「標準OASIS学」が、Twitterをはじめ ました。ブログを更新すると、すぐにTwitterに「記事の内容」「URL」が投稿されます。
フォロワーになれば、最新のニュース&イ ンタビューの更新情報があなたの元に! ↓
http://twitter.com/oasisstandard

記 事の感想からちょっとした雑談まで、標準OASIS学BBSへお気軽にどうぞ!
http://www3.rocketbbs.com/731/standard.html


多くの面において、マーカス・ラッセルはきわめて普通の人物だ。語り口の柔らかな元教師で、クリケットと地元のラグビー・クラブを愛している。

しかし、エブーベールで鉄鋼労働者の息子として生まれた彼は、並外れたことをいくつか成し遂げている。

妻と別れ、エセックスにある学校勤務という堅実な仕事を辞め、音楽界でのチャンスを掴むためにロンドンへ向かった。

ある運命的な一夜、ラッセルは5人のワーキング・クラス・ラッズのギグを見るためマンチェスターのパブへ足を運ぶ。直ちに彼らの音楽とスタイルを気に入ったラッセルは、モップ頭のシンガー兼ソング・ライターであるノエル・ギャラガーという名の男に、OASISのマネージャーをやらせてくれと熱心に交渉をした。

今、3年がたち、ラッセルはおそらく地球上で一番大きなバンドの管理を任されている。そして、彼がマネージャーになったことで、Pulpやお茶目なライバルBlurとの激しい競争を繰り広げているブリテン、そしてアメリカの両方を征服したOASISには大きな変化がもたらされた。

アメリカでOASISをビッグにすることが、ラッセルにとって最大の業績であり、今も彼の野心はそこに狙いを定めている。数百のコンサートを含む9つのツアーを組むすることで達成したのだ。

今では、常に発火寸前のギャラガー兄弟が世界に悪態を吐く一方で、ラッセルは世界を飛行機で飛び回る生活を送っている。

世界中を回っているにもかかわらず、彼は未だ強いウェールズへの忠誠心を持つことを意識し、機会があればエブーベールに住む家族や友人達に会いに行く。

マンチェスターでOASISのUKツアーが終わった後に訪れた束の間の休暇。ラッセルは、ロンドンにあるオフィスから初めてのロングインタビューに応じてくれた。

彼は、音楽産業の重役達の幻想をあっという間に打ち砕いてみせる。その強さについて知るためには、彼を挑発して語らせてみるしかないだろう。

「物事を見渡す能力を持たなければならない」。そう彼は言う。

「多くの人間は路傍に落ちていく。何故ならその能力を持たなかったからだ」。

一番最近のUKツアーは、OASIS最愛のマンチェスター・シティのホームであるメインロードでの2日間ギグでクライマックスを迎えた。8万枚のチケットはわずか2時間で完売し、Radio1のDJ達は彼らを90年代のウッドストックに例えた。

ラッセルの進んできた道のりはOASISのメンバーのそれと比べると、とても平凡だ。

「自分がどれほど幸運かはわかってるよ。でもただチャンスを見てそれを掴んだに過ぎないんだ」。

幼い頃、兄にRolling Stoneのレコードを聴かせてもらった時からポップミュージックが大好きだというラッセル。

「音楽は、ティーンエイジャーになるより前からすでに、私にとって人生の一部だったんだ。いつだって音楽に魅了されていたし、私を支えてくれたものがあるとすれば、音楽なんだ。どうすればバンドを成功へ導くことができるかはよく理解していたから、それを仕事にすることができたのさ」。

1975年、ラッセルはエブーベールを後にした。ミドルセックス・ポリテクニックで学ぶ傍ら、数多くのパンクバンドのプロモーターをし、あのSex Pistolsのギグの手配までしていた。

卒業後は、エセックスで結婚し教職に就くが、長いこと病を患った妻が亡くなったことで教師という職業に幻滅し、マネージメントの道へと足を踏み入れた。

The Smithsが解散した1987年、ギタリストであるジョニー・マーのマネージャーをしていたラッセルは、ちょうどその頃OASISを見出す。クリエイションレコードと契約させる一方、OASISを世界的なバンドにするという決意のもと、配当契約を結ぶためにアメリカへ飛んだ。

ラッセルはこの時すでに、アメリカ進出のためのプランを練り上げていたのだ。"可能な限りツアーをし、リリースは最小限に抑えよう"

アンセミックな「Wonderwall」がリリースされる頃には、OASISは何百ものギグをこなしていた。シングルだけでなくアルバム「Morning Glory」共に大きな成功を収めた。

「イギリスのバンドがアメリカで成功するのは久々だよ。私をOASISでそれを成し遂げようと決意していたんだ。2年がかりの計画で、ようやく実現したのがこの年の初めだよ。1994年の6月からアメリカで働いて、いかにシングルのリリースを少なく抑えるかにたくさんの戦略を巡らせたんだ」。

「今年に入るまでシングルはリリースしなかった。ただレコードをラジオで流し続け、ギグを見に行かなければOASISを聴けない状態にしたのさ」。

「アメリカは世界で一番大きなマーケットだ。アメリカではUKよりたくさんものを売ることが出来る。ここではたくさんのレコードを売ることが出来るんだ。だから一度上手くやってしまえば、本当に大きな収穫になるんだよ」。

ラッセルが成功したことは、南ウェールズの小さな音楽産業のバンド達の活力にもなった。ブラックウッド出身のManic Street Preachersは、OASISのサポートバンドとなった。

「OASISのためにできることなら何でもする。彼らはそれを受けるに値するんだ。南ウェールズ出身のバンドにとってOASISは希望の星なんだよ」。

また、OASISが、レコーディングのほとんどを南ウェールズで行っていることも、偶然ではない。ラッセルの提案で、最初のレコーディングはカーリーオンにある、小さなロコ・スタジオで行われ、2枚のアルバムは共に、ロックフィールドにあるMonnow Studioで行われている。この公式を変えるつもりは毛頭ないというラッセル。

「みんなウェールズ人との繋がりを本当に楽しんでいたよ。またロックフィールドに来ようと思っている」。

リアムとノエルが何か言葉を発するたびに全ての均衡をぶっ壊すのを目の当たりにしているせいか、バンド・メンバーについて答える時、ラッセルは非常に慎重になる。

「音楽に打ち込み、マンチェスター・シティとファッションに夢中な、スマートなストリート・ラッズ」。これが、ラッセルのギャラガー兄弟像だ。

「身に起こったことの大きさを考えれば、彼らはほとんど変わっていないと言ってもいい。変わったとしてもとても前向きな変化だね」。

「3年前に比べればたくさんの特質を獲得したんだ。自信(横柄さじゃないよ)、音楽への愛、野心、それに自分自身がやっていることを楽しみ、みんながその音楽とアティテュードに、わくわくしているそのことを喜んでいる。それが彼らを駆り立てているんだ」。

Blurへの嫌悪(ノエル・ギャラガーがBlurのリード・シンガーのデーモン・アルバーンがエイズにかかればいいと言ったこともある)について、ラッセルはうのみにせず、

「誰だってものを言うだろう。彼らも後悔するようなことを言うこともあるけど、その時はちゃんと公に謝罪するんだ」。

「単に反発を巻き起こしたくて発言する時も多いけど、同時にとても思慮深いんだ。数年前、時間を無駄に潰していた時よりもずっとものを考えるようになったよ」。

「ある意味OASISは賢いね。キャリアを築くことに無頓着なんだ。ブリットポップの一部になったことは一度もないだろ。常に自身をブリット・ポップから切り離して考えているし、全てのブリットポップ・バンドが霞むくらいの野望を持っているんだ」。

「OASISにはストリートキッズという呼び名がぴったりだな。インテリ集団じゃないし、そういうふりをしたこともない。でも彼らにはどんな状況でもどんな仲間とでもやっていける持ち前の賢さがある」。

ラッセルによれば、5人のバンド・メンバー達は、確固たる信頼関係を築いているという。リアムと女優パッツィ・ケンジットの荒れ狂った関係を読んだことのある方にとっては、驚きではないだろうか。

「みんなとても強い愛情で結ばれてるよ」。

ラッセルの役目の1つに、ギャラガー兄弟のためにしばしば父親のような存在になることがある。幼少時代に、ギャラガー兄弟と乱暴な父親との関係は破綻してしまっているからだ。

「私の仕事は、彼らが集中できるようにサポートし、罠に陥らないようにし、安定を保ってやり、彼らが聞きたがらないことをあえて言ってやることだ」。

「翌日朝の8時には出る予定があったら、早めに寝ろと言うのさ。でもそう言うと彼らはちゃんとベッドに入るんだ。とてもプロフェッショナルなんだよ」。

しかし彼は同時に彼らの反抗的な面も認めている。

「一番最悪なシチュエーションは、彼らがイライラしてステージを降りてしまうときだね」。

最近のUSツアーで、ノエルは"ツアーの疲労"から、ステージを降りてしまった。

「彼はただ参っていたんだ」と、ラッセル。

「私はノエルを見つけるためにそこら中走り回った。マンチェスターからサンフランシスコまでありとあらゆる場所を探し回ったよ。だけど5日後、いくつかのギグを延期した後だったな、ついにL.A.でギャンブルをしている彼を見つけたんだ」。

ラッセルによると、ノエルはバンドにとって影の創作源であり、驚くほどの常識人であるという。

「多くのソング・ライターは、とても内省的で不安に支配されているんだ。ノエルについて最も普通でなかったのは、彼が全く普通の人間だったってことさ。常に自分をコントロールしていて、自分自身でいることに満足している。今こうしている間もせっせと書き続けているだろう。絶対にやめようとしないんだから」。

バンドの影のビジネス・ブレインとして、ラッセルは絶対的な信頼を寄せられている。

「バンドのビジネスに関するあらゆることを、私に任せてくれるよ。日ごとに確認を取らなくてもいいんだ。どんどん進めるのみさ」。

そして、働いていないまれな時(自ら仕事中毒だと認めるラッセルは、1日16時間は働いている)、彼がリラックスする場所はやはりエブーベールだ。

失業状態の使われていない石炭とスチールの街。彼の幸せな子供時代の記憶はここにある。

心から緊張をほぐしたいと思った時、彼は国境を越えて家に戻り、グラモーガンのクリケットの試合や、弟がオーナーを勤めるエブーベールのラグビークラブの応援に行く。セヴァーン橋の通行料のことでちょっとした問題になった時も、彼のことを金遣いが荒いと言った人はほとんどいなかった。

「OASISは軌道に乗り始めてる。でも音楽界では、バンドが外国での収入を全て回収するには多くの時間がかかってしまうんだ」。

「ツアーをしないと収入は入ってこない。みんなは、満員の観客で埋め尽くされた会場を見てささっと金勘定をするんだろうが、その裏で何が起こっているかを見定めなきゃいけないんだよ」。

「散財する気にはまだなれないね」。

6年前と同じ公営住宅で今も暮らす男は、そう話した。