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リアム・ギャラガーはわずか6歳という若さで、担任教師を精神安定剤の日々に送りやった札付きの問題児だった。小学校の時も一貫して問題児であったし、中学校の時も一貫して問題児であった。リアムはとにかく自分の思った通りにいかないとすぐに癇癪を起し、周りの人間を圧倒した。ギターやバイオリン等の楽器すら一日で放り出してしまうぐらいのこらえ性の無さだった。16歳で学校を卒業した後は、フェンスを作る仕事に就いたが当番制のトイレ掃除が嫌で辞めてしまった。その後、ノエルが勤めていた英国ガス会社の配管工事の仕事に就いたが、「他人のために穴掘りをするのは嫌だ」と言って辞めてしまう。(ちなみに、長兄のポール・ギャラガーはノエルに「お前は穴を掘る才能がある」との不名誉な讃辞を送られていた……。)
職を転々としていたリアムは部屋の中で大音量の音楽をかけ、歌を歌った。何事も長続きしないリアムだったが、歌に対する想いだけは違っていた。将来はシンガーになりたいと思うようになっていた。役所のカウンターに座っている相談員に向かって「俺はシンガーになりたいんだ」と主張した。当然、相談員はまともに相手をしなかった。結局、リアムは悪態をついて帰っていくだけだった。給付金でドラッグを買い、酒を飲み、少しばかり残った金は母親に渡す。なけなしの失業保険支給金を貰って、生活費に足らない分はマウンテンバイクをかっぱらって売りさばいた。日々は暗澹としていたが、マンチェスターではありふれた暮らし方のひとつだった。彼がこうして世の中の片隅でくすぶっている時、友人のボーンヘッドとギグジーが面白いことをやり始めた。レインという名前のバンドだった。
「レインはまったく手のつけられないバンドだった」と語るのはボーンヘッドだ。事実、レインは、芽の出る気配などまるでないバンドだった。ラッフルズ・ホテルというパブのワイン倉庫でリハーサルを繰り返し、ぱっとしないギグを定期的に行っていた。何だか弱々しい印象のバンドだったと言われている。その中心人物はボーンヘッド。本名はポール・アーサーズ。当時は左官屋を営んでいた。幼少から音楽に嗜み、友人のポール・マッギーガンに楽器の触り方を教えたのは彼だった。1965年6月23日生まれ。両親ともにアイルランド系カトリックの家系である。レインの前は、プレジャーインペインというバンドを少しばかりやっていたこともあり、彼は作詞作曲を担当していた。
ポール・マッギーガンはギグジーの愛称で知られているベーシストであり、1971年5月9日生まれで、父親は彼をかねてからフットボールの選手にしたかったそうである。生まれつき運動神経の良い子供で、フットボール以外の球技もこなし、9歳からはボクシングも始めていて、このボクシングがオアシスに入ってから非常に役に立ったそうだ。しかしながら、フットボールの試合中に怪我をしてしまい、選手生命が絶たれてしまった。ギグジーは電話会社に勤めながら、ボーンヘッドのバンドに参加していた。他には、ドラムのトニー・マッキャロル、ボーカルはクリス・ハットンという組み合わせだった。
クリスはやがてクビになり、代わりにリアムが加入することになった。その際にバンドの名前をリアムの発案でオアシスに変更することになった。レインという名前はビートルズのシングル『Paperback Writer』のB面の曲名から取ったものだった。一方のオアシスという名前は、ノエルの部屋に貼ってあったインスパイラル・カーペッツのツアーポスターのコンサート会場「スウィンドン・オアシス・レイジャー・センター」からアイデアを得たと言われている。とにもかくにも、新生レイン改めオアシスはスタートを切ることになった。リアムはこの時まだ18歳だった。
リアムは毎晩のようにして、彼らと時を過ごすようになった。4ヶ月間のリハーサルを重ね、作詞に頭をひねり、ボーンヘッドがそれに曲をつけた。初ライブのスケジュールは1991年の8月18日。マンチェスターのボードウォーク。スウィート・ジーザスというバンドの前座でオアシスは登場することになった。リアムは観客たちの前に出た。イアン・ブラウンのしぐさの真似をして、歌っていた。ただし、腕は腰の後ろに回して組んでいる。かなり特徴的な歌い方だった。彼らはオリジナルである『アリス』や『リマニス』、『テイクミー』といった曲を演奏した。このうち、ノエル加入後も取り入れられた曲は『テイクミー』だけだった。演奏はそんなに悪くなかったし、まずまずといったところだった。最もリアムは初めてのライブだったので、緊張が身体や表情からほとばしっていた。
ライブ演奏を見つめているのは若き日のノエル・ギャラガー。その狭い会場にはポール・ギャラガー、インスパイラル・カーペッツのメンバーもいた。決して芽の出ることのないバンドだったレインは、ロックンロールスターとして抜群の資質を秘めたリアム・ギャラガーをボーカルに据えた時に、最早別のバンドに生まれ変わっていた。少なくとも若いノエルが可能性を感じることが出来るバンドになっていた。そこへノエル・ギャラガーが加入することによって、オアシスはレイン時代との決別を完成することになった。「この頃には、アルバム3枚分の曲は既にストックしていたんだ」と豪語する希代の天才ソングライターの登場である。彼はようやく自分のバンドを持ったのだった。
