January 2010

Ride - Nightshift - January 2010

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オックスフォードの音楽雑誌「Nightshift」は、こちらから見ることができます。↓
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Ride - オックスフォードの音楽を永遠に変えたバンド -


20年前の12月、オックスフォードの音楽史上、最も重要なレコード「The Ride EP」が発売された。

商業的な意味でなら上を行く成功を収めたシングルやアルバムはある。Ride自身がそれ以降に出したレコードもそのうちに入る。しかし1990年1月に発売された4曲収録のデビューEPは、オックスフォードのミュージシャン達に新たな次元への扉を開いてくれたのだ。RideのデビューEPは、革命的な出来事だった。市内だけでは物足りない野望に燃えるローカルバンド達の眼を世界へと向けるきっかけとなり、オックスフォードはただの大学都市ではないのだと音楽業界に知らしめた。Rideの成功なくしては、Radiohead、Supergrass、Foalsといったバンドの物語もまた違うものとなっていただろう。

それから20年目の今月は、「Ride EP」の重要性を再認識する良い機会であり、4人のメンバーが集まる絶好のチャンスだ。ギタリストのアンディ・ベル、シンガーのマーク・ガードナー、ベーシストのスティーヴ・ケラルト、ドラマーのロズ・コルベール。デビューEP発売までの経緯、当時のオックスフォードのミュージックシーン、Rideが描いた野望と夢をじっくり振り返ろうではないか。メンバーを集めることは、予想していたよりも簡単なことだった。解散から14年たった現在も友人同士の彼らは、年に数回集まり、今でも尾を引くRideの金銭上の問題について話し合うのだそうだ。アンディとスティーヴがオックスフォードを離れたのに対し、マークとロズは地元に残っている。今夜は、メンバー4名と、Rideのマネージャーであるデイヴ・ニュートンが、マグダレン通りにあるパブ、Rusty Bicycleに集まった。

年月を重ねて4名の顔つきは変わっているが、人格はそのままだ。気さくで、情熱的で、今でもRideの音楽を夢中になって語り、自身の成し遂げたことを誇りに思いつつも後世に与えた影響をひけらかすことはしない。

マークは現在、作曲やソロ活動を行う一方、自身の所有するスタジオでプロデューサーとしても働いている。アンディは、ご存知の通り、OASISでベースを演奏してきた彼は、今後ノエル・ギャラガーと一緒にギタリストとして活動していく予定だ。ロンドンに生活の拠点を置くスティーヴは、イタリア家具の会社で働いている。ロズは今もドラマーとして活躍し、Jesus & Mary ChainやInternational Jetsettersと共にツアーをしている。

Rideの物語は、オックスフォードにあるチェイニースクールで、マークとアンディがクラスメイトとなったことから始まる。初めてのステージは、スクール・プロダクション「Grease」だった。スティーヴは2人より2年上級だったが、妹を通して2人と知り合い、その後、バンベリーカレッジに進学したマークとアンディがロズと出会う。The Smiths、Sonic Youth、The House Of Love、My Bloody Valentaine、The Jesus & Mary Chain、Spacemen3といった共通の音楽の趣味で、4人の絆は固く結ばれた。

ギグを見るために、Jericho Tavernには良く足を運んだという彼ら。Ride結成のきっかけとなった地元のバンドはいたのだろうか。

アンディ:Here Comes Everybodyっていうバンドがいてね、16歳の時にそのバンドをヘディントンにあるBury Knowle Parkで野外ギグをしている彼らの姿を見てバンドをやりたいと思ったんだ。そのバンドのメンバーはAnywaysとTalulah Goshに別れたんだよな。Wild Poppiesもみんな気に入ってたよ。彼らと同じパブで飲んでたもんさ。Jericho TavernとかNew Innでね。Shake Appealも良かったな。たぶんその頃のオックスフォードでは一番人気のあるバンドだったんじゃないかな。

マーク:Shake Appealは本当に大好きだったよ、それとTalulah Goshも。その頃に発売された「Jericho Collection」っていう地元のアーティストを集めたアルバムを買ってね、Wild PoppiesとかAnywaysも収録されていて、とてもクールだと思ったよ。俺達がよく見に行く地元のバンドが全部入っててさ。どのバンドにも夢中だったけど、音楽的に真似をしようと思ったことはないな。それよりも自分達で書き始めていた音楽に夢中でね、それが後にRide初期の曲になったんだよ。

大学で行った何度かのプライベートギグを経て、1989年2月、RideはJericho Tavernで初めて、公の場に姿を現す。ミュージシャンとしては駆け出しの4名への最初の試練だ。地元ではカルト的人気を誇るスラッシュメタルバンド、Satan Knew My Fatherのサポートだった。

その頃、スティーヴと一緒にOur Price Recordsで働いていた私は、Rideに対して単なる「友人のバンド」とは少し違った期待を抱いていた。しかし、その夜、Rideは完全にその枠を打ち破った。素晴らしいのは彼らのインパクトで、会場に列を成して入ってくる観衆の中には、彼らのサウンドチェックに対して歓声を上げる者すらいた。ギグが始まると、オーディエンスは興奮の渦に巻き込まれた。数日もしないうちに、地元の音楽ファンは突如現れた新人バンド一色に染まったのだ。

マーク:初めての時は、チケットを買ってやってくるオーディエンスと顔を合わせるのが本当に恐かったよ。だって、みんなスラッシュメタルバンド狙いで来たんだぜ!でも、みんなが入ってきて、サウンドチェックをしてる俺達に拍手をし始めた時はだいぶ緊張が和らいだね。サウンドチェックが、俺達のサポートをしてくれたっていうかな、だから俺達がプレイする頃には会場は一杯で騒がしくなっていて、俺の人生は素晴らしく変わったというわけ。みんなはもちろん、俺達もすごく盛り上がっていたよ。

そのギグは、デイヴ・ニュートンによって主催されていた。彼は、Tavernで定期的にギグを組んで新鋭バンドに場を提供しており、Local Supportという地元雑誌も発売していた。若く、しかも音楽そのものに重点的に取り組んでいたRideは、新人バンドのリーダー的存在になっていった。

ロズ:デイヴはスティーヴの友人でね、一緒にOur Price Recordで働いてたんだ。デモ契約をした方がいいと進めてくれたのはデイヴで、そのおかげでレコーディングをするお金も用意できた。4曲レコーディングして、それが後のデビューEPってわけだよ。

アンディ:いくつかギグをした後、僕達はお金を出し合ってデモを作り、それをスティーヴがデイヴに披露したんだ。地元でも有名な人物にアドバイスをもらいたくてね。あっという間に僕達は音楽業界の人間から興味を持たれ始めたもんだから、オックスフォードでそういう位置にいるデイヴにマネージャーになってくれるよう頼むのは当然のように思えたんだ。デイヴは、地元以外の音楽業界とのつながりはなかったんじゃないかな。ただ、彼は「音楽ビジネス」ってやつと交渉ができる冷静な人間だった。僕達がそういうのに興味がなかっただけに大事なことさ。Soup Dragonsのサポートでツアーをし始めた時には、アラン・マッギーまで僕達に注目してたんだよね。

マーク:デイヴが、シングルデモをWerner Brothersのツテに送って、Wamerから電話がかかってくるようになり、ギグにもやって来て契約を持ちかけてくるようになった。それがマッギーの気を引いてね。Warnersとまだ契約が進んでいないと知ると同時に、僕達が自分のレーベルと契約している稼ぎ頭のバンドのファンだと知った彼は、あっという間に僕達との契約を決めたのさ。

地元でのRideの人気は瞬く間に膨れ上がった。JerichoからCo-Op Hallへと会場のレベルも上がり、これはその頃のローカルバンドとしては異例のことだった。

アンディ:日ごとに大きくなってる感じだったね。どんどん人気が出て、道を歩いていても声をかけられるようになった。最高だったよ、どこまでも行けるような気がした。僕の目標は、出すシングルがチャートのトップに躍り出るような成功を収めることだった。ただし、音楽的な妥協なしでね。間違いなく、大きな夢を持っていたよ。

そして、大きなチャンスが彼らのもとを訪れたのは、当時のUKインディシーンでは高い注目を集めていたSoup Dragonsのサポートツアー中のことだった。Rideが地元以外のオーディエンスと出会い、音楽プレスの興味にさらされるのが初めてだったことはさておき、ここで彼らはCreation Recordsのトップであるアラン・マッギーと関係を築いたのだ。Creation Recordsといえば、Rideにとってのヒーロー達が多く所属する憧れのレーベルだった。

マーク:サポートを頼んできたんだのはSoup Dragonsのシーンだったんじゃないかな、デイヴやWarnersのつながりからね。毎晩Soup Dragonsの度肝を抜くようなギグをしていたら、アラン・マッギーが今日もまた今日もと俺達のギグを見に来るようになって、ギグの後に話すようになったんだ。最高の瞬間だったよ。

ロズ:ツアーをしてるアートスクールの学生だったね、まあ、ツアーによくあるバカなことは色々してたけど。スティーヴの成長は著しくて「彼女」と呼べる子もできたし。アンディと俺は写真を撮ったり録音したり絵を描いたり。マークは、栄光の道への準備に余念が無くて.....ほんとに楽しく過ごしてたね。

アンディ:色々機材も使わせてもらったんだ、どれも良かったね。しょぼいアンプじゃなくて、Marshall Stacksで音を出したりしてさ。あのツアーで初めて音楽プレスの取材を受けたよ。NMEにMelody Maker、Sounds。僕達の演奏、きっとうるさかっただろうなあ!

アラン・マッギーを虜にするとは、さぞかし良い気分だっただろう。

アンディ:本当は4ADと契約したかったんだ。Creationは露骨すぎると思ってね。でもいざCreationから話が来たら受けることに決めた。マッギーはとても良い人だったし、僕達に夢中だったからね。でもそれからは話す機会が無かったな。デイヴがレコーディングしたものやらスリーヴやらを持っていき、僕達が欲しいものを手に入れてくる感じ。今ではマッギーは親友の一人だけど、それはRideが解散した後からなんだ。

マーク:俺にとってアランはすぐに家族の一員みたいな存在になった。今でもそう思ってるよ。Rideに寛大に接してくれてレコードを好きなように作らせてくれて、それ以外のことでも色々教わった。それに、俺達に大きな影響を与えたミュージシャン達と同じ場所に、Rideを立たせてくれたんだ。

あまり認識されていないことだが、「Ride EP」は、Creation Recordsにとってチャート入りを果たした最初のレコードだ。上位ではないが、71位という意味のある業績だ。Creationは、さらなる成功を収めるための転換期に差し掛かっていた。Rideの売り上げ収入は、他のバンドによって蓄積する借金にあがくレーベルが、ビジネスを続けるために必要なものとなっていた。

デビューEPの4曲は、Union Street Studiosで収録された。「Chelsea Girl」は、渦巻く純粋なパワーポップ、「All I Can See」は、My Bloody Valentineの白昼夢とByrdsのメロディが周到に重なり合い、「Close My Eyes」は、沈鬱にくすぶる賛美歌を思わせる。しかし、4曲の中で最も輝いているのは「Drive Blind」だ。音のスコールと雷が荒れ狂い、ロマンチシズムにあふれながら殺伐としたニヒリズムが洪水のように襲いかかる。

アンディ:エンジニアに僕達の求めている音を出してもらうのには苦労したよ。オックスフォードでは誰も、ギターサウンドを僕達のように収録した人はいなかったから、まるでお互いに違う言語でしゃべってるみたいでさ。最後にはお互いに納得できたけど、ミックスが思うように行ったのは、セッションに投資してくれたWarnersのカリー・カロマンのおかげだね。一般的に言って、レコード会社はお互いを敵視しているもんだけど、カリーとアラン・マッギーは違った。二人は僕達を良く理解してくれていたから、僕達も二人には気を許したんだ。

マーク:エンジニアのカルヴィンのことは覚えてるよ。楽曲をミックスしようとして「何も聴こえないぞ、ギターとホワイトノイズが多すぎるんだ」と言うから、俺達は「そりゃいい、そのままにして」と答えたんだ。

出来上がったレコードを初めて聴いた時の感想は?

ロズ:スピーカーから完成したその音が流れてきた時は、まるで「他の誰かの作品」みたいだったよ。しかもその「他の誰かの作品」がこれまでの人生で一番の出来だった。まさにそんな感じだったよ」。

ファンに評論家、これが初めてのRideという者もみんなが惚れこんだ。もう後戻りはできなかった。Rideの素晴らしい旅が始まったのだ。オックスフォードのミュージックシーンを描いた近日公開の映画では、当時Our Price Recordsの派遣社員として働いていたTalulah Goshのシンガー、アメリア・フレッチャーが、スティーヴに「バンドに専念するために会社を辞める」と聞いた時の驚きを思い返している。オックスフォードのミュージシャンがそういうことを言い出すなどありえないことだったのだ。

Rideの活躍は6年間続いた。「Tarantula」のレコーディング中に解散するまでの間に、4枚のアルバムやチャートを賑わすシングルを多数出し、何度かワールドツアーも行った。バンドにとってもCreationにとっても苦難の時期であり、マッギーの不在とバンドに蓄積した疲労感が彼らに影をかけていた。しかし、解散の頃にただよっていた険悪な空気はすぐに解消された。

RadioheadやSupergrassといった他のオックスフォード出身バンドの先駆けとなったにも関わらず、Rideは自身の功績に驕りを持たない。他のバンドの方がRideよりも寄与していると、彼らは信じている。

アンディ:Radioheadといえば「Creep」だよね。あの曲でいわゆる「オックスフォードの音楽」は始まって、数年すると、バンドがオックスフォードに契約しに来るという状況になった。Rideはというと、地元ではそこまでの話題になってなかったと思う。地元のプレスからもラジオからも無視されていたからね、まあ、僕達のオーディエンスはTown Hallとかそういった類のメジャーなものに背を向けていたから。デビューした時は早くオックスフォードから出たくてしょうがなかった。あそこは世界で一番活気の無い場所だったんだよ。

ロズ:おそらく「Rideならやれる」という空気はあったんだろうけど、後から出て来たRadioheadやSupergrassの方がよりその期待を背負わなきゃならなかったと思うよ。

マーク:デビューEPを出した時、偶然にも俺達がオックスフォード出身で世界的成功をつかむ最初のバンドになったんだ。それからはだいぶ変わったよ。世界へのドアは開け放たれ、A&Rの人間がオックスフォードまでやってきて、地元のパブやギグでたまたま出会った人がバンドを組んで、それでSupergrassやRadioheadが出てきて一気に盛り上がったのさ!この20年でオックスフォードは、今までもこれからも興味深いバンドを輩出する町として世界に知られるようになった。僕達の成功をきっかけに、オックスフォード出身のバンドは音楽さえ良ければ出身は負には働かず、世界は思いのままだとわかったんだよ!

Rideはその慎み深さで損をしているように思える。Rideがデビューするより前、オックスフォードのバンドが見る夢は控えめで、機会は限られていた。着実に続くオックスフォード出身のバンドの成功は、Rideが後世に与えてきた影響や啓示の偉大さを証明しており、彼らの音楽は今も世界で影響力を持っている。最近では、ノスタルジアに乗じて再結成するバンドが多い中、私達もぜひRideに質問したいことがある。Rideの再結成はありえるのか?それに対する答えは、大方の予想通り、曖昧なものだった。

マーク:その質問をするたびにみんなが済まなそうな顔をするから面白いんだよな!再結成の予定はないよ。俺は今自分のミキシングや作曲、プロダクションの仕事で手一杯だし、オックスフォードでもっとのんびりしたいんだ。今も夢を見ていてさ、自分がたずさわったレコードがどうなっていくのかとか、まだ自分が知らないことの方にわくわくするんだ。すでに知っていることや完全に成し遂げたことよりもね。

アンディ:いつかまた一緒にプレイできたらとは思うけど、具体的にいつかはわからないな。

ロズ:俺は.....まあ、みんないつか一緒になれたらと思うよ!

Bonehead - Myspace - 2009/11/14

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「The Vortexとボーンヘッド」

バノックバーンといえば、スコットランド人にとっては歴史的に受難の地であることを差し置いても愛国心を喚起せずにはいられない場所だ。この日2009年11月14日、イングランドとスコットランドの対立を象徴するスターリングシャーは、南に住む隣人との戦いの地ではなかった。

タータン・アームス・バーに通じるMcQ'sと呼ばれる会場には、地元の者達が数百人集まっていた。レコード会社との契約はなくとも、純粋に音楽を愛する5人のマンキュニアン達の姿を見るために駆けつけたのだ。

マンチェスターの音楽は、今でもスコットランドでは深く愛されている。1990年、Glasgow Greenで行われたThe Stone Rosesのギグ、1996年、Loch Lomondで行われたOASISのギグ、そして1993年にKing Tut's Wah Wah Hutで行われたギグに関しては言うまでもなく、ロックの歴史に残る重要なイベントを目撃した幸運なファン達の心に永遠に生き続けるだろう。

それらの事件を誰よりも間近で目撃していた男、それがVortexのギタリスト、ポール"ボーンヘッド"アーサーだ。OASISのステージでリズムギターを弾いていたのは彼なのだから。

世界中で2000万枚を売り上げたアルバム3部作をレコーディングしたのと同じリズムギターを、ボーンヘッドは会場へと運び入れている。彼が今属しているバンドVortexに、ローディなどは雇われていない。そして、足手まといになる連中もいない。

今夜のThe Vortexの音は、いつもより軽く聴こえるかもしれない。バッキング・ヴォーカルであるジャクリーン"ジャックス"ギルバートが、この冬に行われるツアーに参加できなくなったのだ。ボーンヘッドは、彼女のことを「バンドのサウンドに華を添えてくれ、Primal Screamのアルバム「Screamadelica」でのデニス・ジョンソンを思い起こさせる」と、話した。

ボーンヘッドと、Vortexのベーシスト、ニック・レプトンは、Primal Screamのアルバム「XTRMNTR」を、バンドのベンチマークとして定めている。ボーンヘッドは、The VortexはPrimal Screamの「パーティバイブ」を再構成するバンドで、彼らの多様性に満ちた音楽を崇拝していると話す。

「バラッドも書ければ、Country GirlやKill All Hippiesみたいな曲も書ける。次に何をするのか想像がつかないだろ。あのビートサンプルとリズムに乗ったギター。Vortexはそういう方向に行けると思うんだ」。

さらに、Primal Screamと同様にGlasvegasも気に入っていることを明かし、メンターであるアラン・マッギーに関しても言及した。

「彼はジャッジさ。あらゆるバンドにジャッジを下す。これまでマッギーが出したレコードを見ればわかるだろ、『このバンドは来る』と言えばその通りになる。大きく外すことはない」。

そうであれば、アラン・マッギーが「The Vortexが12月にマンチェスターでギグをする時には、1000人のファンが集まる」と予測し、すでにThe Vortexを期待の星として推しているのもうなずけることだ。

「The Stone Rosesみたいにさ、口コミなんだよ。俺はマンチェスターの音楽をずっと信じてきた。The Vortexは大きくなる」。

アラン・マッギーの音楽への嗅覚を信じきっているボーンヘッドだが、彼が発掘したバンドでも1つだけ気に入らないものがあるという。

「レコードについて1つ言わせろよ。The Grantsってバンドいるだろ?あれは最悪、クズだね」。

OASISを見つけた男がいつでも正しいとは限らないようだ。しかし、The Vortexについていえば、アラン・マッギーは次のように述べている。

「The Vortexは、OASISよりもPrimal Screamに近い。OASISよりもHappy Mondaysに近い。その音楽性に、OASISのアティテュードが備わっている」。

確かにステージではそういう姿勢を見せるかもしれないが、The Vortexの面々は非常に紳士的だ。ギグが終わるや否やバックステージに逃げ込み自己耽溺に浸るのではなく、ファン達と一晩中語り明かすことを選ぶ。ロックンロールを体現したいと強く望みながらも、ギグの前にステーキパイやチップス、野菜類を食べてる姿を目撃されたりするのだ.....。

デザイナーブランドを身に着け、ジャガーを乗りこなすボーンヘッドだが、彼は地に足のついた人生を送っている。過去20年で最大のバンドOASISのメンバーとして世界を飛び回ったことは一度ではないけれど、バンドにとって何が一番大事なのかを彼は知っている。

「リオ・デ・ジャネイロや、シドニー、ニューヨーク、色んな場所に行ったよ。でも『一番どこが好き?』と言われると、グラスゴーなんだ。なぜって?人間性。盛り上がり。情熱。彼らは全てを持ってる。会場の大きさは関係ない。昨夜バスゲイトでギグをしたら、みんな前の方まで踊りにきたんだぜ。すごい盛り上がりだった。楽しんでたのさ」。

ボーンヘッドのことを話す時、OASISのことに触れないわけにはいかない。彼は、ノエル・ギャラガーが加入するより前からメンバーだったのだし、アルバム3部作でウォールオブサウンドをつくりあげる大きな役割を担ったのも彼だ。前のバンドについての話題は避けたほうがいいという私の意向は、一蹴された。というのは、The Vortexのフロントマンであるマイク・プライスが、サウンドチェックをするボーンヘッドに向かって「Supersonic!」だの「Live Forever!」だのおかしな野次を飛ばし出したのだ。

しかし、彼はOASISと過ごした時代を懐かしく振り返る。彼らが成し遂げたことを心から誇りに思っているようだ。

「俺達は本当に、本当に恵まれていたんだよ。King Tut'sでギグをやったら、偶然アラン・マッギーが現れて『気に入った。最高だ。レコード契約を結ばないか?』だぜ。俺達はしかるべき時にしかるべき場所にいた。それだけさ。ある意味、俺達は幸運に恵まれていただけなんだ」。

その夜、マッギーが列車に乗り遅れていなかったら、OASISはどうなっていたのだろうか?

「デモはあったけど、配り歩いてはなかったからな。どうなってたか誰にもわからない。レコード会社に配ってたのかな?それにも飽きてやらなくなったかも。わからないよ」。

では、ボーンヘッドが今The Vortexに必要と感じていることは何なのだろう。デジタル化が進んだ16年後の今、レコード契約を掴むためにすべきこととは?

「最近は全然違うんだよな。MySpaceにFacebook。インターネットがある。方法はたくさんあるんだ。レコード会社も昔とは違う。俺達は何千万枚もレコードを売ったけど、今はレコードが売れない時代なんだ。レコード会社はもうそこまで力がない、だからわかんないな。できることを一つ一つやるしかないさ」。

山のようにレコードを売りチケット完売のツアーをしたOASISから、契約はないもののハングリー精神に富み、野心あふれるVortexへ。ボーンヘッドはなぜ再びバンドを組みギグをする道に戻ったのだろう。

「俺は、テリー・クリスチャンと一緒にBBC Manchesterでラジオ番組をやってたんだ。テリーが辞めて、2人の女の子と続けることになったんだけど、その子たちが、Vortexのベーシスト、ニックと友達でね。そうやってニックと知り合ったわけ。やつに『マンチェスターでギグをするんだ。俺達の前にDJしないか?』と誘われて、『わかった、何曲かやってやるよ、お前達の音楽が気に入ったから』と、受けたんだ。それから、Vortexのギグに俺が2曲参加するようになってね、それがとても楽しかったんだよ。バンドに入りたかったんだけど、とてもじゃないが頼めなかったし彼らの方からも言ってこなかったんで、実質加入ってことにしたのさ。人生要領よく生きないとな」。

ボーンヘッドとニックは、もっぱら自分のことを話し、他のメンバーのことまで干渉しない。私は、フロントマンのマイクに、ツアーを楽しんでいるかたずねてみた。控えめな彼は、インタビューに不慣れな様子だったが、話したいことがありそうだったのだ。

「俺はインタビューは受けないけどさ。でも、クリス・マーティンはクソだし、Coldplayもクズバンドだな」。

なるほど。アラン・マッギーが、彼好みの「女々しいバンド」にVortexをなぞらえないのは、こういう態度が原因かもしれない。

UK史上最大のギグとなった1996年のネブワースが終わって、ボーンヘッドはその後の「小さな」会場続きのツアーをどのように楽しんだのだろうか?

「ツアーをする意味に絡んでくるよな。会場の大きさや土地勘なんかは関係ない。ギグを一緒に楽しむファンとバンドのやる気が大事なんだよ。今のバンドではそのことを心に留めてるんだ。会場のサイズはどうでもいい。俺にとって大切なのは、情熱と固い決意さ。この二つはどこであろうと通用する。だから今のところは、小さな会場でギグを続けて次につなげていくつもりだよ」。

この言葉を聞くと、ボーンヘッドはVortexに信じられる何かを見つけているようだ。この数ヶ月、彼は文字通り「一心不乱」に、道を切り開いてきた。

「俺は、OASISとしてネブワースをやったんだぜ。頭の先からつま先までOASIS一色、それで出世したんだ。わざわざ進んでバンドに入ろうとは思わないね。もう十分わかってるから。そこをおしてやつらは、俺をやる気に、つまり、俺が座り込んでいた椅子を取り上げて、OASISのレコードをレコーディングしたのと同じギターをつかませた。一本取られたよ。それでVortexができた。だから俺は今ここにいるんだ。シンプルだろ。バンドを探す気にはなれなかったんだ。その間もちょっとしたことをして、それなりに楽しんではいたけど夢中にはなれなかった。でもVortexは良かったんだ。家から出てギターを弾きたいと思わせてくれた。しつこいようだけど楽しんではいたんだぜ。好きなことをやってさ。でも深入りはできなかった。そこにあいつらが現れて火をつけてくれたんだ」。

ベテランのボーンヘッドが加わったことで、Vortexは本格的なツアー日程を組む決断をする。

「2週間のヨーロッパツアーから戻ったばかりでさ。最高だったぜ。プレスやプロモーション抜きでも会場は満席だ。1日休みでまたギグを続けて、客の反応は最高だしさ。来年、ちょっと休みを取るだろ、そしたらロンドンとかマンチェスター、バーミンガムといった場所よりは、グラスゴー、エディンバラ、ダンディみたいなところに集中したいね。あとスコットランドでもやりたいな、ベルファストにダブリン、そしてまたヨーロッパに戻るんだ。スコットランドのファンはわかってるんだよな。どうしてだかわからないけど、これまでもこれからも楽しみ方をわかってるんだ」。

次にギグをするトーントンのファンはどう?スコットランド人のように盛り上がれると思う?

「トーントンってスイスの地名だと思ってたんだよ(実際はイギリスの地名)。だからわざわざスーツケースに荷造りしてパスポートまで引っ張り出しちまった」。

OASISの前身バンドThe Rainで、リアム・ギャラガーと共に曲を書いていたボーンヘッドだが、The Vortexでは曲作りに参加しているのだろうか。

「曲は全部俺が書いてるんだけど、クレジットはThe Vortexの連中が持ってて.....ってのは冗談で、曲は他のメンバーが書いてるんだ。ドラマーのショーンに、リードギターのマズ。2人が曲を書いて俺が入って音を分厚くする。俺がこのバンドにいる理由は、そこにあるのさ」。

ツアーをしながら曲を披露すると同時に、バンドはアルバムのレコーディング作業にも取り掛かっている。しかし、バンドメンバーのほとんどはいまだに正社員として仕事に就いているのだ(ショーンは、アイスクリーム工場で日勤をしている)。

「アルバムは作ってるよ。まだ全然形になってないけど。マネージャーもプロデューサーもいないし、レコード契約も結んでないんだ。俺達はマンチェスター出身のただのインディーズバンド。俺の経歴のことはもう忘れてくれよ。俺達はマンチェスター出身のインディーズバンドなんだ。ヨーロッパツアーをして、UKツアーをして、それで得た金をアルバムに注ぎ込む。セルフプロデュースして、クリスマスか正月明けくらいまでには、アルバムを出したい。以上。結局、自分達でやることになるさ」。

マンチェスターのギターバンドがアルバムを出す時、音楽界が注目することは間違いないだろう。彼らは、自らのバンドをこれまでのマンチェスター系譜のバンドとは一線を引いているのだ。ボーンヘッドに尋ねてみる。なぜ、マンチェスターは絶えず素晴らしい音楽を生み出すのだろうか。

「ワーキングクラスの街だからだよ。リバプールが近くにあり、30マイル海を進めばそこはダブリンだ。アイルランドとケルトの血をひいてるってことは、生まれた時から情熱を胸に秘めてるってこと。ハングリー精神があるし俺達なりの労働意欲がある。雇われ労働であくせく週5日間9時5時で道を掘り起こして、金曜日には何が何でもパーティに繰り出すっていうさ。俺はアイルランドの家系で、週5日働いても、金持ち連中みたいに金曜の夜に遊びほうけるだけの金がない。そうなるとギターを手に取るだろ。だからみんなギターかバンジョーかピアノか、つまり楽器が演奏できるのさ。自分で音楽を作って自分でビールを作る。これなら金はいらねえだろ。これがケルトの血。だからマンチェスターやリバプールは最高のバンドを生み出してきた。みんなアイルランドの血をひいてる。ジョニー・マーにリアム・ギャラガー。みんなワーキングクラスだ。毎日必死に働いて金曜日に『俺は好き放題する権利がある』と言って、ギターを弾きビールを飲むのさ」。

それらの都市が、一流のフットボール選手を輩出する理由もそこにあるのだろうか。

「貧乏から抜け出す道なんだよ。これまた、アイルランドさ。ロイ・キーン。情熱的っていうんであいつを超える男なんていないだろ?アイルランド人のフットボーラーで、情熱が欠けてるやつを挙げてみろよ。いないだろ。そういうもんなんだ。アイルランド出身なら、ワーキングクラスなら、フットボーラーになるかポップスターになるか道を掘り起こすかのどれか1つ。それだけ。何にでも必死になって取り組むっていうね。ギターかフットボールか、いずれか1つ。それに情熱。そして飢えに渇きだな。俺もそうだった。音楽とフットボールがあって、フットボールはあんまりだったけど、ギターはそれなりにできたからそれで食っていこうと思ってた。ギグジーはフットボールが上手かったんだけど、膝を壊してね」。

ボーンヘッドの人生哲学に賛同するかと、マイクに向かって尋ねると、彼は何か言いたいことがありそうだった。

「Coldplayはクソ。クリス・マーティンはクズ」。

.......。さて、ボーンヘッドは、ワーキングクラスのバンドは道路の穴掘りから抜け出すために努力をするのだと強調していた。しかし、一度成功を収めると、栄光に溺れ、かつての情熱や渇望を忘れてしまうのではないだろうか。

「俺は大金を稼いだけど、今でも失業手当で暮らしてるやつやアイスクリーム工場で9時5時労働してるやつと一緒にステーキパイを食ってるぜ。ビッグになりたいとか金持ちになりたいとは思ってない。俺は俺だからな。ああ、確かに俺は昔大金を稼いださ。その通り。でもそれを自慢したりはしない。プラダやグッチを着けても、人の顔にそれをこすりつけたりはしない」。

では、その毛皮の襟がついたダークブラウンのレザージャケットはグッチ?似合ってますよ。

「着けたいなら貸してやるよ。金ができても俺は変わらなかった。変わる人間が多いけど、俺達はColdplayじゃないんだ。クリス・マーティンじゃないのさ。クリス・マーティンは100万ポンド稼いでポップスターと結婚した。俺は違う。かみさんは幼ななじみだしな」。

何度目の登場だろう。クリス・マーティン。ボーンヘッドといいThe Vortexのメンバーといい、クリス・マーティンのような人物に反発心を抱いているようだ。元OASISのメンバーは、Coldplayが今後もなれないようなビッグで良質なバンドのメンバーとなり、世界を救う道には進まなかった。

「今朝も運転しながら楽しみでしょうがなかったんだよ。バンドメンバーを迎えながらギグに向かってさ。バンドってのは、最高にクールな連中と一緒に最高にクールな音楽を作るところなんだ。『俺はあんな成金になるつもりはなかった』とぼやくつもりはないしルーツに戻るふりをしてるわけでもない。俺は俺で、何にも変わっちゃいないんだ」。

The Vortexが、クリス・マーティンやColdplayのことを気に入っていないという印象を持ったと私が話すと、ショーンがボーンヘッドにColdplayの話を振った。

「1stアルバムは名作だな。マジな話。Coldplayの1stアルバムは、ジェフ・バックリーだ。ギターはどうかって?本当に素晴らしいよ。クリス・マーティンはどうでもいいさ。ああいうアルバムに参加できたら誇りに思うね。だって全くジェフ・バックリーだろ。名作だよ。最高のアルバムだ」。

他のメンバーはボーンヘッドに賛成しないようだ。音楽を批評する時のThe Vortexには遠慮の欠片も見当たらない。「俺は嫌いだな」と言うニックに、「クリス・マーティンはファッキン間抜け野郎だ」と言うショーン。Coldplayを巡るディスカッションは活発に続いたが、結局ボーンヘッドが折れることはなかった。その彼もColdplayの最近の作品は好きではないという。

「変わっちまったよな。今の作品はどうしようもない。俺は好きじゃないね。1stアルバム?あれは好きだよ。クリス・マーティンはそうでもないけど、あのアルバムは大好き」。

それでもショーンはボーンヘッドが自分の好みを貫く姿勢を見逃せないようだ。人好きのする彼がヒートアップする話題の1つがColdplayということらしい。

「連中には1曲だけ良い曲がある。『Yellow』って曲さ。あれはまあまあだな。Coldplayは他に良いバンドがいないから出てこれたバンドさ。1994年にデビューしてたら今のようにはなれなかったはずだ」。

これは結構良い点を突いている。というのも1994年に衝撃的なデビューを果たしたOASISは、Blur、Pulp、Radioheadといったライバル達や、同郷のStone Rosesとすら相手にする必要があったのだ。ボーンヘッドによると、ベーシストのニックはマニを彷彿とさせるところがあり、「自分の意見をおし通そうとするのもその影響さ」ということだ。ニックにマニと比較されてどうかと尋ねると、心から満足げな顔をした彼は次のように答えた。

「マニの失敗作ってところだな、うん」。

マニの誕生日パーティにメンバーそろって行く予定と話したボーンヘッド。マニは性根を入れ替えているらしい。

「彼はもう酒は飲まないんだ。今度の日曜が誕生日でさ、みんなで行くつもりだよ」。

マンチェスターにあるBeat ClubでNorthern Soulのファン向けにDJをしているというマニ。ニックもボーンヘッドもその手の音楽はあまり好きではないという。

「俺はそんなに好きじゃないな。聴きはするけどそこまで夢中になれない」。

Stone Rosesを1990年のSpike Islandで体験しているボーンヘッド。ギグジーと一緒にジャクソン・ポロック風にペイントを施した車、通称「ボーン・モバイル」で会場へ向かった彼は、当時マンチェスターの頂点だったバンドの姿を目にしている。

その悪名高い車をeBayで売りに出したらどうかと提案したが、当の昔に150ポンドのために潰してしまったという。「Definitely Maybe」のアートワークですら、eBayなら - 現時点で - 260ポンドで売られているのに!ボーンヘッドは笑って、今でもあのアートワークに映っているピンクフラミンゴは保管しており、装飾された窓枠も新しい家に取り付けたのだと話した。

The Vortexは、メンバー同士とても仲が良い。マニの誕生日といい、マンチェスターの音楽仲間のつながりは強いようだと私が話すと、ボーンヘッドはうなずき、マンチェスター出身の音楽の偉人達があまりに普通に日常生活を送っているため、時々それが不思議でならなくなる時もあるのだと話してくれた。つい先日も、ガソリンスタンドで給油をしていると、隣で至って普通にジョニー・マーが同じく給油をしていたという。本人にとっては日常に過ぎないのだろうが、他の客達はとても驚いた様子だったとか。ボーンヘッドにとっても、ジョニー・マーは今でも会うと感激してしまうほどの人物なのだ。

ボーンヘッドの行く先をファンが興味を示していることを伝えると、彼は当然とふんぞり返ることはせず丁寧にお礼を述べた。さらに、リアム・ギャラガーについて、セレブリティの地位を得た今でもファンに対して真摯な態度で接していると話を向けた。

「Definitely Maybe」のアートワークに登場しているメンバー達は、元気でやっているのだろうか?ボーンヘッドによれば、ギグジーは地元でとても幸せに暮らしており、今の人生に満足しているという。また、トニー・マッキャロルとは、今でも仲良くしているそうだ。そして、そのトニーが1995年にバンドをクビになった時は、とても悲しんだのだと打ち明けてくれた。

今でも、OASISは最初の3枚のアルバムが名作だと考えているボーンヘッド。自身とギグジーが離れた後のOASISをどう思っていたのだろうか?

「OASISはもうバンドじゃなくなってた。あえて言えばギャングかな。それでも素晴らしいことに変わりはなかったよ。俺は今でも彼らの一番のファンさ、いや、ファンだったが正しいのかな」。

プレスでも伝えられているように、バンドの分裂が伝えられているOASIS。インタビューを開始してから初めて、私たちは、ギャラガー兄弟の話題に入ることにした。まず、リアム・ギャラガーの新バンドについて話し始めた時、今でもリアムから「兄貴」と呼ばれるボーンヘッドは、とんでもない発言をぶちかました。

「電話を待ってるんだ。リアムならかけてくると思う。俺が必要だよ。これまでの経緯から考えればかけてくると思うな、でもどうかな?今俺はThe Vortexのメンバーだ。本気でやってるから、メンバーである限り、もし声がかかっても応えられない。俺はVortexとやっていくよ」。

リアム・ギャラガーは、2010年の初めには新バンドでニューアルバムのレコーディングを開始すると話しているが、本当に電話がかかってくるのかは知る由もない。もし現実にコールがあったとして、それでもボーンヘッドがVortexへの忠誠を守るなら、私は彼の誠実さに尊敬の意を示そう。

私が言いたいのは、バンドをやめて15年になるリズムギタリストが再びバンドの一員になり積極的に活動するなど誰が考えただろうということだ。首尾よく行けば、私達は2010年に元OASISのメンバー達によるアルバムが3枚は望めるというわけか.....。

夜は始まったばかりだ。Vortexがステージに上がり、インタビューを受けないフロントマンが座を仕切る。ボーンヘッドは慣れた様子で落ち着き払い、ニックは能力に見合うだけの自信を持って堂々と立ち、ショーンは自分の演奏に没頭し、マズはサングラスの向こう側で幸せそうに、寡黙なソングライター然としている。ボーンヘッドは「やつはそんなんじゃない」と話していたが。

スコットランドのファン達の心を満たして家に送り届けたVortexは、次なる目的地トーントンへと向かうため荷造りを始める。次にこのバンドをスコットランドで見る時は、さらにビッグになっているだろう。ボーンヘッドとその妻ケイトが、クリス・マーティンとグウィネス・パルトロウのような生活を送らない限り、私はVortexの将来を信じている。

彼らより前に出て来た輝けるホープ達と同じように、彼らもまたロックンロールのvortex(渦流)に消費されてしまわないよう、素晴らしいギターミュージックに希望を託そうじゃないか。ボーンヘッドの言葉を借りれば、「もう十分分かってるから」。ボーンヘッドがいる限り、彼らが渦潮に流されることはない。今回のインタビューで私はその確信を得たのだった。

2009年12月号


12月29日
「sun」より。リアム、クリスマスプレゼントを贈る。

兄ノエル・ギャラガーへのクリスマスプレゼントは用意していないだろうが、リアム・ギャラガーは、友人達に素敵なプレゼントを贈っている。

Riflesのフロントマン、ジョエル・ストーカーと、新進気鋭のジャージー・バドに向けて贈られたのは、リアムのアパレルブランドPretty Greenのコレクションだ。

ジョエルには245ポンドの黒のパーカー、ジャージーには425ポンドの黒のピーコートがプレゼントされた。

ジョエル:「リアムはパーカーの出来に自信を持っていて、俺もとても気に入っていたんだ。最高だよ、完璧な服だ」。

ジャージー:「包みを開けた時は信じられなかった。素晴らしいね」。

関係者:「Pretty Greenは飛ぶように売れている。でもリアムは、Riflesの大ファンだから、彼らに何か良いプレゼントをしたかったんだろう」。


12月24日
■「tribialfootball」より。ノエル・ギャラガー:マーク・ヒューズは素晴らしいと思う。

マーク・ヒューズの大ファンというわけではなかったノエル。しかし、今週、シティの監督を解任された彼に対し、「クラブを正しい方向に導こうとしていた」と評価している。


「うーん、ややこしいよな。プレミアリーグの11試合中勝ったのは2回だけ。でも16試合中負けたのもたったの2回。調子の良し悪しなんだよな。マーク・ヒューズのクビを訴えるファンもいたけど、大方は続けさせるべきだったと考えてるさ」。

「俺 の考えをいえば、彼は素晴らしかったと思う。シティは正しい方向に向かっていた。選手の働きぶりも最高だった、コロ・トゥーレ以外はな。あいつは最悪も最 悪だったけど、あれを除けばシティは最高だったんだよ。どうして今この時期に監督を解任したのか理解できないね。シーズンが終わった時だったらわかるぜ、 でもクリスマスがやってくるって時に、もしマークと一緒に3試合連続勝利すれば上位4位に返り咲けるって時にやっちまうなんて信じられない。問題外だ」。

「マン・シティはきっと上位に入ったさ。それでマークは何をしてると思う?ショッピングリスト片手にプレゼントでも買ってるさ。俺達はまたどん底から這い上がらなきゃならない、そう、チームを立て直さなきゃならないんだ」。


■「tribialfootball」より。ノエル・ギャラガー:今季、シティが上位4位に入るのは難しい。

ノエル・ギャラガーが、今シーズン、マンチェスター・シティがベスト4入りを果たすのは難しいと話した。


12月20日、成績の不振が原因でマーク・ヒューズが解任され、ロベルト・マンチーニを新しい監督にすえたマンチェスター・シティ。

シティの大ファンであるノエルは、TalkSportに次のように話した。

「俺が思うに、シティの今の順位、- 全体で6位 - というのは、これから試合に勝って5位に上がることができたら、力相応だと思うし、もしシーズンの終わりまでその位置を維持することができたら、よくやったといえると思うんだ」。

「こ れは一夜で成し遂げられることじゃない。金で雇って『俺達を上位4位に入れてくれ』っていうのは彼に対して無理難題を押しつけすぎだろう。上手くいくはず がない。そんなに簡単にいくんだったら、誰だってやってるさ。監督業ってのは、金を出して良い選手を集めるよりもっとテクニックが必要なんだよ」。

■「nme」より。ポール・ウェラー:ノエル、リアム、どちらとも仕事をしてみたい。

ウェラー曰く、ギャラガー兄弟のどちらも「同じくらい」好きだから、OASISが分裂したからといって一方の側につくことはないという。

「ク リエイティブな面から考えれば、OASISが分裂したのは良いことだと思うよ。どちらの側からも将来素晴らしい作品が生み出される可能性が出てきたわけ だ。俺はリアムともノエルともコラボレイトしてみたい。二人とも同じくらい好きだし、どっちも個性的な才能にあふれてるからな」。

12月20日
「mirror」より。リアム・ギャラガー、リゾート施設で休暇を過ごす。

ロック界の野生児と言われたリアム・ギャラガーもいい年になったようだ。彼は、先週、センターパークス(イギリス全土に展開されているリゾート施設)で家族と共に過ごしているところを目撃されている。


リ アム、妻ニコル、そして7歳になるジーンは、友人らと一緒にウィルトシャー州のロングリート近くのセンターパークスで5日間の休暇を過ごしたようで、居合 わせた人々は、リアムが敷地内を散策したり、30フィートはある壁をヘルメットをかぶってロープでよじ登ったりしているのを見て、自分の目が信じられな かったという。

リストランテ・ストラーダでピザを注文し、3本のシャンパンボトルをお持ち帰りしたリアム。4つの寝室つきのロッジを借りるために、彼は450ポンドを支払ったそうだ。

目撃者談:

「彼は、センターパークスに来るタイプの人間じゃないだろう!さすがにここではギターの壊し合いや殴り合いは起こらなかったよ」。


12月18日
「NME」より。12月30日発売のNMEは、OASIS特集。1991年から2009年までを厳選されたインタビュー&写真とともに振り返ります。↓
http://www.backstreet-merch.com/stores/nme/product.asp?item=nme94

12月15日
■「prettygreen」より。ロンドン&マンチェスターのセルフリッジにてPretty Greenのプロモーションを行うリアム・ギャラガー。↓


■「dailystar」より。リアム、新バンドの誕生をフィルムで残す。

8月にOASISが崩壊してからというもの、Pretty Greenに力を入れているリアム。しかし、彼の新バンドも新曲の製作に取り掛かっており、リアムはその様子をカメラにおさめたいと考えているらしい。

関係者談:

「色 々変化があったから、今の様子をフィルムで残したいと考えたみたいだ。新しいバンドがアルバムを製作する様子やPretty Greenへの取り組みも含めて彼の仕事を撮ってほしいとね。今のところその映像をどうするのかは決めてないけど、需要があれば最終的にはニューアルバム と一緒にDVDとして発売することになるかもしれない」。

2010年の夏にはニューアルバムを引っさげてツアーをしたいと話しているリアム。ゲム・アーチャー、アンディ・ベル、クリス・シャーロック、ジェイ・ダーリントンが新しいメンバーとなる。

「リアムは、みんながOASISの頭脳はノエルと思っていることにイライラしてる。スタジオでのセッションをフィルムに撮ることで、リアムがどれだけ真剣に取り組んでいるか、創作過程にどれだけ深く関わっているか、ファンは知ることができるだろう」。

「リアムは仕事には本気で取り組むから、それを世間に知らせるためにカメラに全てを露にすることにも躊躇はしないんだ」。

リアムが本格的にレコード製作に取り掛かるのはクリスマスの後だと公言しているのに対し、ノエルはソロ活動を含めこれからの計画についていまだに語っていない。

いずれにしろ、ギャラガー兄弟が今すぐ和解することは無理なようだ


12月14日
「contactmusic」より。ジョン・ライドン:OASISはムカつく。

最近、Public Image Ltdの活動を再開しようとしているジョン・ライドンだが、他のバンドが自分から影響を受けていることを認めようとしないことに怒りを覚えているらしい。

「俺達のスタイルを真似したレコードを今でも耳にするんだけどさ、誰も俺達から影響を受けてることを認めようとしねえんだよな」。

「なんかムカつくぜ、だって俺はこれまで生きてきて一度だって他のやつの真似をしたことはない。OASISもムカつくな、わかるだろ?あの声がムカつくんだ。あいつは自分なりのスタイルを編み出すことだってできただろうに」。

12月11日
■「contactmusic」より。Kings Of Leon:俺達はOASISのように分裂はしない。

Kings Of Leonのドラマー、ネイサン・フォロウィルが、「俺達家族の絆はとても強いからOASISの二の舞は踏まない」と話した。

King Of Leonは、ネイサン、カレブ、ジュアドの3兄弟と、従兄弟のマシューで構成されている。

彼らに何があったのかわからないな。どんな兄弟でも喧嘩はする。二人の場合は仲直りする機を逸しただけなんだろう。でもさ、そう、10、いや15年も同じような兄弟喧嘩を続けてきたんだ、もう限界だったのかもしれない」。

「で も、俺達には特別な強さがある。長いことよそもののいない社会空間の中で育ってきたからね。これは大きな違いだよ。毎日悪態つきあってるけど、絆はとても 強くて脳みそをお互いで共有しているみたいなんだ。殺し合いならするかもしれない。でも別れることは決してないと思う」。


■「Q」より。ラッセル・ブランドの相談相手はノエル・ギャラガー。

ラッセル・ブランドが、友人であるノエル・ギャラガーを「どんな時も悩みを聞いてくれた」と、話した。

2004年、ロンドンで行われたスタンディングギグで意気投合した二人は、それからというもの親友の間柄に。

ラッセルによると、辛い時にもノエルと話すと落ち着くため、精神的に追い詰められた時にはいつも会いに行くのだそうだ。

「ノエルには驚きが尽きないよ、誰よりも優しくて誰よりも思慮深い人間なんだ。人間関係や仕事のことで悩んだ時でもとても良いアドバイスをくれる」。

去年、自身が司会をつとめるラジオ番組の生放送中に、アンドリュー・サックスの留守番電話に侮辱的なメッセージを残したとして、そのラジオ番組を打ち切られた時も例外ではなかったようだ。

「ノエルはこう言った。『ほんとどうかしてるぜ、あんまり深刻に考えんなよ』。俺が悪意をもってそういうことをする人間じゃないってことを知ってるのさ」。


■「prettygreen」より。Pretty Greenを着けたポール・ウェラー。↓
http://www.prettygreen.com/community/

12月7日
■OASISオフィシャルサイトより。OASISオフィシャルサイトからのクリスマスプレゼント!

今年4月、ノエル・ギャラガーが「Waiting For The Rapture」をアコースティックで披露した映像を部分的に紹介したことを覚えているでしょうか。そのフル映像を見ることができるのは、U2のボノ主催の
デジタルマガジン(Red)Wireだけとなっていましたが、今回OASISオフィシャルサイトのフロントページでも見れるようになりました。メリー・クリスマス!
http://www.oasisinet.com/

■「prettygreen」より。今週初め、Pretty Greenのプロモーションのため、マンチェスターのセルフリッジズを訪れたリアム・ギャラガー。↓
http://www.flickr.com/photos/39594585@N08/sets/72157622808657663/

12月6日
■「newsoftheworld」より。OASISの新メンバーはジェイミー・ケリー?

ノエルに代わるメンバーとして、ジェイミー・ケリーの名前が挙がっているという話が出ている。彼は、リアムやギャラガー兄弟の長男ポールの長年の友人である。

友人の一人は次のように話している。

「ジェイミーにとってはチャンス到来だよ。彼らとリハーサルをしてもしリアムの琴線に触れることができれば、もしかしたらノエルの位置に立てるかもしれない。彼はとても興奮してる。無名の人間がイギリス最大のバンドに入る機会を与えられたなんて、信じられないよね」。


■「newsoftheworld」より。クリスマス、ヤドリギ、そして再びリアムの泣き言。

ギャラガー兄弟が再びもめている。今日は、リアムがノエルを守銭奴呼ばわりだ。我々のインタビューに答えたリアムは次のように話す。

「あいつといったら一年中惨めな姿さらしてるからな、想像してみろよ、クリスマス用のプレゼントをいやいや買ってる姿」。

幼少時代以来、一緒にクリスマスを過ごしたことがないというギャラガー兄弟。

「ク リスマスにあいつと一緒なんてやってらんねえぜ。最後に一緒に過ごしたのはおふくろと暮らしてた時かな。ノエルは、誕生日やクリスマスとなると機嫌が悪く なるんだ。気前よく金出してプレゼントを買わなきゃなんねえからってのが理由でさ。札をしぶしぶ取り出したりして」。

「俺は兄貴を愛してるよ、これは間違いない。でも時々ちょっとバカじゃねえのって思うこともあるんだ」。

リアムは、OASIS分裂の原因となった喧嘩についても、ノエルを非難。

「バンドメンバーやファンのみんなに言う勇気がなかったから、取るに足りない喧嘩を過剰に捉えて大きくして、これまでで最悪の喧嘩に仕立て上げたんだ」。

「これまでで最悪?ふん、あんなの軽いもんだぜ、俺達はもっと大きなやつだって何回もやってきただろ」。

「だからあいつは単に辞めたかっただけなんだと思う。そういうことさ」。

報道によると、リアムがノエルのギターを壊したとされているが、リアムは次のように説明した。

「あいつが俺のギターを乱暴に扱ったんだ。かみさんからのプレゼントを。だから思ったわけ。これは仕返ししてやらなきゃなって。だから俺もあいつのギターを1つ壊した。俺のよりずっと高いやつをな」。

リアム、クリスマスにはノエルに新しいギターを買ってあげてくれ。そして地球上の全ての人類の心に平安をもたらしてくれ。


12月4日
■「anoraknews」より。11月末、Pretty Greenのプロモーションのため、
マンチェスターのセルフリッジズを訪れたリアム・ギャラガーの写真10枚。↓

http://www.anorak.co.uk/232259/celebrities/liam-gallagher-flogs-his-pretty-green-clothes-in-pictures.html?pid=2079

■リリー・アレンが、12月2日放送のRadio1 Live Roungeにて、OASISの「I'm Outta Time」をカバーを披露しました。↓



■「holymoly」より。ノエル・ギャラガー、Parlophoneと契約か?

ノエル・ギャラガーが
Parlophoneとの契約間近で、さらに新しいバンドメンバーを揃えたというゴシップ記事あり。

12月3日
■「sky」より。リアム・ギャラガー:ノエルのことは好きだけど.....



リアム・ギャラガーが、OASIS分裂後も人生を謳歌していると話し、OASISの復活を否定した。

Pretty Greenのプロモーションのため、マンチェスターのセルフリッジズに現れたリアム。新しいバンドでプレイするのが楽しみだという彼は、兄のエルに対して悪感情は抱いていないという。

「ノエルはノエルで、俺達は俺達でやることをやる。あいつの成功を祈ってるよ」と言ったものの、「ソロアルバムのリリース日を俺達のアルバムとぶつけるのはやめとけよ。食っちまうからさ」と付け加えることを忘れない。

「ひどい目に会えばいいとは思っちゃいない。兄貴なんだからな。死ぬほど愛してるんだよ」。

また、ステージ以外では口も聞かなかったので、メディアでまことしやかに書かれている喧嘩ネタは全部嘘だという。

先日お伝えしたように、リアムは新しいバンドの名前を「OASISにするかも」と話しているが、新たな名前も考え中だと明かした。

「新 しい名前については悩んでるっていうかな、名前に執着してるわけじゃない、今はあえて考えないようにしているんだ。みんなは『OASISではあるけれど、 ノエル抜きなんてOASISじゃない』と言うだろう。でもみんなの考えてることをいちいち気にしてられるほど人生長くねえんだ。とにかくどうなるか様子を 見るよ。今は音楽に集中する」。

最後に、ノエルへのメッセージはあるかと質問されたリアムはこう答えた。

「頑張れよ、来世でまた会おうぜ。遅れるなよな!」。

12月2日
■「sun」より。リアム・ギャラガー:OASISの再結成?勘違いもはなはだしいね。

「あいつは自分で自分をおとしめたんだ」。

そう話したのは、リアム・ギャラガーだ。

「18年間続けて最後がこれかよ、OASISに見切りをつけてラッセル・ブランドやら新しいお仲間と一緒に遊びやがって。あいつの周りにはごますり連中が群がってるのさ」。

「ノエルはきっとこう思ってるぜ、『ソロをやろう。上手く行くとは思うがそうならなかったら、弟に電話すればいい。どうせあいつはやけくそになってるだろうし、OASISのためならなんだってやるだろうから』とね」。

「そうだな、もしそうなったら即答してやる。『勘違いしてんじゃねえよ』」。

「時間がある時にいつでも電話をしてもいいと思ってるようだが、俺は忙しいんだ。あいつが電話をかけてきても話す暇なんてねえんだよ」。

さらに、リアムはアンディ・ベル、ゲム・アーチャーとともにすでにスタジオに入っており、ニューアルバムも出したいと語った。

■「prettygreen」より。Pretty Greenのプロモーションのため、イタリアのミラノを訪れたリアム・ギャラガー。↓



12月1日
11月13日、Pretty Greenのプロモーションのため、イタリアを訪れたリアム・ギャラガー。Radio105に到着した時の様子とそのインタビューの動画(http://video.105.net/tv/episode/view/id/2378)、そして先日紹介したRadio DeeJey収録の完全版を紹介します。















第2話「インターナショナル・ツー」 -Gallagher's History

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父親が不幸な幼少時代の元凶となっていたことは事実だが、良い影響を受けたものもある。ギャラガー兄弟はサッカーチームであるマンチェスター・シティーへの熱烈なファンとなった。1971年からシティーはハーフタイムが過ぎると無料でスタジアムに入ることが出来るサービスを始め、それを利用して大のシティーファンであるトーマスが子供たちを連れていった。それからリアムが生まれた1972年からトーマスは、カントリー&ウエスタンミュージックのDJとしてクラブハウスでアルバイトを始めた。大量のレコードを車に積んだり、機材を運ばせたりする仕事をノエルやポールに手伝わせたこともしばしばだった。彼らの最も近しい人物である父親には、マンチェスター・シティーへの熱狂と豊富な音楽があった。このことはギャラガー兄弟のルーツに繋がっていく。トーマスは元来無口で飲酒の習慣は無かったが、DJのアルバイトを始めた頃から酒を飲み始めるようになり、ますます手がつけられなくなった。ノエルはこの父親から特に嫌われていた。彼は精神的な問題から軽い失読症にかかり、吃音になった。学校の成績は不良。盗みやマリファナや接着剤などのドラッグを覚え、すっかり街のゴロツキとして成長していった。そして、リアムも同じような道を辿ったのだった。


ただし、ノエルは弟のリアムとは違って音楽に興味を持っていた。13歳の時に黒いギブソン・バードの安価なコピー品を手にした。彼は元来左利きだが、右利きでギターの練習をするとみるみる実力を付けていった。彼はさっそくビートルズの「涙の乗車券」等いくつかの曲を弾けるように練習した。セックス・ピストルズを始めとするパンクを聴き、後には兄のポール・ギャラガーの影響でモッズサウンドを手に取るようになった。


やがてペギーはトーマスと別れることを決意し、彼の外出中に新しい市営住宅へ子供たちを連れだって引っ越しを行った。カトリック教会からの破門と信仰への背信を恐れてなかなか応じなかったペギーだったが、子供たちの説得もあり、最終的には離婚に合意したのだった。ギャラガー一家にやっとのことで平和が訪れた。ノエルやポールはガス配管工事等の肉体労働や将来性の無い様々な単純労働に従事し、リアムもその後を追った。典型的なマンキュニアン(マンチェスター人の愛称)の生き方だった。


1988年5月29日、ノエル・ギャラガーは21歳の誕生日を迎えた。その日は仲間からのパブへの誘いを断って、クラブハウスのインターナショナル・ツーへストーンローゼズのライブを観に行った。彼はスプーン一杯のスピードを嗅いで、既に気分がハイになっていた。今夜はぱっと盛り上がろう、と考えていた。二階席で眺めたストーンローゼズは最高のギグを演出した。それは衝撃的な程の光景だった。眩く、力強いロックンロールの精神がそこには確かに在った。いつかそのステージに俺も立ってやろうじゃないか、とノエルは強い決意を抱いた。ふと、辺りを見渡してみると隣の男がライブをこっそりと録音していることに気が付いた。普段は人見知りの激しいノエルだったが、ハイになっていたため話しかけることが出来た。その男は最初びくりとしたが、ノエルが録音を取り締まるために話しかけたのではないと知って気を許した。彼らはほどなくして音楽のことを話し始めた。ノエルは最近買ったレコード、とりわけインスパイラル・カーペッツの話題を振ると男は大笑いをし、こう答えた。「俺がそのバンドのギタリスト、グラハム・ランバードだよ」その夜、彼らは電話番号を交換し、後に連絡を取り合う約束をした。この日を境にノエルの人生が大きく変化を見せ始める。同時に、まったくの偶然だが弟のリアムもインターナショナル・ツーの一階に居た。お互いに気が付いていなかった。彼もまたその夜のストーンローゼズのライブで同じように衝撃を受け、身震いをしていた。「人生が変わった瞬間だった」とリアムは後に語った。


このインターナショナル・ツーの以前の名前はアストリアだった。そこは若き日のペギーがトーマス・ギャラガーと初めて出会った場所でもあった。1964年のことである。アイルランド出身の移民で建設作業員をやっていると彼はペギーに自己紹介した。初対面の印象は物静かな男だったという。翌年には、結婚することになった。20年以上の時を超えて、名前を変えたその場所は彼らの子供であるギャラガー兄弟の人生にとっても運命的な転機を与えることになった。リアムはこの日を境にイアン・ブラウンのようなロックスターになることを本格的な夢として抱き、ノエルはグラハムからインスパイラル・カーペッツのライブに一週間後招待され親交が始まった。マンチェスターの鈍重な鉛色の空の下、低所得労働者としての退屈な日々から、彼らは既に一歩抜け出そうとしていたのだった。ロックンロールは、若き日のノエルとリアムに向かって、未来からの鮮やかな輝きをかすかに届け始めていた。

Noel Gallagher - Big Issue - 1999/01/04

ネブワースのギグ、シングル「Wanderwall」の後に発表されたOASISの3ndアルバム、「Be Here Now」は、期待はずれの作品だった。紛れもなく一つの「イベント」ではあったものの、ハイプと過度の期待はバンドを低迷させることになる。長いギター・ソロとオーバーダブを必要以上に多用したアルバムは、以前のような輝きを持っておらず、大衆のバンドに対する考えをゆっくりと変え始めることになった。ノエルはOASISを失敗へと導くことになったのだ。弟リアムは夫婦生活の破綻と共に、昔ながらのロックスターのような自滅的状態の中でもがいているように見えたし、飲酒問題と絡んで起こした飛行機での事件は、タブロイドの表紙を飾る格好の材料となった。だが、ノエルはドラッグをやめたと公言し、首相官邸でトニー・ブレアのもとに馳せ参じたことを心から悔やんでいた。彼は、分別あるロック界の良心へと成長しようとしているのだろうか。それともただ単にポップ・スターに中年の危機がおとずれただけのことなのか。

若者文化の歴史をひもといた時、90年代はどんな風に書かれていると思います?OASISはどこに位置づけされるのでしょうか?

ノエル:90年代が、ただ1つの出来事で語れるはずがないんだよな。音楽はいつだって文化の最先端にあるわけだけど、俺は、音楽がこれまでみたいに大きなインパクトを持ってるとは思わない。今は、コンピュータ・ゲームやらドラッグやら他の要素があふれてるだろ。若者文化を代表するようなイコンになりたい。誰だってそう思うさ。俺達は若者文化における象徴的な場面を頭に思い浮かべている。ネブワース、メインロード、スコットランドで行われたギグ。でも、OASISがあらゆる人々にとって人生の全てを占める存在であるわけがないんだ。若者文化はなくなっちゃいない。細かく分断されただけなんだよ。だから、音楽の一時代を築くようなムーブメントが起こることはもうないんだろうな。50年代のプレスリー、60年代におけるマリファナとビートルズ、70年代におけるコカインとレッド・ツェッペリン、80年代におけるデュラン・デュランとシンセサイザー。90年代なら、ストーンローゼス、エクスタシーとか.....色々あるけどさ。

ダンス・ミュージックは新しいロックンロールだと思いますか?

ノエル:音楽はただの音楽だよ。みんなダンス・ミュージックは一番モダンで進んでる音楽だと思ってるけど、Prodigyを見りゃわかるだろ、やつらの音楽はここ10年変わってない。1989年には、ロックンロールの終わりだの何だの騒がれていたけど、そう言ってた当の本人達は今じゃ外に出てライブやったりしてるんだぜ。で、ちょっとだけダンスミュージックを取り入れてる連中と、俺達みたいにストレートにロックをやってる連中が入り混じってる状態が今ってわけだ。

でもあなたもダンスミュージックに手を出してるような....

ノエル:俺個人ではね。バンドとしてはやってないよ。

そう?ジャングル(ダンスミュージックの一種)を取り入れたニューアルバムが聴けたりするのでしょうか?

ノエル:俺がジャングルに行かない限り、それはないね。リアムをラスタファリアンみたく歌わせるのは難しいだろうな。エレクトリック・ミュージックは好きなんだ。敵対心も持ってないし、だからといって信者ってわけでもない。Chemical Brothersとやったいくつかの作品はとても誇りに思ってるしね。

OASISのコピーバンドについてどう思います?

ノエル:昔の曲ばかりやってるよな。

いえ、私はOcean Colour SceneとCastのことを言ったつもりだったんですが。


ノエル:ああ.....(笑う)。あいつらの悪口は言うべきじゃないな、何人かは友達だから。君が俺を焚きつけてると思うと、おもしろいね。「ノエル・ロック」を批評する批評家、だけど人が何かやったのを、後から後ろ指さして批判するのは簡単だよな。

OASISのカバー・グループを見たことがありますか?それについてはどうですか?面白い?それとも嬉しく思います?


ノエル:両方だね。俺はNo Way Sisしかみたことがないんだけどさ。The Forumでね。完売だったよ。連中は、食っていくために必死なんだ。空き巣をやって稼いでるわけじゃない。どん底の生活でくすぶってるわけじゃなく、いろんな国をまわって大学でプレイしてるんだ。20年後に振り返ってみたらいつの間にかたっぷり金を儲けてたことに気付くんだろうな。OASISをビートルズのコピーバンドって言う奴もいるけど、それはまた別の話さ....。

1年前、労働党が政権を執り、一気に英国に希望の光が満ち、ブレアは史上初のロックンロール首相ともてはやされましたよね。それが今では、彼を非難する人が多くなっています。あなたもその中の1人ですか?


ノエル:というよりも、どんな時もブレアは保守党よりマシだと思うな。だけど、NHSや学校にどうやって金を出してるのかというと、ひとり親の家から巻き上げてるんだぜ、そんなのみたら「ちょっと待てよ、一体何が起きてるんだ?」って思うだろ。言ってる意味分かる?首相官邸に行ったのは、俺の「education, education, education」(トニー・ブレアが、労働党が政権を取った時の演説で、絶叫した言葉「いまイギリスには三つの問題がある。それは、Education、education and education!」より)の一環だったんだよ。話は変わるが、アラン・マッギーが音楽産業の死について長々しゃべってるよな、誰もアルバムを売らないだの....アルバムが売れたことなんてなかっただろ、OASIS以外はな。俺達はとても大きな期待をかけられてるんだ。レコード会社のボスのコカイン中毒をなあなあにするために、成功の基本形を欲しがってるんだよな。A&Rの奴は必要以上に金を出して、バンドの影は薄くなるばかりだ。OASIS一晩で出てきたバンドのように見えるだろう。だけど、俺達はあの2ndアルバムを作るためにハードワークをたくさんこなしてきたんだ。たくさんの若いバンドは、ひどい目に遭ってるよ。彼らは進化する時間を与えられないんだ。音楽業界ってのはおかしなところさ。レコード会社は大手銀行みたいなもので、ぶったまげるくらいの大量の金を持っていて、俺達はそいつらにレコードを渡すんだ。ほかにもやり取りは少しはあるけど、俺はそこらへんには興味ないんでね。俺はただレコードを作るだけさ。みんな、若者はもうレコードを買ったりギグに行ったりしないと言う。だけど、若者がみんなそろって1つのものに興味を示すわけがないだろ。そうは思えないな。多分若者の数自体減ってるんだろう。

90年代後半は、エイズの問題や終身雇用制度の撤廃などがありましたが、そういうプレッシャーが若者にとって厳しい状況を作っていると思いますか?


ノエル:終身雇用なんてそもそも実現されたことがないだろ。だけど、おれが16だった頃は、今ほど酷くはなかったね。ドラッグを簡単に手に入る時ほど、ドラッグ・カルチャーにハマりやすい状況はないんだ。スポーツ、音楽、教育に大した金は投資されていない。公共住宅に住んでる若者は、兄貴がぴかぴかの車に乗って、腕に女をぶら下げてるのを見て、それをクールだと思うんだ。ロール・モデルを見つけることが難しくなってるのさ。60年代に若者だった奴らは、90年代の連中は堅物だとか言う。そういう奴らこそ堅物だな。くだらねえ奴らだよ。

自分が時代のスポークスマンであることに対して、どう感じます?

ノエル:それが心地いいってことはないね。俺は自分について話すが、それがいけねえんだよな。どうして俺にマイクを向けるんだ?自分の発言が原因で、数え切れないくらい叩かれてるんだぜ。ビッグマウスなんだよな。

あなたが以前言った「マンチェスターの何軒かの家でやった」空き巣行為の発言がきっかけで、警察の空き巣調査班が事後調査をしてますよね、、、。


ノエル:正直になって責任を取ろうとしただけさ。何軒か空き巣はやったよ。それでドラマのヒロインみたいにデビューしたら、リポーターが「過去の自慢話」を聞かせてと言ってくるんだ、仕方ねえだろ。やったことを誇りには思ってない。正当化するわけじゃないけど、ワーキングクラスの人間らしくしなきゃならないっていうプレッシャーがあるんだよ。自分で自分の首を絞めて立場が悪くなると、他のレポーターがやってきてさらに言ってくる。「あなたの言い分を記事にしてほしい?」とね。「いいや、全然」さ。それで、俺は6週間国を離れざるをえなくなる。いいか、俺はこういう流れで、国を離れたことが何度もあるんだ。ナイトクラブから戻ってくるたびに......

「ドラッグは紅茶を飲むようなものだ」という発言についてですが。


ノエル:社会のことを少しでも知ってる奴なら誰でもその通りだって言うさ、OK、ドラッグは紅茶を飲むのと一緒ってのは少し大げさに聞こえるだろうが、だけど実際はマジでそれに近いんだよ。俺がそれを実行してるとは言ってないぞ。俺はやってない。でもみんな隠れてやってんだよ。病院やコミュニティセンターを建てたり

今はドラッグをやってないんですか?


ノエル:俺はこの9週間、どんな種類のドラッグにも触ってない。誰かが有り金全部リハビリに費やすのなんて見たくないんだ。それをやってる連中を非難してるわけじゃないぞ。俺とかみさんはドラッグを長い間やってた。もう十分だってくらいやって、飽きたのさ。はっきりと心に決めたんだ。ある場所を離れる時は危機を脱出する必要があることに気づいたってわけで.....そうだな...つまり、俺はだめになったりしなかったってこと。今も同じ友達と付き合ってるし、そいつらといっしょに食事に行くとするだろ。そいつらが毎分ごとにトイレに行って、分かるだろ(ドラッグを吸う音を立てる)。俺は、それがちょっとみすぼらしいって思う。煙草をやめた途端にそこら中咳払いしながら歩き回るようなバカにはなりたくないんだ。でも、かなり調子がよくなったよ。

これから何か計画はありますか?

ノエル:ただ気楽に、家で時間を過ごしてるよ。これが1年前だったら「汝はロックンロールスターらしくふるまえ」と考えてただろうね、でも今じゃそんなの退屈だと思うよ。

あなたは30代を迎えて、今では常識的になりましたか?

ノエル:俺はいつだって16歳のままでバンドをやっていたいんだ。人間だから年は取るかもしれないけど老いぼれていくわけじゃないだろう。分かるよな。
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