも俺達がバンドを続けることを認めてくれてるんだ。ステージに立って、「Don’t Look Back In Anger」なんかをやると、俺達には目もくれずにお互いに抱き合って、自分達のために合唱してる。きっと彼らにとって大きな意味のある曲なんだろう。ここまでくると、音楽はもうイングランドの文化の一部ではとどまらないと思うね。もっと重要な位置を占めてるんだ。
アメリカのプロデューサー、デイヴ・サーヴィと仕事をすることで、バンドの仕事に変化はあったのでしょうか?
ノエル:2つあるな。プロデューサーを雇うことは早くから決まっていたんだ。「第3者に、大きな決定権を任せよう」ってことさ。その時幸運にもデイヴ・サーヴィと出会えた。曲は全部書き終えてたしアレンジもすんでいたから、彼がすることといえば、テープにそれを入れるだけだったんだ。
俺はソングライター兼プロデューサー兼バンドメンバーであることに飽き飽きしててね。もう一度ただのバンドメンバーに戻りたかった。もうセルフプロデュースにはうんざりしてた。ギターを弾いて何曲か曲を書く。たとえ、俺が一番多くの曲を書いていたとしても、メンバーが何かするたびに俺に許可をもらうのが当然だと未だに思っていたとしても「ちょっと待てよ、俺達はもうソングライターとして同じ立場にいるんだぜ。だから失敗しても俺達みんなの責任ってことだ。でもその代わり上手くいったら全員で栄光を分かち合おう」ってことさ。そういう考えの下で作ったから、今度のアルバムは成功したんだろう、特にアメリカの評論家には評判が良かったよな。それがこのアルバムを特別なものにしてる。
OASISと言えば、アメリカでのツアーがたびたびキャンセルとなり、これまであなた達のUSでの評価はあまり良いものとは言えませんでした。今はもっとアメリカ市場を大切に思っているのでしょうか?
ノエル:言っておくけどあからさまに無視していたつもりはないんだぜ。他人から常に興味をもってもらわないと気が済まないアメリカ人と違って、俺達はそういう評判を全く気にしないだけの話だ。U2やR.E.M.、Coldplayがアメリカで成功してるのは、フロントマンのおかげだな。リアムがフロントマンとして劣ってると言いたいわけじゃない。あいつはクリス・マーティンでもないしボノでもない、もちろんマイケル・ストライプでもない。あいつはリアム・ギャラガーなんだ。でもどういう点から考えてみても、アメリカ人はリアムみたいなやつを受けつけないんだな。音楽的に言うと、さっき挙げた3つのバンドに負ける気はしないが、俺達のキャラクターが違うってことなんだろう。
2000年に自身のレーベルBig Brotherをはじめましたが、それを機に音楽業界に対する目は変わりました?
ノエル:Big Brotherはまさに俺達が描く理想の下に作ったんだ。つまり「たくさんのバンドと契約する」ってことだな。でも実際は「いくらだって?そんな金出せねえよ!」さ。Big Brotherで儲けた金を使って、俺のレーベル、Sour Mashを経営してるんだ。今のところ契約しているのはShackだけだが、他にもいろいろやってる。今のバンドはすぐに「次のOASIS」を目指そうとするが、ギグの時ついでにトイレやなんかで喧嘩するくらいの覚悟を決めてるわけじゃなく、結局「金ができたら、Levisショップに行って1960年代のギブソンを買うんだ」程度の軽い気持ちしか持ってないんだ。しかもそいつらのマネージャーはそろいもそろって能無し。俺達は5万ドルでクリエイションと契約したが、3年間は金なんてもらえなかったぞ。最近のやつはそれを聞くだけで、吐き気がするかもしれないけどな。
ソロになることを本気で考えたことはありますか?
ノエル:いつでも考えてるさ。いくつかの映画に提供するサウンドトラックを今作ってるんだ。来年あたりに出すよ。でも、オフの時間をそうやって楽しみすぎるからか、俺にようやくゆっくり休む時間ができたと思ったら、今度はOASISが動きだすんだよな。だからツアー中に曲を書くんだ。ツアーから戻って半年はOASISは何もしないから、その時にソロアルバムを出そうって考えさ。でも俺は怠け者だろ、予定通りにいった試しがない。やっとやる気になったと思ったら、またOASISタイムに突入だ。だから40になるまでにはやりたいな。今38だからさ。
リアムはどうするの?
ノエル:あいつの方が先にソロをやるかもしれないぜ。今はリアムの方がストックが多いし、曲を書くのに夢中なんだ。30を越してようやく曲を書くことを覚えたから、俺が21の頃の勢いと同じだよ。でも今のイギリスで、俺達が他のバンドに与えてる影響を考えたら、簡単にバンドを離れることはできない。俺達のインタビューの載ったNMEを読んでバンドを結成する気になるやつも多いはずだ。今になってそれが形になって出てきてるだろう。RazorlightやThe Libertines、The Killers、The Strokes、Kings Of Leon、Jet。全て「Definitely Maybe」から始まってる。あいつらが「OASIS、OASIS」と始終OASISのことを話すことはないが、あのアルバムはその根底を支える重要な存在なんだ。こう言いながら現れたバンドは俺達が最初だったんだよ。「世界は素晴らしい。生きるためだけに生きろ。グランジなんて忘れちまえ。俺達に脳まで来るようなギネスビールを。そしてギターを」。
1990年前半、閑古鳥の鳴くようだったブリティッシュミュージックに息吹を与えた、マンチェスター出身の「落ちこぼれ」集団は、その名曲「Champagne Supernova」のように、鮮やかに火花を散らし高く舞い上がるように登場したのだった。
無害な草食動物となるよりむしろ悪評のリスクを負ったほうがマシという確固たる信念のもと、OASISは、UKロック界を後ろを振り向くことなく駆け上る。シングル「Live Forever」が、彼らにとって初となるTop10入りを果たした1994年の夏、ファンは、そのタイトルが、空威張りの約束ではないと知った。
その年の初めに発売された「Supersonic」「Shakermaker」も、ふわふわと当たり障りなく進行していたブリティッシュミュージック界が、抵抗できない、いや、むしろ抵抗したくはないふてぶてしさを備えていた。
その前兆は1991年、彼らが来る日も来る日も繰り返していたリハーサルとギグの合間に、すでにのぞいていたのだ。
当時24歳、Stone Rosesのファンだったノエル・ギャラガーは、Inspiral Carpetsのフロントマンのオーディションに落ち、代わりにローディとして世界を回っていた。弟のリアムはまだ19歳。その頃から、この二人は、現在の立場を彩るのにふさわしく、仲間内で派手な騒ぎを繰り広げていたのである。
クリエイション・レコードの創始者アラン・マッギーが、OASISと契約を交わした時、約束されたのは、マッギー一人の成功のみではなかった。バンドのデビューアルバム「Definitely Maybe」は、イギリスが、そして世界が始めて出会う新しい時代が訪れたという証だった。
並外れてスケールのでかいこのバンドは、10年をかけてその全貌を現す。メンバーチェンジを行いつつも、今年発売された「Don’t Believe The Truth」を聴く限り、ノエルとリアムは、彼らが話してきたとおりの道を歩んでいるようだ。
もちろん、彼らは時にインタビューで様々なことを話すのを好まないし、インタビューを突然キャンセルすることもある。我々にとっては、とてもフラストレーションが溜まることなのだが、今回のインタビューでもリアム・ギャラガーのインタビューは急きょ予定変更となってしまった。
しかし、その兄ノエル・ギャラガーが、過去、現在、そしてOASISの未来について、感慨深げに話してくれている。
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OASISが新しい時代への扉を一気に開放したと言える1994年を、どのように振り返りますか?
ノエル:そうだな。Suedeがかなり期待を集めていて、Blurは間抜けの集まりだった。Carter The Unstoppable Sex Machineが雑誌の表紙を飾り、Ned's Atomic Dustbin. Primal Screamがサウンド的にどっちつかずになってきて間もない頃だな。全てがどこか冴えなかった。ルックスも良くないし、音も良くない。空を見上げて「ぶちかまそうぜ!」と気負うやつがどこにもいなかった。ミュージックプレスや記者にカメラマンはどいつもクソ野郎ばかりで、鳥肌が立った。俺達はマンチェスターのボードウォークにある小さなリハーサル室で、「Live Forever」や「Rock & Roll Star」、「Bring It On Down」、「I Am The Walrus」を演奏していた。時機を待っていたのさ。自らイーストウェストレコードやXLに出向いて、「俺達は英国一のバンドだ。さっさと契約したほうがいいぜ」なんて言いふらすことははしなかったんだ。そういうことをすると、契約する前から会社側に貸しを作ることになるからな。その時が来れば、今もてはやされているやつらを全員片付けることなんて余裕で出来ると確信してた。それに加えて、俺とリアムはいつでも、みんなの関心を集めるだけの魅力にあふれていたしね。
バンドを長く続けるために、U2やR.E.M.、The Rolling Stonesを参考にしたのでしょうか?
ノエル:俺はストーンズの大ファンだよ、誰も彼らが音楽を作る権利は奪うことはできない。ただレギンスを着けるのをやめてほしいよな。あとR.E.M.。レコードは持ってないが、ツアーの途中で偶然会うことがたびたびあるんだ。ピーター・バックやマイク・マイルズとは気が合う。でも顔に書くあの青いストライプは一体何なんだ?全く意味ねえだろう。U2。大好きだ。彼らの曲を聴いて育ったからな、アルバムは全部持ってるよ。今でもZoo TVツアーに行ったときのことを覚えてる。「The Fly」を聴いてもわかるように、髪をミュレットにしたやつらや音楽をお飾りとしか思ってないロックスターに対する痛烈に批判するボノ。あれから長いこと経ってるのに、U2はめぐり巡って結局原点に戻ってきてるんだ。面白いよな。バンドを長いことやればやるほど、自分自身が明確に見え始める。長くやるほど、自分の原点がしっかり見えてくるのさ。俺達の場合も、バンドを続けるほど、より一層マンチェスターにいた頃に戻っていく気がするんだ。例えば俺とリアム。オリジナルメンバーなわけだけど、今でもバーニッジの公営住宅に住んでた時と全く変わってないんだ、たぶんこれからもこのままで生きてくんだろう。大学に進学せずすぐに建設現場で働き始めたから、気取った態度を身につける時間は、俺達にはなかったのさ。
成功を一途に追い求めていましたね。
ノエル:バンドを始めたばかりの時は、女の子やコカイン、毛皮のコートが狙いだったな・・・・レザーパンツには興味がなかったよ、幸いなことに。あの時の行動や言動は見せかけのものじゃなくて、餌にありついたワーキングクラスまんまだったんだ。バカになってたのさ。列が出来るほど何台も車を買ったが、俺自身は運転免許を持ってなかったんだぜ。でも当時はただ「いいか!俺はとにかくロールスロイスがほしいんだ!」てな感じだった。でもそういう状況も2.3年続くと、いつからか「バカらしい、俺は一体何者だ?」と自問し始めることになるんだよ。
長年バンドをやっていても、常に上昇曲線を描くことは可能でしょうか?調子の悪い時はない?
ノエル:OASISの最初の3枚のアルバムは全て、レコード契約をする前に書いてあった。だから「Standing On The Shoulder Of Giants」以前までは、長い時間座ってバンドの改革を考えるようなことは一切なかった。4thアルバムの時は、けっこう無理をしていたよ。それまでは、バンドの方向性を考え直す必要はなかったからね、あるがまま流れのままに進むことが許されていた。でもあの時期、それまでとは違ったテクニック、たとえばドラムループを使い始めて、自分の原点から離れ始めて、しまいには元に戻ることが出来なくなってたんだ。「Definitely Maybe」や「Morning Glory?」は、俺が21の時に書いた曲だろう。31になった時に、またそういう曲を書こうと思っても、もう自分が変わってしまってる。4thアルバムの歌詞は全部気に入ってるけど、あの頃の俺はOASISの化学式を忘れてしまっていたんだ。
バンドが成功を成し遂げてアイコン的な存在になった時、自分のモチベーションに疑問が生じたことはある?
ノエル:「俺は何をやってるんだ?何のためにこんなことをしてるんだ?」と思い始めた時期だな。今思うと恐ろしい疑問を抱いたこともあった。「こんなに金もあって、音楽の歴史に名も残したのに、まだこの世界にいる必要があるのか?」ってね。自分なりに答えを出すのには、結構時間がかかったね。ツアーが終わって、3,4ヶ月オフをもらった後仕事に戻ってきた時、毎回「どうして俺はこんなことを?」という考えが頭をよぎるんだ。たいていそれに対する答えは「だからといって他にすることがあるのか?」で終わるんだけどさ。毎回この難問には悩まされてばかりだよ。こういうことをうじうじ考えてるのは、立派なことじゃないし、潔くもないよな。たとえば、最高のバンドと評価されているバンドのメンバーに会って、「今何かしてるのか?」と聞いて「何もしてない」という答えを聞く。その方がそれよりもっと悲しいことだと思うんだ。楽しいと思える何かを常にやり続けたほうがましだね。俺は「Lyla」を良い曲だと思ったことは一度もなかったが、7万人のファンがこの曲に夢中になってる様子を見ると、「俺は何もわかってねえな」と思う。今度のツアーで気づいたよ、彼らは自分の好きなバンドや曲で盛り上がってるだけじゃない、これからも俺達がバンドを続けることを認めてくれてるんだ。ステージに立って、「Don’t Look Back In Anger」なんかをやると、俺達には目もくれずにお互いに抱き合って、自分達のために合唱してる。きっと彼らにとって大きな意味のある曲なんだろう。ここまでくると、音楽はもうイングランドの文化の一部ではとどまらないと思うね。もっと重要な位置を占めてるんだ。
アメリカのプロデューサー、デイヴ・サーヴィと仕事をすることで、バンドの仕事に変化はあったのでしょうか?
ノエル:2つあるな。プロデューサーを雇うことは早くから決まっていたんだ。「第3者に、大きな決定権を任せよう」ってことさ。その時幸運にもデイヴ・サーヴィと出会えた。曲は全部書き終えてたしアレンジもすんでいたから、彼がすることといえば、テープにそれを入れるだけだったんだ。
俺はソングライター兼プロデューサー兼バンドメンバーであることに飽き飽きしててね。もう一度ただのバンドメンバーに戻りたかった。もうセルフプロデュースにはうんざりしてた。ギターを弾いて何曲か曲を書く。たとえ、俺が一番多くの曲を書いていたとしても、メンバーが何かするたびに俺に許可をもらうのが当然だと未だに思っていたとしても「ちょっと待てよ、俺達はもうソングライターとして同じ立場にいるんだぜ。だから失敗しても俺達みんなの責任ってことだ。でもその代わり上手くいったら全員で栄光を分かち合おう」ってことさ。そういう考えの下で作ったから、今度のアルバムは成功したんだろう、特にアメリカの評論家には評判が良かったよな。それがこのアルバムを特別なものにしてる。
OASISと言えば、アメリカでのツアーがたびたびキャンセルとなり、これまであなた達のUSでの評価はあまり良いものとは言えませんでした。今はもっとアメリカ市場を大切に思っているのでしょうか?
ノエル:言っておくけどあからさまに無視していたつもりはないんだぜ。他人から常に興味をもってもらわないと気が済まないアメリカ人と違って、俺達はそういう評判を全く気にしないだけの話だ。U2やR.E.M.、Coldplayがアメリカで成功してるのは、フロントマンのおかげだな。リアムがフロントマンとして劣ってると言いたいわけじゃない。あいつはクリス・マーティンでもないしボノでもない、もちろんマイケル・ストライプでもない。あいつはリアム・ギャラガーなんだ。でもどういう点から考えてみても、アメリカ人はリアムみたいなやつを受けつけないんだな。音楽的に言うと、さっき挙げた3つのバンドに負ける気はしないが、俺達のキャラクターが違うってことなんだろう。
2000年に自身のレーベルBig Brotherをはじめましたが、それを機に音楽業界に対する目は変わりました?
ノエル:Big Brotherはまさに俺達が描く理想の下に作ったんだ。つまり「たくさんのバンドと契約する」ってことだな。でも実際は「いくらだって?そんな金出せねえよ!」さ。Big Brotherで儲けた金を使って、俺のレーベル、Sour Mashを経営してるんだ。今のところ契約しているのはShackだけだが、他にもいろいろやってる。今のバンドはすぐに「次のOASIS」を目指そうとするが、ギグの時ついでにトイレやなんかで喧嘩するくらいの覚悟を決めてるわけじゃなく、結局「金ができたら、Levisショップに行って1960年代のギブソンを買うんだ」程度の軽い気持ちしか持ってないんだ。しかもそいつらのマネージャーはそろいもそろって能無し。俺達は5万ドルでクリエイションと契約したが、3年間は金なんてもらえなかったぞ。最近のやつはそれを聞くだけで、吐き気がするかもしれないけどな。
ソロになることを本気で考えたことはありますか?
ノエル:いつでも考えてるさ。いくつかの映画に提供するサウンドトラックを今作ってるんだ。来年あたりに出すよ。でも、オフの時間をそうやって楽しみすぎるからか、俺にようやくゆっくり休む時間ができたと思ったら、今度はOASISが動きだすんだよな。だからツアー中に曲を書くんだ。ツアーから戻って半年はOASISは何もしないから、その時にソロアルバムを出そうって考えさ。でも俺は怠け者だろ、予定通りにいった試しがない。やっとやる気になったと思ったら、またOASISタイムに突入だ。だから40になるまでにはやりたいな。今38だからさ。
リアムはどうするの?
ノエル:あいつの方が先にソロをやるかもしれないぜ。今はリアムの方がストックが多いし、曲を書くのに夢中なんだ。30を越してようやく曲を書くことを覚えたから、俺が21の頃の勢いと同じだよ。でも今のイギリスで、俺達が他のバンドに与えてる影響を考えたら、簡単にバンドを離れることはできない。俺達のインタビューの載ったNMEを読んでバンドを結成する気になるやつも多いはずだ。今になってそれが形になって出てきてるだろう。RazorlightやThe Libertines、The Killers、The Strokes、Kings Of Leon、Jet。全て「Definitely Maybe」から始まってる。あいつらが「OASIS、OASIS」と始終OASISのことを話すことはないが、あのアルバムはその根底を支える重要な存在なんだ。こう言いながら現れたバンドは俺達が最初だったんだよ。「世界は素晴らしい。生きるためだけに生きろ。グランジなんて忘れちまえ。俺達に脳まで来るようなギネスビールを。そしてギターを」。
