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Ride - オックスフォードの音楽を永遠に変えたバンド -


20年前の12月、オックスフォードの音楽史上、最も重要なレコード「The Ride EP」が発売された。

商業的な意味でなら上を行く成功を収めたシングルやアルバムはある。Ride自身がそれ以降に出したレコードもそのうちに入る。しかし1990年1月に発売された4曲収録のデビューEPは、オックスフォードのミュージシャン達に新たな次元への扉を開いてくれたのだ。RideのデビューEPは、革命的な出来事だった。市内だけでは物足りない野望に燃えるローカルバンド達の眼を世界へと向けるきっかけとなり、オックスフォードはただの大学都市ではないのだと音楽業界に知らしめた。Rideの成功なくしては、Radiohead、Supergrass、Foalsといったバンドの物語もまた違うものとなっていただろう。

それから20年目の今月は、「Ride EP」の重要性を再認識する良い機会であり、4人のメンバーが集まる絶好のチャンスだ。ギタリストのアンディ・ベル、シンガーのマーク・ガードナー、ベーシストのスティーヴ・ケラルト、ドラマーのロズ・コルベール。デビューEP発売までの経緯、当時のオックスフォードのミュージックシーン、Rideが描いた野望と夢をじっくり振り返ろうではないか。メンバーを集めることは、予想していたよりも簡単なことだった。解散から14年たった現在も友人同士の彼らは、年に数回集まり、今でも尾を引くRideの金銭上の問題について話し合うのだそうだ。アンディとスティーヴがオックスフォードを離れたのに対し、マークとロズは地元に残っている。今夜は、メンバー4名と、Rideのマネージャーであるデイヴ・ニュートンが、マグダレン通りにあるパブ、Rusty Bicycleに集まった。

年月を重ねて4名の顔つきは変わっているが、人格はそのままだ。気さくで、情熱的で、今でもRideの音楽を夢中になって語り、自身の成し遂げたことを誇りに思いつつも後世に与えた影響をひけらかすことはしない。

マークは現在、作曲やソロ活動を行う一方、自身の所有するスタジオでプロデューサーとしても働いている。アンディは、ご存知の通り、OASISでベースを演奏してきた彼は、今後ノエル・ギャラガーと一緒にギタリストとして活動していく予定だ。ロンドンに生活の拠点を置くスティーヴは、イタリア家具の会社で働いている。ロズは今もドラマーとして活躍し、Jesus & Mary ChainやInternational Jetsettersと共にツアーをしている。

Rideの物語は、オックスフォードにあるチェイニースクールで、マークとアンディがクラスメイトとなったことから始まる。初めてのステージは、スクール・プロダクション「Grease」だった。スティーヴは2人より2年上級だったが、妹を通して2人と知り合い、その後、バンベリーカレッジに進学したマークとアンディがロズと出会う。The Smiths、Sonic Youth、The House Of Love、My Bloody Valentaine、The Jesus & Mary Chain、Spacemen3といった共通の音楽の趣味で、4人の絆は固く結ばれた。

ギグを見るために、Jericho Tavernには良く足を運んだという彼ら。Ride結成のきっかけとなった地元のバンドはいたのだろうか。

アンディ:Here Comes Everybodyっていうバンドがいてね、16歳の時にそのバンドをヘディントンにあるBury Knowle Parkで野外ギグをしている彼らの姿を見てバンドをやりたいと思ったんだ。そのバンドのメンバーはAnywaysとTalulah Goshに別れたんだよな。Wild Poppiesもみんな気に入ってたよ。彼らと同じパブで飲んでたもんさ。Jericho TavernとかNew Innでね。Shake Appealも良かったな。たぶんその頃のオックスフォードでは一番人気のあるバンドだったんじゃないかな。

マーク:Shake Appealは本当に大好きだったよ、それとTalulah Goshも。その頃に発売された「Jericho Collection」っていう地元のアーティストを集めたアルバムを買ってね、Wild PoppiesとかAnywaysも収録されていて、とてもクールだと思ったよ。俺達がよく見に行く地元のバンドが全部入っててさ。どのバンドにも夢中だったけど、音楽的に真似をしようと思ったことはないな。それよりも自分達で書き始めていた音楽に夢中でね、それが後にRide初期の曲になったんだよ。

大学で行った何度かのプライベートギグを経て、1989年2月、RideはJericho Tavernで初めて、公の場に姿を現す。ミュージシャンとしては駆け出しの4名への最初の試練だ。地元ではカルト的人気を誇るスラッシュメタルバンド、Satan Knew My Fatherのサポートだった。

その頃、スティーヴと一緒にOur Price Recordsで働いていた私は、Rideに対して単なる「友人のバンド」とは少し違った期待を抱いていた。しかし、その夜、Rideは完全にその枠を打ち破った。素晴らしいのは彼らのインパクトで、会場に列を成して入ってくる観衆の中には、彼らのサウンドチェックに対して歓声を上げる者すらいた。ギグが始まると、オーディエンスは興奮の渦に巻き込まれた。数日もしないうちに、地元の音楽ファンは突如現れた新人バンド一色に染まったのだ。

マーク:初めての時は、チケットを買ってやってくるオーディエンスと顔を合わせるのが本当に恐かったよ。だって、みんなスラッシュメタルバンド狙いで来たんだぜ!でも、みんなが入ってきて、サウンドチェックをしてる俺達に拍手をし始めた時はだいぶ緊張が和らいだね。サウンドチェックが、俺達のサポートをしてくれたっていうかな、だから俺達がプレイする頃には会場は一杯で騒がしくなっていて、俺の人生は素晴らしく変わったというわけ。みんなはもちろん、俺達もすごく盛り上がっていたよ。

そのギグは、デイヴ・ニュートンによって主催されていた。彼は、Tavernで定期的にギグを組んで新鋭バンドに場を提供しており、Local Supportという地元雑誌も発売していた。若く、しかも音楽そのものに重点的に取り組んでいたRideは、新人バンドのリーダー的存在になっていった。

ロズ:デイヴはスティーヴの友人でね、一緒にOur Price Recordで働いてたんだ。デモ契約をした方がいいと進めてくれたのはデイヴで、そのおかげでレコーディングをするお金も用意できた。4曲レコーディングして、それが後のデビューEPってわけだよ。

アンディ:いくつかギグをした後、僕達はお金を出し合ってデモを作り、それをスティーヴがデイヴに披露したんだ。地元でも有名な人物にアドバイスをもらいたくてね。あっという間に僕達は音楽業界の人間から興味を持たれ始めたもんだから、オックスフォードでそういう位置にいるデイヴにマネージャーになってくれるよう頼むのは当然のように思えたんだ。デイヴは、地元以外の音楽業界とのつながりはなかったんじゃないかな。ただ、彼は「音楽ビジネス」ってやつと交渉ができる冷静な人間だった。僕達がそういうのに興味がなかっただけに大事なことさ。Soup Dragonsのサポートでツアーをし始めた時には、アラン・マッギーまで僕達に注目してたんだよね。

マーク:デイヴが、シングルデモをWerner Brothersのツテに送って、Wamerから電話がかかってくるようになり、ギグにもやって来て契約を持ちかけてくるようになった。それがマッギーの気を引いてね。Warnersとまだ契約が進んでいないと知ると同時に、僕達が自分のレーベルと契約している稼ぎ頭のバンドのファンだと知った彼は、あっという間に僕達との契約を決めたのさ。

地元でのRideの人気は瞬く間に膨れ上がった。JerichoからCo-Op Hallへと会場のレベルも上がり、これはその頃のローカルバンドとしては異例のことだった。

アンディ:日ごとに大きくなってる感じだったね。どんどん人気が出て、道を歩いていても声をかけられるようになった。最高だったよ、どこまでも行けるような気がした。僕の目標は、出すシングルがチャートのトップに躍り出るような成功を収めることだった。ただし、音楽的な妥協なしでね。間違いなく、大きな夢を持っていたよ。

そして、大きなチャンスが彼らのもとを訪れたのは、当時のUKインディシーンでは高い注目を集めていたSoup Dragonsのサポートツアー中のことだった。Rideが地元以外のオーディエンスと出会い、音楽プレスの興味にさらされるのが初めてだったことはさておき、ここで彼らはCreation Recordsのトップであるアラン・マッギーと関係を築いたのだ。Creation Recordsといえば、Rideにとってのヒーロー達が多く所属する憧れのレーベルだった。

マーク:サポートを頼んできたんだのはSoup Dragonsのシーンだったんじゃないかな、デイヴやWarnersのつながりからね。毎晩Soup Dragonsの度肝を抜くようなギグをしていたら、アラン・マッギーが今日もまた今日もと俺達のギグを見に来るようになって、ギグの後に話すようになったんだ。最高の瞬間だったよ。

ロズ:ツアーをしてるアートスクールの学生だったね、まあ、ツアーによくあるバカなことは色々してたけど。スティーヴの成長は著しくて「彼女」と呼べる子もできたし。アンディと俺は写真を撮ったり録音したり絵を描いたり。マークは、栄光の道への準備に余念が無くて.....ほんとに楽しく過ごしてたね。

アンディ:色々機材も使わせてもらったんだ、どれも良かったね。しょぼいアンプじゃなくて、Marshall Stacksで音を出したりしてさ。あのツアーで初めて音楽プレスの取材を受けたよ。NMEにMelody Maker、Sounds。僕達の演奏、きっとうるさかっただろうなあ!

アラン・マッギーを虜にするとは、さぞかし良い気分だっただろう。

アンディ:本当は4ADと契約したかったんだ。Creationは露骨すぎると思ってね。でもいざCreationから話が来たら受けることに決めた。マッギーはとても良い人だったし、僕達に夢中だったからね。でもそれからは話す機会が無かったな。デイヴがレコーディングしたものやらスリーヴやらを持っていき、僕達が欲しいものを手に入れてくる感じ。今ではマッギーは親友の一人だけど、それはRideが解散した後からなんだ。

マーク:俺にとってアランはすぐに家族の一員みたいな存在になった。今でもそう思ってるよ。Rideに寛大に接してくれてレコードを好きなように作らせてくれて、それ以外のことでも色々教わった。それに、俺達に大きな影響を与えたミュージシャン達と同じ場所に、Rideを立たせてくれたんだ。

あまり認識されていないことだが、「Ride EP」は、Creation Recordsにとってチャート入りを果たした最初のレコードだ。上位ではないが、71位という意味のある業績だ。Creationは、さらなる成功を収めるための転換期に差し掛かっていた。Rideの売り上げ収入は、他のバンドによって蓄積する借金にあがくレーベルが、ビジネスを続けるために必要なものとなっていた。

デビューEPの4曲は、Union Street Studiosで収録された。「Chelsea Girl」は、渦巻く純粋なパワーポップ、「All I Can See」は、My Bloody Valentineの白昼夢とByrdsのメロディが周到に重なり合い、「Close My Eyes」は、沈鬱にくすぶる賛美歌を思わせる。しかし、4曲の中で最も輝いているのは「Drive Blind」だ。音のスコールと雷が荒れ狂い、ロマンチシズムにあふれながら殺伐としたニヒリズムが洪水のように襲いかかる。

アンディ:エンジニアに僕達の求めている音を出してもらうのには苦労したよ。オックスフォードでは誰も、ギターサウンドを僕達のように収録した人はいなかったから、まるでお互いに違う言語でしゃべってるみたいでさ。最後にはお互いに納得できたけど、ミックスが思うように行ったのは、セッションに投資してくれたWarnersのカリー・カロマンのおかげだね。一般的に言って、レコード会社はお互いを敵視しているもんだけど、カリーとアラン・マッギーは違った。二人は僕達を良く理解してくれていたから、僕達も二人には気を許したんだ。

マーク:エンジニアのカルヴィンのことは覚えてるよ。楽曲をミックスしようとして「何も聴こえないぞ、ギターとホワイトノイズが多すぎるんだ」と言うから、俺達は「そりゃいい、そのままにして」と答えたんだ。

出来上がったレコードを初めて聴いた時の感想は?

ロズ:スピーカーから完成したその音が流れてきた時は、まるで「他の誰かの作品」みたいだったよ。しかもその「他の誰かの作品」がこれまでの人生で一番の出来だった。まさにそんな感じだったよ」。

ファンに評論家、これが初めてのRideという者もみんなが惚れこんだ。もう後戻りはできなかった。Rideの素晴らしい旅が始まったのだ。オックスフォードのミュージックシーンを描いた近日公開の映画では、当時Our Price Recordsの派遣社員として働いていたTalulah Goshのシンガー、アメリア・フレッチャーが、スティーヴに「バンドに専念するために会社を辞める」と聞いた時の驚きを思い返している。オックスフォードのミュージシャンがそういうことを言い出すなどありえないことだったのだ。

Rideの活躍は6年間続いた。「Tarantula」のレコーディング中に解散するまでの間に、4枚のアルバムやチャートを賑わすシングルを多数出し、何度かワールドツアーも行った。バンドにとってもCreationにとっても苦難の時期であり、マッギーの不在とバンドに蓄積した疲労感が彼らに影をかけていた。しかし、解散の頃にただよっていた険悪な空気はすぐに解消された。

RadioheadやSupergrassといった他のオックスフォード出身バンドの先駆けとなったにも関わらず、Rideは自身の功績に驕りを持たない。他のバンドの方がRideよりも寄与していると、彼らは信じている。

アンディ:Radioheadといえば「Creep」だよね。あの曲でいわゆる「オックスフォードの音楽」は始まって、数年すると、バンドがオックスフォードに契約しに来るという状況になった。Rideはというと、地元ではそこまでの話題になってなかったと思う。地元のプレスからもラジオからも無視されていたからね、まあ、僕達のオーディエンスはTown Hallとかそういった類のメジャーなものに背を向けていたから。デビューした時は早くオックスフォードから出たくてしょうがなかった。あそこは世界で一番活気の無い場所だったんだよ。

ロズ:おそらく「Rideならやれる」という空気はあったんだろうけど、後から出て来たRadioheadやSupergrassの方がよりその期待を背負わなきゃならなかったと思うよ。

マーク:デビューEPを出した時、偶然にも俺達がオックスフォード出身で世界的成功をつかむ最初のバンドになったんだ。それからはだいぶ変わったよ。世界へのドアは開け放たれ、A&Rの人間がオックスフォードまでやってきて、地元のパブやギグでたまたま出会った人がバンドを組んで、それでSupergrassやRadioheadが出てきて一気に盛り上がったのさ!この20年でオックスフォードは、今までもこれからも興味深いバンドを輩出する町として世界に知られるようになった。僕達の成功をきっかけに、オックスフォード出身のバンドは音楽さえ良ければ出身は負には働かず、世界は思いのままだとわかったんだよ!

Rideはその慎み深さで損をしているように思える。Rideがデビューするより前、オックスフォードのバンドが見る夢は控えめで、機会は限られていた。着実に続くオックスフォード出身のバンドの成功は、Rideが後世に与えてきた影響や啓示の偉大さを証明しており、彼らの音楽は今も世界で影響力を持っている。最近では、ノスタルジアに乗じて再結成するバンドが多い中、私達もぜひRideに質問したいことがある。Rideの再結成はありえるのか?それに対する答えは、大方の予想通り、曖昧なものだった。

マーク:その質問をするたびにみんなが済まなそうな顔をするから面白いんだよな!再結成の予定はないよ。俺は今自分のミキシングや作曲、プロダクションの仕事で手一杯だし、オックスフォードでもっとのんびりしたいんだ。今も夢を見ていてさ、自分がたずさわったレコードがどうなっていくのかとか、まだ自分が知らないことの方にわくわくするんだ。すでに知っていることや完全に成し遂げたことよりもね。

アンディ:いつかまた一緒にプレイできたらとは思うけど、具体的にいつかはわからないな。

ロズ:俺は.....まあ、みんないつか一緒になれたらと思うよ!