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1994年の12月にクリスマスソングとして『Whatever』をリリースし全英3位を獲得したオアシスは、翌年4月の『Some Might Say』で遂にシングルでの全英1位を奪取し、その人気を不動のものとした。このリリース計画について、当初メンバーやアラン・マッギーは『Acquiesce』をA面にするべきだと主張したが、ノエルは首を縦に振らなかった。ノエルは『Some Might Say』をA面に据える必要があると周囲の反対を押し切り、見事ナンバーワンを獲得したのである。
『Some Might Say』のレコーディングを最後に、ドラマーのトニー・マッキャロルは事実上の解雇通告を受けることになった。ドラムの腕が未熟なためトニーにレッスンを付けるなど指南を施したものの、技術レベルの解決が見出されないためというのがその理由だった。普段からトニーは他のメンバーに苛められていた。ギグジーには「お前をナイフで刺してやる」と本気で脅迫され、慌てて泣きついた先のノエルには「いいや、ギグジー。安心しろ。俺が先にこいつを刺してやるよ」と更に脅迫を受けたということもあった。リアムからはコンスタントに苛められていた。ボーンヘッドだけはそんなトニーに優しかったが、いつの間にか一緒になって苛めるようになっていた。
ある日にはトニーが練習に行ったところドラムセットが道端に放り出されていたこともあったし、「お前は二度とドラムに近づくな」とノエルに冷たく通告されたこともあった。メンバーの誰もがトニーの腕の未熟さと向上心の無さには我慢の限界だった。そして、とうとうトニー・マッキャロルは解雇通告を受けることになったのである。彼はそれを受け入れるしか他になかった。『Definitely Maybe』での成功から更なるステップアップするには、ドラマーの交代が不可欠だとメンバーは英断に踏み切ったのだった。
後継にはアラン・ホワイトがその座につくことになった。彼はポールウェラー・バンドのドラマーであるスティーヴ・ホワイトの実弟である。アランのドラムをたまたまスタジオで観ていたノエルが気に入ったところからオアシスへの加入が急遽決定した。ドラマーの交代によってオアシスはサウンド面での強化を図ることができた。ロンドン出身でギグジーと同い年だったアランは、生粋のマンチェスター人で構成されているオアシスに馴染めるか当初心配していたが、彼のドラムの腕はメンバーの誰もがすぐに認めるところとなった。間もなく彼らはとても親しい間柄になった。愛称はホワイティ―。オアシス最盛期を支えた言わずもがなの名ドラマーである。
トニー・マッキャロルは後に印税を巡る裁判を起こし、オアシスから1億円以上もの金をせしめる和解案を勝ち取ることになる。また、2010年秋にはトニー自身が筆を取ったオアシス回想録『The Truth, the Noel Truth, is Nothing Like the Truth』が発売予定だ(英版のみ)。オアシスのメンバーは執拗に精神的な打撃をトニーに与えていたが、長兄のポール・ギャラガーは彼と親しい間柄で、良い飲み友達だったとポール自身が語っている。
失業保険で生活をしていたアランにとってオアシスの加入は喜ばしいことだったし、地元の友人達はこぞって祝福してくれた。何しろデビューアルバムで全英1位をあっさり奪った気鋭のバンドのドラマーを担うことになったのだ。
アランはオアシスのドラマーとして正式に加入した。その後着々と進んでいったセカンドアルバムのレコーディングの最中、オアシスらしい事件が不幸にも起きてしまった。ひどく泥酔したリアムがノエルに派手な喧嘩を突然吹っ掛け、ホテルの植木鉢やテーブル、テレビが粉砕される大乱闘が始まってしまったのだ。ノエルはクリケット・バットでリアムをぶん殴り、怒り狂ったリアムは何故かボーンヘッドとホテルの外でひたすら殴り合っていたという。アランが運転する車に乗ってノエルは荒れ狂ったホテルを抜け出した。翌日になっても怒りの収まらないノエルは既にバンドを辞める決意を固めていた。マーカス・ラッセルは残りのメンバーを集め、ノエルがバンドを辞めたと静かな口調で切り出した。アランはオアシスに加入してからたいして日も経っていないのに、失職寸前の瀬戸際に突然立たされていた。まったくとんでもないバンドへ入ったものだ。しかし、この竜巻のような理不尽さが良くも悪くもオアシスなのである。結局、この事件はリアムが反省し謝罪を行いノエルと仲直りすることで解決となった。そして、ニューアルバムのレコーディングは何事も無かったかのように再び進んでいったのだった。
その夏オアシスはグラストンベリーでのライブを終えて、彼らはニューアルバムからの2枚目のシングルカット『Roll With It』のリリース日を正式に発表した。それは1995年の8月14日だった。ところが、である。後になって発表されたブラーのニューシングル『Country House』と同日の発売日になってしまったのだ。偶然の一致だろうか。いや、これは明白な故意によるものだった。何しろ元々『Country House』の発売日は8月28日であり、オアシスのリリース日を受けてブラー側が即座に変更したのだ。日頃から険悪だった彼らではあるが、とうとうブラー側がオアシスに向かって挑戦状を叩きつけた。どちらが一番かはっきりさせようじゃないか、と言わんばかりだった。
イギリスが誇る二大バンドが真正面から対決する! 同日リリースを知ったマスコミはすぐさまヒートアップし、その報道を繰り返した。
ブリッドポップの頂きに登る王者はいったいどちらのバンドなのか?
90年代ブリッドポップムーブメントの狂騒、音楽史的マイルストーン。オアシスVSブラー。人々の興奮をかきたて、圧倒的な速度でその勢いはイギリス中を覆っていった。
